第38回ボードレール研究会
報告 廣田大地(神戸大学准教授)
第38回目となる今回の研究会は、春休み期間で大学での授業がないということもあり、例外的に週末ではなく月曜日の開催となりました。あいにくの雨模様で、すこし肌寒いくらいでしたが、昼過ぎには雨も止み、合計10名の参加者を得て、14時過ぎに研究会を始めました。
一人目の発表者である、鈴木麻純さんは、「香り」というボードレール研究においても繰り返し論じられてきた観点に注目し、「embaumer」(防腐処置を施す)、「animer」(生命を吹き込む)、「relier」(繋ぐ)の3点から、ボードレールの詩作品における「香り/匂い」の役割を包括的に論じてくださいました。バシュラール、プーレを中心としたテーマ主義研究によるものから、Zimmermannやスタロバンスキーによる比較的近年のものまで、重要な先行研究にも言及しつつ、オリジナリティーのある視点を提示しようとする意欲的な発表でした。実際、「défunt」(死んだ/達成された)、「essence」(本質/香り)といったフランス語の二重性を掘り起こし、そこからボードレールの詩句の再解釈を行う手腕は鮮やかなものでした。
会場からは様々な意見がありましたが、『パリの憂鬱』において出てくる、不快な現実を表すような「埃っぽいすえた匂い」に関する言及が、発表において意図的に除外されていたが、そのような匂いの俗っぽい面も含めたほうが論に厚みが出てくるのでは、という意見や、ボードレールの詩人としての活動の中で年代による「香り/匂い」の取り扱いの変化があるのではないだろうか、という意見があり、発表者にとっても大いに参考になったと思います。また他にも、「embaumer」(防腐処置を施す)という単語に関して、当時エジプトで発見されたミイラとの関係は?といった質問がありました。
二人目の発表者、平野真理さんのご発表は、ボードレールが1861年に発表した批評『わが同時代人の数名についての省察』における「ヴィクトル・ユゴー論」に注目し、この作品を丹念に読み解くことで、当時のボードレールがユゴーと対峙し、自らの芸術家としての立ち位置を明確にするために練られた、この批評作品の中にある戦略性を明らかにしようとするものでした。上記の作品に加え、ボードレールの書簡など様々なテキストが次々に引用されていくなかで、ボードレールがユゴーに寄せた共感と批判の双方の眼差しが浮かび上がっていきました。ボードレール研究においては、しばしばユゴーはボードレールと対立する要素として一面的に論じられることが多い中、平野さんのご発表は、主に「二項対立を超えた美の意識」という点において、二人の詩人が同じ価値観を共有しつつも、ユゴーにおいては「美と醜」「光と闇」のような二項対立が分離したまま提示されるのに対して、ボードレールにおいては「crépuscule(薄明かり)」の中に対立項目が溶け合った姿が提示されるという趣旨であり、特にこの点は明確で説得力があると感じました。
会場からは、連作として発表された他の詩人たちについての批評との関わりについての質問があり、今後、ユゴーだけでなく、ゴーチエやバンヴィルについての批評についての分析することで、より論を深めていくことが期待されました。また、発表で提示されたボードレールのユゴー観が、実際にボードレールの詩作の中にどのように反映されているのかも知りたいという意見もありました。