第9回ボードレール研究会

司会者報告 - 司会・釣 馨(神戸大学非常勤)

 今回の研究会は3月31日(土)2時半より、近くの夙川沿いでちょうど桜がほころび始めた大手前大学で行われ、参加者は11名。~
 ボードレールドラクロワの絵画の演劇的効果について述べた「人生の重大な局面における身振りの誇張的な真実」という一節。身振りや事物をその誇張の瞬間において「縁で枠取り」「明確化」してとらえる。その際にバルトは麻薬論にも言及しつつこれをヌーメンと名づけ、映画論や写真論にも適用した。この概念がバルトにおいて重要な位置を占めていたのではないかという発表者の指摘だった。
 用語について少し気になった点があった。バルトの映画論のコンテクストで<ヒステリー>は<意味の *病>ではなく、意味の連鎖の遮断として語られていたように思う。ヌーメンはヒステリーから逃れた状態ではなく、まさにヒステリーの絶頂なのではないか。これについてはまたご教示いただきたい。~
 質疑の際に、バルトとボードレールの関係は本質的なものではないという指摘もあったが、B/Bという新たなテクストの出現は今後の興味深い展開を期待させる。バルトを経由することで新たなボードレールが見えてくるだろう。司会者はボードレールの色彩論から映画にたどり着いたが、ボードレールの絵画に関する形式面の洞察がバルトの映画論に影響を与えていることを改めて認識し、非常に勇気づけられた。北村氏とは関心が重なる部分が多いので、今回の発表を聞いて司会者の頭に浮かんだ今後の展開の予想図がどの程度当たっているか、次の発表が早くも楽しみである。「パリ情景」が時間性のない、シンメトリックな布置によって描かれたタブローならば、散文詩はまさに時間性 愚導入し、その運動の極点において不動化させるという手法によって描かれたものではなかったか。と、図式的に言ってみるものの、ヌーメンによって最初に想起したのは「パリ情景」の「見知らぬ女に」である。都市の喧騒の中から突如出現した背の高い黒服の女。それに対する詩人のヒステリックな反応において女のイメージは不動化されている。~
 中畑氏の発表、「より複雑なテュルソスへ」はボードレール散文詩の系譜に属するマラルメの poeme critique についての考察であった。偉大な先行者の系譜に身を置きつつ、その形式を複雑化させることでそこから身を引き剥がそうとするマラルメのアンビヴァレントな身振り。そしてマラルメが散文性よりも重要なものと考えたのが批評性であった。しかし、批評詩は詩と批評の結合として安定した形式を保持するものではなく、その批評性ゆえに詩みずからに刃を向け、詩を破壊する場所にまで行き着く。新しい形式を志向することは、それ自身が旧来の形式よる内容(詩の場合は詩句)についての批評行為になる。その内容がどのような形式に 蟬テいているか問い直されるからだ。制度的に安定してくると、どうしても批評性が弱まる。そのような反復=自己同一性を切断すること。最終的に詩は詩であることを止めなければならない。詩そのものに向けられたテロ行為のあとに、つまり詩がまさに詩であるところの韻律法を破棄したあとに、さらにどのような可能性が残るのか。それが自由詩におけるマラルメの問いであったようだ。~
 またマラルメパナマ運河をめぐるスキャンダルと批評詩をパラレルに置くことで、詩の危機と社会のそれを重ねて志向しようとしている。運河に投資した人々が、金本位制において紙幣が金の預かり証であることを忘れ、裁判の進展や乱高下する数字に一喜一憂している事態をマラルメは嘆く。金の本質的価値、つまり比類のない輝きや希少性を彼らは思い出すべきであると。詩人は言葉によって美や真実という金を積み上げるが、この場合、美は詩に、 K^実は批評に対応すると言う。つまり社会システムを暴露しつつ、美的快楽をも同時に提供できるのが批評詩の理想なのだろう。それは具体的にはパナマ運河についての新聞記事「雑報」から自由詩「金」への移行によって説明される。「雑報」が鉄砲玉や釘が雑多に詰め込まれた爆弾とするなら、自由詩は純粋な閃光だけを放射するための異物を取り除いた花火である。それが社会システムを解体すると言う。しかし、自由詩というあまりに純粋な爆弾は、辛うじて社会システムを明るみに出すにしても、それを解体するなどと楽観的に言えるものだろうか。読者の関心は詩の理想からは程遠く、相変わらずスキャンダラスな記事の断片、つまり鉄砲玉や釘のような異物にあるのではないのか。~
 発表の中で気になったのは、金という原基に基づく経済と、信用にだけ基づく経済が混同されていた点である。マラルメについても、近代の経済社会と詩を完全な対応関係に置くことは無理なように思えたが、それがまさに詩というジャン Q汲フ限界を露呈させているのだろう。金という絶対的価値に固執していては、現在の変動為替相場制に象徴される原基なき関係性のダイナミックな戯れを捉え切れないだろう。また「読者の文学に対する信用が失われる」という興味深い表現が用いられていたが、それには様々なレベルが存在するだろう。文学が他のメディアと分の悪い競合関係に置かれている今日的な問題でもある。文学が自由と純粋さを追求すればするほど、一般読者の信用を失い、一方ではマラルメの名がその晦渋さゆえに流通するというパラドックスもある。セリーヌとケルアックの原稿が数億円で落札されたというニュースもタイミング良く届いていることであるし。

バルトとボードレール - 北村 卓(大阪大学

 今までボードレールは、ロラン・バルトの思想形成にあたって、さほど重要な作家とは見なされてこなかった。しかしながらバルトは、ボードレールのある特定の言葉に対しては、一貫して強迫観念にも近い偏愛を ヘォ続けている。その言葉とは「人生の重大な局面における身振りの誇張的な真実」《la v屍it・emphatique du geste dans les grandes circonstances de la vie》である。今まで明らかにされてこなかったこの言葉の出典は「1855年万国博覧会、美術」 の第三章で、ドラクロワの《十字軍によるコンスタンティノープル攻略》を論じるくだりに見いだすことができる。また、これと類似した表現が、『1846年のサロン』第四章にもすでに見受けられる。ここにおいて注目すべきは、ボードレールドラクロワ絵画の演劇的特質を論じるに当たって、俳優の「崇高な身振り」に焦点を据えている点である。~
 さて、エリック・マルティーの編集による『バルト全集』(全三巻)巻末索引の《Baudelaire》の項目を調べると、このボードレールの言葉は、1944年7月掲載の「『異邦人』の文体に関する考察」からバルトの死の2ヶ月前、1980年1月刊行の『明るい部屋』に至るまで計9回も引用されていることが分かる。しかし、引用箇所前後のコンテクストは必ずしも同一ではない。微妙に変化を遂げてゆく。バルトのとりわけ初期のテクストにおいて、ボードレールのこの言葉は、 ル新たなエクリチュールを実践するカミュや実存的な選択を拒否したとしてボードレールを痛烈に批判するサルトルらと対置され、むしろ否定的に捉えられているかの印象を与える。しかしながら、その言葉自体が否定されているわけではない。~
 この言葉が、初めて明確な形で肯定的に捉えられるのは、1957年に刊行された『神話作用』である。その冒頭に置かれた「レッスルする世界」(初出は1952年10月)のエピグラフとして引用されている。この論考は、プロレスリングの世界をまさにボードレールの言葉を鍵として読み解いたものであって、その背後にあるのは、古代演劇である。すなわち、レスラーの動きは、スナップショットのように瞬間瞬間の誇張的な身振りに切り取られ、「身振りは余分な意味を一切断ち切り、観客に対して儀式的に純粋で充実した意味作用を提示する」ことになるのである。~
 さらにバルトは、「ボードレールの劇作」(1954)において、未完成に終わったボードレールの劇作三篇を採り上げ、「演劇性」が、劇作草案の中ではきわめて希薄であるのに対し、演劇以外のジャンルでは豊かに見いだせるとして、第一に『人工天国』、第二に詩、そして第三に rヘ絵画に関する描写を挙げる。そして、ボードレールの詩の本質を「演劇性」として捉え、そこにハシッシュの陶酔と同質の「誇張」的な場を見て取る。~
 また1964年に発表された「『百科全書』の図板」においては、その図像群が詩的であることを二つの側面から、いずれもボードレールを引き合いに出して論じている。第一に、「縮小化」と「明確化」という語によって、ハシッシュの効果を要約しつつ、極小の物も拡大されて提示されるという「知覚のレベルの移動」を指摘する。そして第二の側面とされているのは、「ヌーメン」とバルトが名付けるところの「不動性」である。~
 バルトは、1970年7月『カイエ・デュ・シネマ』誌に掲載されたエイゼンシュテインに関する論考「第三の意味」において、「自明の意味」le sens obvieの例として、『戦艦ポチョムキン』の一枚のスチール写真を採り上げ、ボードレールの言葉を引用している。しかしながら、ここで「…身振りの誇張的な真実」が「鈍い意味」le sens obtusと対立するものだと即断してはならない。「 ㌣ーメン」によって「枠をはめ」られ、「不動化」され、「誇張」された身振りこそが、「鈍い意味」の現出する前提条件なのである。~
 さて最後に、『彼自身によるロラン・バルト』(1975)のまさに「ヌーメン」numenと題された項を以下に引用したい。~
 《何度も引用された(とりわけプロレスを論じた際に)ボードレールの言葉に対する偏愛:「人生の重大な局面における身振りの誇張的な真実」。彼は、この過剰なポーズをヌーメン(人間の運命を宣告する神々の無言の身振り)と呼んだ。ヌーメンとは、凝固し、永遠化され、罠に捕らえられたヒステリーである。というのも、ヒステリーは、長い凝視を通して、ついに鎖に繋がれた、不動の状態で捉えられるからである。そこからポーズ(縁取りされたものに限る)、高貴な絵画、悲壮なタブロー、天に向けられた眼差し、等々に対する私の関心が生まれた。》~
 先の「『百科全書』の図板」と比較すれば明らかなように、ここで「ヌーメンと呼んだ」「彼」とは、しばしば誤読されているようにボードレールではなく、実際には「『百科全書』の ・}板」におけるバルトなのである。そして最後に出てくる「私」もまたバルトである。すなわち、ここに至ってバルトは「ヌーメン」を通してボードレールとの「間テクスト性」を実現している。~
 バルト/ボードレールは、身振りや事物をその誇張に瞬間において「枠で縁取り」、「明確化」して捉えることによって、通常の意味作用を停止させ、身振りや事物がもつ本来の輝きを取り戻そうとする。もちろん「枠で縁取る」《encadrer》ことは、写真のフレーム操作にも適用され得る。バルト最晩年の写真論『明るい部屋』もまた、こうした試みの射程内にあることは自ずと明らかであろう。

より複雑なテュルソスへ ―マラルメの「批評詩」: Faits-diversからOrへ - 中畑貴之(神戸大学非常勤講師)

 詩人の死の前年に出版された『ディヴァガシオン』(1897)は、その巻末「書誌」のなかで、新しい「現代的な形式」の誕生を告げている。フランスの〈現代〉詩人たちによる長い探求の成果、マラルメはそれに po塾e critique の名を与えた。『ディヴァガシオン』の諸テクスト 奄ヘ、ボードレールとの距離をたえず測りながら、意識的に配置されている。先達の影響濃い初期散文詩を含む「逸話、あるいは詩篇」グループをそこから削除しないが、はっきり区別はするという身振りをまず戦略的に示しつつ、散文詩からpo塾e critiqueへ、発展的にかつ多様な軌跡を描きだすように、すべてをほとんど同時にマラルメは射かけてくる。散文詩というテュルソスがより複雑になり、po塾eが en proseよりもうまく結びつく語として要請したcritiqueの意味をわずかでも明らかにしたい。~
 パナマ事件を扱った「三面記事」Faits-diversを書きかえた「金」Orをはじめ、さまざまな出来事を通して詩人と社会の関係にまなざしを投げかける po塾e critique は、確かに「批評による詩」の試みである。とはいえ、詩と批評の結合あるいは「結婚」にマラルメの創意を限定すべきではない。『悪の華』の詩人においてすでに、詩と批評は不可分なものと意識され、それが彼のうちに「小散文詩」を懐胎させたことが指摘されている。また、「批評と詩の結婚」の必要性を説くモンテギュの論 メ文「フランスの新しい文学」(1867) を読んだ若いマラルメはその感動を友人に書き送っている。ボードレールにとって、批評とは詩人による明確な「認識」であった。マラルメにおいては、その「認識」が「破壊」と表裏をなしている。このことを強調しておこう。~
 自由詩を中心とする新しい詩の事件を目撃したマラルメは、1890年代、幾度も詩句と散文について論じているが、そのなかでくり返し、「散文などというものはない」に端的に要約される独自な見解を述べた。「散文で書かれた」(en prose)という形容はもはや意味を持ちえない。さて、詩の探求は自由詩の発見によって終わる、と同時に詩句そのものが「危機」に直面する。あらゆるfondsが動揺し、その無根拠性が噴出しはじめた世紀末、文学も例外ではなかった。しかし、詩とは何かを問うべきその場所で、自由詩は韻律法の破 戛を叫んだだけであった。アナーキストの爆弾と重ね合わせ、マラルメはそれを「テロ行為」と呼ぶ。危機を照らし出すべきその光はともに短かすぎ、決定的な無理解をひき起したばかりか、危機そのものを覆い隠してしまう。~
 ところで、「三面記事」を書く詩人の関心=利益は、スキャンダルの結末=判決にではなく、パナマの崩壊 (effondrement) を読み解くことにあった。or(金=光輝) を蓄積する金庫の底が割れたという事態はいったい何を意味するのか。マラルメは信用によって成立つ経済の魔術を暴き、数字の欠陥を指摘する。翻って、真実や美といった言葉を発する詩人にこそ、orを積みあげる能力が生じるという。詩句が言語の欠陥を補う。真実と美がそれぞれ批評と詩を仄めかしているが、このとき文学への信用はまだ少しも &揺らいでない。政治・文学的「テロ」ののち、危機の時代の出来事を批評する詩は、自らの創造行為それ自体をも意識せざるを得なくなる。詩であるためには、ただ数を数えるのではなく、「思考の直接的なしかじかのリズム」を示す必要がある。それが断章間の空白、つまり「読みの間取り」を形づくる。「三面記事」から「金」へ、その実践によって、文学のメカニズムを分解してしまう臨界まで詩の根拠を問いつめたpo塾e critiqueは、詩が詩であることの神秘を輝かせている。爆弾というよりはむしろ、花火あるいは縁日の灯明であり、祝祭を想起させるその光は読者に文学の快楽を与えるに違いない。