第14回ボードレール研究会

司会者報告 - 北村 卓(大阪大学

 今回の研究会は、7月24日(土)大阪大学待兼山会館において開催されました。参加者は14名。~
 最初の発表は、小西葉子氏による「ボードレールにおける脱出願望と詩の創造について」。発表者は、まずボードレールを取り巻く苛酷な外面的現実および内なる孤独意識について説明した後、ボードレールは当初そこから逃れるために酔いの助けを借りて人工楽園の構築を目指すが、それは束の間のものにすぎず、最終的には、意志の力によって夢想の世界を築き上げ、それによって芸術作品・詩を創造に至る、とする。さらに今後の研究として、芸術の言語化における問題を探るため、ボードレールにおけるエドガー・A・ポオの受容について考えたいとの展望を述べられた。~
 今回の発表は今春提出された卒業論文に基づいていることもあって、内容は、ボードレールの詩的営為の過程をかなり概観的に論じた感もあるが、基本的な資料を踏まえた着実な研究成果の発表であった。今後は、質疑応答において指摘があったように、テキストを今一度緻密に再検討し 瓣作品の制作・発表時期なども視野にいれて、より説得力のある研究へと発展してゆくことが期待される。~
 続いて、横道朝子氏が「ポンジュの"L'Azur"―"La Mounine"の詩学」というタイトルで発表された。『物の味方』に収録されている作品に見られる従来の散文詩形式を大きく逸脱する形式で、ポンジュが1940年前後に集中して制作した作品群のうち、発表者は「ラ・ムーニーヌ、あるいはプロヴァンスの空についての回想ノート」(執筆1941)を採り上げ、精密なテクスト分析によって、その作品および「開かれた形式」で書かれた作品群の詩的世界を明らかにしようと試みた。~
 作品中に、自己批評や引用など異質なエクリチュールが混入しているこのテクストでは、オクシモロンの使用等によって、詩的言語が一つの明確な指示対象を指し示すことが徹底して避けられ、またシニフィアンは、その語の物質性 ワのレベルの連鎖によってどんどんと横滑りしてゆき、そこからシニフィアンの揺らぎが生み出される。まさに意味生成の現場そのものを露わにしているこのテクストは、後にバルトやクリステヴァが理論化する意味生成の理論および現代詩の方法論を予告するするものでもあり、きわめて興味深い。ポンジュ研究の射程においても、閉じられた形式から開かれた形式への移行というテーマをこうした観点から検証する試みは他に類例がほとんど無く、さらに同時期に書かれたその他の作品さらには1940年代以後の作品群をも視野に入れることによって、総合的かつ独創的なポンジュ論へと結実することを期待したい。~
 研究会終了後、懇親会に場を移して、和やかな雰囲気の中、活発な議論が夜遅くまで交わされました。

ボードレールにおける脱出願望と詩の創造について - 小西葉子(奈良女子大学大学院生)

 梅毒を患い、ハシッシュなどの薬物を用い、失語症と半身不随で最期を迎えたボードレール(Charles Baudelaire)について、病理性からの研究もなされている。だがここでは、彼を生きることに苦しむ一人の人間として、人生に寄り添って、筆者なりの関心を持って研究した。ボードレールの現実と夢想と、芸術的創造の可能性について論述する。~
 十九世紀のフランスに生きたボードレールは、現代においてその詩的世界の広をひろげた功績を讃えられている。だが、彼を一人の人間として見たとき、彼は詩を書かずにはおられなかったということがわかる。~
 この詩人現実を暗いものにしたのは、幼い頃からの孤独であった。6才で父が亡くなり、その翌年に母はある軍人と再婚する。このことで幼いボードレールは父親ばかりかと母親をも心理的に奪われてしまった。軍人 秊ニ詩人という不幸な義理の親子関係もそれに追い打ちをかけ、オディプス・コンプレックスは強まる。そればかりではなく、実父の遺産を浪費するとして準禁治産者とされ、常に借金取りに追われる生活が始まった。社会的にも孤独が漂うなかで、彼が苦しみの中からつむぎだした詩集『悪の華 Fleurs du Mal』は風俗壊乱のかどで罰金と一部削除とを科されるに至り、芸術的にも認められない。激動の時代が持つ憂いと、個人的な家族的、社会的、創作的な三つの孤独を持ちこたえ、それらを生み出す苦しい現実から逃れようと、「彼処 au-del・vを志向する。~
 こうして生まれたのが「人工天国 paradis artificiels」である。「彼処では、すべてが調い、美しく、贅沢と、静寂と、悦楽と。」(『悪の華』53「旅への誘い〉と書いているように、そこには彼の生を脅かすものは何も存在しない。時間さえも消え去ったこの楽園は、胎内空 Z想の象徴ともとれる。彼は酒や薬物に酔うことで夢想に彩られた内面世界に入ってゆき、それらが効き目を失うと現実に引き出される。だが、彼は幸いにも詩人であったので、現実と夢想という二重の世界に生きることができた。彼は自身の夢想世界を詩として言語的に形にし、それを芸術という枠組みの中に閉じこめることで、その特異な世界を意志によって堅固に守ったのである。~
 芸術家はその世界が独特であることを良しとされ、現実生活での適応がが多少困難であっても許される傾向にある。これは、芸術という分野が人間の本質に触れていることを意味している。個々の人間がその内なる芸術性に正面から向き合ったとき、そこに人間的な存在の拠り所を見つけることができるだろう。異常性を詩という枠組みに納め、詩人として独自な仕事をしながら現実の苦悩の中を歩き続けたボードレールの姿は、芸術の持つ可能性を示唆している。

ポンジュの L'Azur ― La Mounineの詩学 - 横道朝子 (関西学院大学非常勤講師)

 1930年 ィ代末以降、フランシス・ポンジュは、『物の味方』(Le Parti Pris des Choses)収録作品に代表される典型的な散文詩の形式を大きく逸脱する「開かれた形式」による作品を産み出していく。詩の創作過程を日記のように提示するため「詩的日記」ともよばれるこの形式は晩年に至るまでポンジュ書法の根幹を成すものとなる。このジャンルの作品についてのこれまでの研究では、管見によれば、形式の移行期にあたる40年代のポンジュの思想や当時親交を始めた画家たちとの関係に焦点を当てて論じられたものが多く、「詩的日記」という時間軸を持ったエクリチュールの中で作品を構成する要素がどのように展開していくのかを具体的に検討したものは少ない。そこで、今回の発表では「ラ・ムーニーヌ、プロヴァンスの空についての回想ノート」(La Mounine ou Note apr峻 coup sur un ciel de Provence)を取り上げ、この点についての考察をすすめた。~
 「ラ・ムーニーヌ」の執筆期間は1941年5月3日から8月5日。ドイツ軍の侵攻を逃れて南仏に移住していたポンジュはエクス近郊ラ・ムーニーヌと呼ばれる場所で特権的 楕蒼空に出会い、その風景と感動を保存しようとノートを開く。作品では「あの日の蒼空」の記憶を手繰る過程、どのようにしてこの蒼空が現れたのかを解き明かそうとする過程、それまでに書いた部分についての自己批評(書き直し、詩論)など、さまざまなレベルのエクリチュールが混交しており、あたかも蒼空の主題による変奏といった観を呈している。~
 一読すると、この作品が対象についての根本的な問い直しであり、対象とそれを指し示す語との一対一の対応関係を徹底的に壊していこうとする試みであることがわかる。例えば、蒼空の描かれ方について言えば、マラルメがそうしたように対象を メazurモという一語で呼ぶことは決してない。詳細な描写を通して、対象が一語で表現できるような一様なものではなく、多様な要素が混在するものであることが示される。特にこの作品において興味深いのは、「昼と夜」「光と闇」「透明と混濁」など本来相反し、両立しえない要素が、混在・並存して描かれることである。~
 こういった対象の脱構築は、事物(chose)への注視からだけでなく、語(mo nt)への注視からも導かれる。「ラ・ムーニーヌ」においては、とりわけ、シニフィアンに属する要素(音や文字の形・配列など)が作品の展開を担う重要な要素となっている。作品において最も多く見られるのが、ある語が同じ音を持つ語を喚起するという場合である。例えば、苔(moussue)についての描写では、メmoussues scintillentモという表現が、[m],[s],[ij]を持つ語(mousse, roussie, jaillit, brille, tresses, molles, mobiles)を喚起して、同じような音を持つ語が集まっている。
 こういったあるシニフィアンから同音を持つシニフィアンへの横滑りとともに作品の展開を支えるのが、一つのシニフィアンの中でのシニフィエの揺らぎである。例えば、作品で多用される メ残latモという語は多義を含む語であるが、この語は作品冒頭で空の「輝き」について書かれた部分に用いられるが、次に「音、響き」について書かれた部分に用いられ、さらに、後半部に至っては 「断片」(d暫ris)に置きかえられてしまう。そのため、この語は「輝き」「響き」 _「破片」といった複数のシニフィエの間で揺らぎ続けるのであり、これによって、シニフィアンシニフィエの一対一の対応関係が崩されていくのである。~
 このように「ラ・ムーニーヌ」では、対象である事物や語についての徹底した脱構築がなされる。それは明白すぎる記号体系・価値体系に潜む闇を暴き、それを破壊していく試みであり、ここから啓蒙主義者としてのポンジュの一面を見る研究者も多い。しかし、この作品のエクリチュールが明白に示すように、ポンジュはこの破壊作業のかなたに新しい価値を見出そうとしていたのでは決してない。というのは、この作品は「感動についての一つの法則を見出す」ために書き始められたにもかかわらず、費やされた言葉、イメージが一つの法則へ辿り着くような方向性を持っておらず、それどころか、ある一つのイメージが固まりそうになると、詩人は意識的に「あの日の蒼空」の記憶に立ち戻り、さらに新しいイメージを喚起して、そこから離れていこうとするからである。すなわち、「ラ・ムー Uニーヌ」のエクリチュールとは、差延(diff屍ance)のエクリチュールであり、「あの日の蒼空」とは メintensit謝 によって一つのモノ化した記憶であると同時に、実体をともなわない予測不可能で不確定な破壊的要素、すなわち、プンクトゥムであると言えよう。たとえ、ある法則を見つけだせたとしても、それは無限に書き換えられる可能性をはらんでいるのである。実際、作品は法則に辿り着かないまま、未来のある日に、蒼空についてのエクリチュールが更新されることを予告して終わる。~
 したがって、この作品が提示するのは、一つの固定したシニフェエではなく、シニフィエシニフィアンの位置で生成される現場、あるいはシニフィエシニフィアンによって書きかえられていく現場、意味が生成・廃棄される現場なのである。そして、このシニフィアンの戯れとも思われる詩学は、この作品のタイトル―La Mounine という明確なシニフィエを持たず、シニフィアンだけを持つ―が端的に示しているのである。