第13回ボードレール研究会

司会者報告 - 山田兼士(大阪芸術大学

 第13回研究会は2002年3月23日、大阪芸術大学で行われました。参加者は9名。やや少ないのが残念でしたが、充実した発表と活発な質疑応答が行われました。~
 今回の発表は、本研究会発足以来の会員である秋吉孝浩氏のシャンフルーリ論と、新会員田中直紀氏のランボー論。どちらもボードレールとの関係を背後に置いた興味深い発表でした。
 まず秋吉氏の「シャンフルーリによるクールベ論再考」では、既発表の論考を前提に、シャンフルーリの美術批評の戦略、主にその政治的配慮を、同時代の文学・芸術の状況の中で明確にしようという試みが示されました。『悪の華』への批判を「予言」したと言われるシャンフルーリの社会認識の鋭さ、特にレアリスム批判に対する敏感さが、クールベ絵画の「寓意性」の無化というベクトルをもった時、独特の二重性を(時には矛盾をも)はらんだ反歴史主義の思想が生成した、とする論の展開はなかなかにスリリングで、新鮮な刺激に満ちたものでした。発表後、1848年当時のシャンフル リ、クールベボードレールが織り成していたレアリスムをめぐる状況についての説明が求められましたが、この点について秋吉氏からは、一見曖昧微妙に見えるシャンフルーリを再評価するために今後の課題としたい、という旨の回答がありました。また、当時の絵画の政治性、思想性について、寓意的な読解の政治性に対するシャンフルーリのスタンスは明らかにされたが、他方、芸術的立場との関わりはどうなのかという質問があり、これに対しては、1847年以来のホフマンの幻想的コントとの関わりなどを引例し、そこにボードレールとも共有 艪オていた美的な志向が指摘され、アレゴリーに対する意識の鋭さと公の意見としての政治性の必然との葛藤が大きな問題だった、との回答がありました。~
 次に、田中直紀氏の「『地獄の夜』の「毒」について」では、従来キリスト教の信仰の喩とされてきた「地獄の夜」の「毒」が、実は悪魔主義のそれだったのではないか、との視点に立って、ボードレールの「反逆」詩群との関わりを背景にしつつ、ランボーキリスト教観/悪魔観を見直そうとの試みが為されました。作品の細部を具体的に読み込みつつ、革新性ばかりではなく伝統的な宗教観、神秘観を再認識することで、逆にランボーの革新性の実体をあぶり出そうとする逆説的な方法と司会者には想像されました。発表後、そのようなある意味で伝統的な方法で読み直しをすることの意義がどこにあるのかという質問がありましたが、この点について田中氏は、例えばロラン・ド・ルネヴィル等1950年代以前のランボー解釈の可能性を見直すことで、あまりに行き過ぎた昨今のテクスト解釈を洗い直し、19世紀当時の詩の状況を再発見する企ての一環であるとの回答がありました。今後の展開に注目したいと思います。第13回研究発表要旨

シャンフルーリによるクールベ論再考 - 秋吉孝浩(大阪市立大学非常勤)

 旧稿「シャンフルーリによるクールベ『火事に駆けつける消防士たちの出発』論をめぐって」(『周辺』の会発行『周辺』第16号、1996年5月10日、に掲載)では、クールベの一枚の絵をめぐって、シャンフルーリとクールベの社会的態度の違いを中心に論じた。これまでにも多くの論者が、クールベを擁護する際のシャンフルーリの「政治忌避」について述べているが、今回は、そうしたシャンフルーリの態度を別の観点から、クールベの絵にみられる寓意に注目して考察してみた。~
 1848年のサロンでシャンフルーリはクールベに初めて言及しているが、ここで注目すべきなのは、同じ年に出品されていたロマン主義的自画像である《チェロを弾く男》ではなく、現代的な寓意画《ヴァルプルギスの夜》(現存せず)を評価している点である。これは、批評家としての社会的立場に立つ以前のシャンフルーリの視点であるといえる。~
 以後、クールベは新たな寓意表現をもった、それだけに政治的に危険とみなされ得る作品を発表し続けるが、《画家のアトリエ》にせよ、旧稿で取り上げた《火事に駆けつける消防士たちの出発》にせよ、些かもシャンフルーリは評 ト価することがない。特に《アトリエ》に描かれているミューズとしての女性像などは、揶揄の対象にさえなっている。さらにそうした揶揄は、サロン出品時の題名にみられる「現実の寓意」という語にも向けられるが、そこからはむしろ、絵画が寓意化されることへのシャンフルーリの危機感が感じられる。~
 では、そうした危機感はどこから来ているのか?1850-1851年のサロンに出品された《オルナンの埋葬》のスキャンダルに対するシャンフルーリの対応をみていくことでそれを明らかにしていくことができるだろう。~
 シャンフルーリは、一方ではそこに描かれた人々を人間として擁護し、また一方ではその醜さをブルジョワ特有のものとして社会的な批判を行なう。これは、体制側、つまり当時の共和制政府の新興ブルジョワ階級やボナパルティストたちからなる新聞の批評家達の表面上の全員一致(描かれた人物の醜さに対する非難)を粉砕すると同時に、反ブルジョワ側の正統王朝派の人々の支持を得ようと期待する、きわめて政治的な擁護の仕方であった。さらにそうした擁護の方法は、Jean-Luc Mayaudが明らかにした(Courbet, LユEnterrement ・Orn ヒans : Un tombeau pour la R姿ublique, Boutique de lユHistoire, Paris, 1999)、「共和国」の寓意としての女性の埋葬という、当時同じようなカリカチュアが氾濫していたことから、この作品をみた誰もが意識したであろうと考えられる、クールベの作品がもつ政治的な寓意から目を逸らさせようという意図があったと思われる。~
 こうした状況を生きたシャンフルーリにとって、女性の寓意像は、一種のタブーと化していた感がある。彼の文章をそうした視点からみると、ボードレール的な現在の表象を主張しながらも、しかし同時に、個人の死という一回性の死からその一回性を剥ぎ取り、それを民衆化し永遠化することで、現在自体の普遍化というある種矛盾した行為をシャンフルーリが行なっていることがわかるが、《オルナンの埋葬》擁護においては、「共和国」を寓意する女性という歴史的な一回性の死をも、日々の生と死のサイクルの中に隠蔽しようという意志がみてとれるからである。後に書かれた文章をみると、空間的な地方の特殊性をも平均化することで、民衆化し普遍化してしまおうとするようなものもみられる。さらに、《オルナンの食休み》の評 メ価の仕方には、この絵がスキャンダルを引き起こさなかっただけに、かえってシャンフルーリの民衆化、普遍化への意志が生で現れている。その意志を支えているのは、寓意表現のもつ政治的な意味の生産性、そして逆に現実がもつ寓意化への傾向に対する、シャンフルーリの拒否である。(因みに、ボードレールの『悪の華』を、「レアリスムの名において断罪されるだろう」と予言したのは、まさにこのシャンフルーリである。)~
 後に、政治的にならざるを得ないはずのカリカチュアをも、その歴史的属性を剥ぎ取って、美術史化してしまうシャンフルーリ。この古代以来のカリカチュアをすべて美術史化するという膨大な作業に、シャンフルーリの現実的な歴史の拒否への執拗さをみるべきだろうか? そしてそういう美術史的な「歴史化」とは、あらゆるイメージを現実から引き離すことでしか可能でないとしたら、そういうシャンフルーリの意志とは、何か途方もないものといえるのではないだろうか? 今回考察したようなシャンフルーリのクールベ体験を、従来言われている彼の「政治忌避」だけにしてしまわないなら、そうした新たなシャンフルーリの意志が浮かび ミ繧ェってくる。~
 膨大なカリカチュアに関するシャンフルーリの資料を分析する作業とともに、そうしたシャンフルーリ像を導き出すことが、新たな課題として残っているが、そこで導きの糸となるのは、シャンフルーリが1860年に出版したChansons populaires des provinces de Franceにクールベが付けた挿絵の版画である。そこには、産業の進歩の象徴である鉄道と、つるはしを使って地を耕す人を見守る女性像が前面に描かれおり、しかも、その女性は、水を汲むという行為において、クールベに特有な、泉と女性というテーマを示すものとして非常に興味深いものであるのだが、いずれにしても、ミレーの描く人物を、プロレタリアートとして切り捨てるシャンフルーリが、「自然」という民衆的な寓意像を、自らの本の挿絵として、受け入れている点が非常に興味深く、現代の美術史家メイヤー・シャピロのいう「民衆芸術と産業の壁画というシャンフルーリの一対の計画におけるうわべの矛盾は、レアリスムを推進させ、第二帝政独裁制を終らせた社会的運動の不安定で、不確かな性格に由来しているように思われる」という命題とともに、今後考察していきたい。

「地獄の夜」の「毒」について - 田中直紀関西学院大学非常勤)

 A.ランボー散文詩集『地獄の季節』(1873)はプロローグを含め九つのパートをもって一つの物語を構成する。その本編の第二編「地獄の夜」で語り手は「かの名高い毒」を呑みこみ、炎につつまれ身体が捻じ曲がるような地獄の感覚を味わう。この「毒」とは何かを再検討しながら、作中の宗教的要素の整理をおこなうことが本発表の目的である。~
 この「毒」をキリスト教の宗教そのものとする説は多くの論者に支持されている。キリスト教を受け入れようとしたからこそ、語り手は「罪」の意識に苦しめられるというのである。しかしながら、語り手は子供時代に両親の教育によりすでに教化されている者らしいのである。また、語り手は先のパート「悪い血」において、自らを「異教徒」「悪い血」の者と規定し「良い血」の者たるキリスト者に対置する二項対立図式を提示している。その図式下で叛逆を表明されるのであるが、そのような規定そのものが叛逆対象者たる「良い血」の者の価値体系によっているのである。「地獄の夜」で語り手が呑みこむ液体が「毒」と呼ばれるかぎりにおいて、それは「悪い」と規定されているものであ 驍閨Aその規定はやはり同様の価値体系におけるものと考えられる。そこで「忠告」をキリスト者の側からの、その液体を呑むことへの忠告ととらえるかぎりにおいてこそ「いただいた忠告」への感謝の皮肉の意味が生きるのである。「キリスト教の信仰という毒を勧めたのも悪魔」なら「叛逆を唆すのも悪魔」ととれるブリュネル説では、そもそも悪魔観そのものが特殊に過ぎるであろう。むしろアダンのいうように「毒」を呑むことを叛逆への目的観に沿ったものと見るべきではないだろうか。~
 ランボーのいわゆる「見者書簡」(1871)と『地獄の季節』に連続性を認め、『季節』の語り手を見者理論を実践するランボーの分身と見ることは、諸家の一致するところである。「書簡」ではある種の預言者的救済者的詩人像が提示され、そのような詩人、見者詩人と自らをなすため、自身に試練を課し人格を変性させる方法論が錬金術カバラなどの神秘哲学に則って展開されている。『季節』がまさしく自らを見者=魔術師たらしめようとする秘儀参入の物語であることは中地義和氏の研究に詳しい。実際「地獄の夜」では業火に焼かれる感覚のなかでこそ、語り手の求める「ヴィジオン」は掻きたてられる 0フだ。デイヴィスは作中の「火焔の巣」という語に不死鳥の巣のイメージをみて取っているが、これは秘儀参入の物語の性質を知る上で重要な指標をなす。不死鳥のイメージはまさに神秘学的人格変性の象徴と言える。そもそも炎に焼かれる苦痛の感覚そのものを、見者たろうとするものが自らに課さねばならないという試練とまいなすことができる。炎の感覚を与えるのは「毒」なのであって、するとそれを「呑む」ことが語り手の秘儀参入の目的観にまったくそぐった行為であることを認めなくてはならなくなる。~
 そしてさらに、その目的観そのものが、キリスト教的意識をとおしてみる限りにおいては、被造物に許された則を越えようとするまさにルシファー的叛逆とみなされるものであるのだ。デイヴィスはまた「炎の一滴」の語に洗礼の水のパロディーを見ている。ブリュネルはこれさえ「毒」をキリスト教とする根拠にしているが、このようなパロディー性こそは悪魔崇拝の特色であることを 瘤w摘せなばならない。ランボーは特にミシュレの『魔女』(1862)や、書簡で「第一の見者」とたたえるボードレールの『悪の華』(1857)の「叛逆」のチクルスなどをつうじてロマン派的悪魔主義に親しんでいたことは疑いを入れない。その悪魔観では、サタンは、特殊な知恵と技術の担い手であり、社会の不正を容認する不実なキリスト教の神に対し、弱者の側から真の救済を目論む貧者の神、敗残者の神なのである。書簡では見者詩人は「火を盗む者」と言われているが、プロメテウスはそのような悪魔観におけるサタンの原像であるのだ。「地獄の夜」の草稿において、悪魔が自分に吹きこまれる「魔術、錬金術」の担い手とされていることは、この悪魔観にそぐっているし、もとより「良い血」と「悪い血」の対立図式にこの二項対立は対応しているのである。そして魔術師たらんとする語り手が秘儀参入の効 猝を有する「炎の一滴」を要求するのはサタンに対してなのである。この炎の液体こそ冒頭の「毒」なのであり、キリスト教への叛逆とみなされる目的への手段として位置づけられるべきものなのである。~
 よって「毒」はキリスト教の信仰そのものであるよりは、サタンのもとでのキリスト者への叛逆に向けたものなのである。象徴学的には、擬似的な死と秘められた智慧の獲得をもたらすものとして、「創世記」で蛇がイヴにすすめる「知恵の果実」と同様の類型に分類することができるであろう。ある種の神秘学ではこの蛇を人類に智慧を授けるものとして崇拝しているのである。その詩史における革新性ばかりが強調されるランボーであるが、『地獄の季節』はその物語の基本的な枠組みにおいて、既成の思考類型に多くを負うている、というより、それをモチーフとしているのである。