第10回ボードレール研究会
司会者報告
第10回研究会は2001年7月28日(土)午後2時より、甲南女子大学で行われました。真夏の猛暑の中、また夏季休暇中の工事による騒音の中、快適な会議室を提供して頂いて、充実した研究会となりました。~
今回は、中堀浩和氏の「ボードレール 魂の原風景」の出版記念合評会を企画したために、研究発表は一つだけになりました。甲南女子大学の大学院生の方達に出席頂いたこともあって、参加者は過去最高の19名となりました。中堀氏の著書の合評については秋吉孝浩氏の報告に譲ることにして、ここでは三宅宣子氏の研究発表について記します。~
今回の三宅氏の発表は、ボードレールとバルザックという19世紀を代表する文学者の内的関連を探るための基礎作業というべき内容で、明確な主張や独自の仮説等の提出はなかったものの、極めて精密で誠実な資料の読解による研究方法が、今後の展開を大いに期待させるものとなっていました。1845年から始まるボードレールのバルザック評が時を経てどのように変化していったのか、またしなかったのか、という観点は、バルザックの作品読解への視点としても、ま 鮨ボードレールの文学観の変遷をたどる上でも、興味深い問題をはらんでいることが、よく理解できる内容だったように思います。1850年に死んだバルザックは紛れもなく初期ボードレールと「同時代人」だったわけで、詩人の文学的出発に深く関わった形跡は明らかですが、その内実についてはあまりよく知られてはいません。三宅氏の今後の研究は、ボードレール詩学生成の秘密を探求する試みであり、今後の展開が待たれます。~
発表後、作者名のみに頼らないインデックス(作品、登場人物への言及やほのめかしなど)は可能か、という質問があり、今後の課題ということで保留されました。また、バルザック「以後」のボードレールの現代性や、晩年の美術批評に見られる「観察者/幻視者」観との比較等をめぐって、示唆に富んだ質疑応答が交わされました。~
発表後、上記合評会が行なわれ、その後JR芦屋駅前の料理屋で懇親会が開かれました。今後の活動について活発な意見の交換があり、その一つに「10回記念」として、これまでの活動をまとめた小冊子の企画が上がっています。今後具体化する方向で出席者全員の意志が一致していることを報告しておきます。
ボードレールに於けるバルザック - 三宅宣子(英知大学非常勤)
プレイアード版のボードレール全集の索引によると、ボードレールがバルザックについて言及している個所は作品の中では61回、書簡の中では13回もある。これらを見ていくと、ボードレールはバルザックに関することなら、文学作品のみならず、私生活やエピソードなどどんなことでも興味を持っていたことが窺がわれる。しかし、ここでは、ボードレールが小説家としてのバルザックをどのように見ていたのかを検討してみることにした。最後に、バルザック自身は小説家にはどのような資質が必要と考えていたのかを探ってみた。~
バルザックについて初めて言及しているのは、1845年のことであるが、翌年1846年には、バルザックの制作方法の特徴についてはっきりとした考えを示している。ボードレールはバルザックがドラマや小説の人物を外界の観察から作り上げていくのではなくて、バルザック自身、バルザックの内奥から引っ張り出すのであると主張する。この考え方は、1845年にすでに示唆されている。1846年には、バルザックの唯一の文学上の欠点とボードレールがみなす思想の統一を乱す文体に関する考え方も示 ている。~
1848年にはバルザックを観察者と呼んでいるが、この観察者は通りで道行く人や風俗を観察するのではなく、思想と目に見える存在物の生成の法則を等しく知っている博物学者であると説明している。ボードレールがバルザックを観察者と呼んだのはここでの一回きりである。そのうえ、1859年にはこのバルザックを観察者とする考えを訂正している。~
1859年には、バルザックの精神の目には、外界のものは、あるがままに映るのではなくて、デフォルメされた姿で映し出される、と述べている。そして、1846年すでに明らかにしたように、バルザックの作品の人物達は、結局、バルザック自身から、バルザックの内奥から生み出された、とボードレールは述べている。~
さて、バルザックは1835年、書簡の中で、小説家にとって、外界のものを観察する才能が必要なことを述べている。そして、1836年には自伝的小説フ tァチノ・カーネの中で、勉強の合間に通りに出て、観察する習慣があったことを書いている。しかし、ボードレールのバルザックに関する記述の中で気晴らしに通りで人をあるいは風俗を観察するバルザックの姿に関するものは一つもない。ファチノ・カーネに関する記述も全くない。
中堀浩和著「ボードレール 魂の原風景」について
報告・秋吉孝浩(大阪市立大学非常勤)
本研究会創設時からのメンバーである中堀浩和氏(甲南女子大学)が長年の研究をまとめた著書を刊行されました。これを記念して、研究会当日、参加者全員による合評会を行いました。活発な意見交換がありましたが、ここには中堀氏の発言の要約のみを掲載します。(文責・秋吉)
○本書の成立について
ボードレールほど多くの切り口から切っていける詩人はいない。30年間様々な視点から見ていきながも、たまたまこうしたまとまりのある書物ができあがっていったのも、やはり、ボードレールだからこそでる。~
『悪の華』の出版の年に、言語学者のソシュールが生まれているが、 言語への関心は、やはりボードレールから始まっており、日本でもその関心が1970年代に高まり、それが第二部にまとめられた「普遍言語」への関心につながっている。~
ヴァレリーの言葉にもあるように、ボードレールによってフランス詩が国境を越えたのであり、それは詩の普遍化、つまり「感覚」の重視ということである。
○第一部第一章「詩人とパリ」について
都市における画一化の問題をボードレールとともに考えること、それは、西洋の存在論の深さを学ぶことである。西洋の存在論においては、それは虚無との闘いであり、自己の実存性であり、こうした点において、ボードレールは、現代においても、これからますます重要な存在となるであろう。現代の病理と言語の問題、この二面こそがボードレールとの対話において、最も学ばなければならない問題である。
○サルトルについて
サルトルは明晰でありながら、ボードレールを論じ損ねている ・サルトル的な一元論的な考え方では、二元的なボードレールは論じられないはずである。たとえば、ボードレールの母子関係ついて、シャルル・モーロンを多く参照しているのもそうした点からでもあるが、おそらくサルトルでは分析できないであろう。
○バターユについて
従来の存在論にnonを突きつけたバターユは、虚無への恐怖というヨーロッパの特殊性抜きでは考えられない。酒井健の本は、そうした点を指摘しているところで、共感できる。ただ、ボードレールとの関係については、「あとがき」にも書かれているように、今後の「宿題」としたい。
○散文詩について
第二部第四章「韻文詩と散文詩」のような分析を、ランボーも含めて、さらに考えていくことも、今後の「宿題」としたい。
○総括
死と向き合うことを回避しつつある現代、生と死との緊張の中でいかに強度を生きるかを考え続けたボー ;hレールは、現代につながる問題をすでにすべて考えており、今後ますます重要な存在となるであろう。