第8回ボードレール研究会

司会者報告 - 司会・丸瀬康裕(関西大学非常勤)

 第8回のボードレール研究会は、2000年11月25日土曜日午前に、午後からはじまる日本フランス語フランス文学会関西支部会開催に合わせて、関西大学の尚文館を会場に開かれました。今回は12名の参加があり、この会としてはこれまでになく多数といってよい集まりとなりました。今回の発表は、アポリネールとポンジュでしたが、対象をボードレールに限定せずフランス近現代詩に枠を広げることによって、これからも開かれた研究会として機能していきたいものです。近現代詩の問題系の淵源をボードレールとして、いずれの詩人においても、詩的言語の問題は多かれ少なかれ重なり合っており、隣接する詩人についての研究発表は、参加者にとって、学ぶところが大きく、刺激的でした。

横道朝子氏「ポンジュと現代絵画の画家たち」について。

 1942年に発表された『物の味方』は、サルトルのような先鋭な哲学者の注目を浴びたばかりか、同時代の画家たちの関心をも呼んだ。横道氏は今回、かれら画家たちとの交流が、 ヤ|ンジュの詩にどのような影響を及ばしたのか、対象との関係性という面と、表現の形式という面から考察された。自己へ求心的に向かっていくのではなく、むしろ外界と、物と関わることにおいて、人間のもっとも独自な歌が発現されることがある、とブラックについて語るポンジュは、事物から人への「浸透作用」の中に自らの詩学を探ろうとする。無限に多面的である事物(存在)の強度を、『物の味方』のような「爆弾形式」と呼ばれる凝縮された詩形式の中に閉じこめてしまうことができないという認識から、『やむにやまれぬ表現の欲求』のような「詩的日記」と呼ばれるいわば草稿状態の詩というスタイルの中にうつしだそうと、ポンジュの詩は変わってきたのであり、こうした「日記」形式にみられる、作品を完成に向かって統御しまとめる主体の縮小あるいは不在という現象は、「不安のために痩せていく人間」を表現するジャコメッティなどに呼応するものであることが指摘されました。現代美術の具体的な作品とポンジュのそれとがもうすこし分析的にクローズアップされていれば、全体がいささか概論的な印象をうけるということがなく、ジャコメッティの「やせ 葫る人体」とポンジュの「縮小する私」との接合も十分に説得的に聞こえてきたのではないかと思います。同時代の画家たちの仕事に、ポンジュは自らの詩についての内的な問題を深く投影して関心を払ったにちがいないという横道さんの視点から今後さらに興味深いポンジュ論が期待されます。~

森田郁子氏の「アポリネールの詩における盲目のイメージ」について

司会・伊勢 晃(関西学院大学非常勤)
 森田郁子氏の「アポリネールの詩における盲目のイメージ」について報告します。森田氏はアポリネールの作品、特に詩集『カリグラム』を「盲目・盲人」というテーマから分析され、このテーマの意味するものは何か、また作品構造上どのような働きをしているかについての考察を展開されました。『カリグラム』において盲人が登場する詩5篇を作品配置の順に検討することによって、戦争体験により時空間の感覚だけではなく、言葉をも喪失していったアポリネールが、盲人の登場する最後の詩「勝利」では新しい言葉の創出を希求するような態度に変化していることを指摘されたうえで、一瞬のイメージに過去と未来のすべて、生と死のすべてがふくまれるような世界のイメージを持った盲人はアポリネールが一貫して抱いていた理想の詩人像であり、戦争体 K験によって詩人は

Francis Ponge dans L'Atelier contemporain −ポンジュと現代美術− - 横道朝子(関西学院大 博士後期課程)

 フランシス・ポンジュの第一詩集『物の味方』(Le Parti pris des choses)は1942年に発表されるが、この詩集の成功がきっかけとなって、詩人は第二次大戦後、ピカソ、ブラック、フォートリエといった当時の画壇を代表する画家たちと知り合い、彼らについてのテキストに取り組むようになる。この戦後の時期に画家たちとの交流が詩人に与えた影響は非常に大きく、画家たちの仕事に触れ、考察を深めるという過程の中で詩人は彼自身の詩論を確立していったように思われる。画家たちについてのテキストは『同時代のアトリエ』(L'Atelier contemporain, 1977)にまとめられているが、本研究ではその中からジョルジュ・ブラックとアルベルト・ジャコメッティについてのテキストを取上げ、ポンジュ詩学の確立期に彼らとの交流が与えた影響を明らかにすることを目的とする。~
 ブラックについてのテキスト『調停者ブラ ・ック』(Braque, le r残onciliateur,1946) では、「なぜ物を描くのか」という平凡な事物を対象に作品を産み出すこの二人の芸術家に共通の問題が取上げられ、ポンジュはブラックの立場を説明しつつ、実際には自分の詩論を展開していく。詩人は自分の特異性を表出するためには人間についての観念を表現するのでなく「物に味方する(parti pris des choses)」ことに立ち戻らなければならないと述べる。なぜなら、「物に味方する」ことをきっかけに我々はその物について持っている自分に特有の観念を見出すことができるのであり、この観念によってこそ我々は自分の特異性をあらわすことができるからだと述べる。さらに、この観念は物による「浸透作用」によって形成されることが述べられるが、この「浸透作用」というとらえかたは、ポンジュの独創性を際立たせるものである。というのも、この作用はそれまでの西欧の伝統が保持し続けてきた「人から物へ」と全く反対(「物から人へ」)の働きかけの方向を持つからである。「人間の魂は他動詞的であり、直接補語のように働きかけるobjetが必要である」と詩人 ヘ述べる。人が物に一方的に人間的な要素を貼り付けることをやめ、物からの作用の受け皿として存在しはじめたときから、人と物は仲直りするわけである。このような新しい関係を打ち立てることによって人と物を「調停する(仲直りさせる)人 r残onciliateur」、それがブラックであり、それは同時にポンジュの立場にほかならなかったのである。~
 ジャコメッティについてのテキスト『Joca Seriaーアルベルト・ジャコメッティの彫刻についての覚書』(Joca Seria-Notes sur les sculptures d'Alberto Giacometti, 1951)は、第二次大戦後の危機の時代を生きる同時代人として共通のテーマ(虚無や不条理など実存主義に近いテーマ)が取上げられている興味深いテキストであるが、このテキストからはこの彫刻家がポンジュの創作形式の移行に与えた影響をも読み取ることができる。ポンジュはジャコメッティの細く痩せた人物像に戦後の ・@の時代を生きる人間とそれを取り巻く外界との対比を見ていた。人間の存在は既存の価値の崩壊や虚無に直面した苦悩や不安、孤独、不条理感によってますます脆く、はかなくなっていくのに対して、それをとりまく外界の存在は強烈であり続けた。ジャコメッティの人物像が縮小を続けていくのは、決して至ることのできない外界の存在の強烈さ(intensit・d'腎re)を表現しようとしたためであると詩人はとらえる。そして、それはまさしくポンジュが「爆弾形式」という典型的な散文詩の形式から、自由闊達な「詩的日記」という形式に移行したのと同じモラルから生まれるものだと述べる。「爆弾形式」の作品のように決定稿のみを示すことは外界の存在の強烈さ、多様さを切り捨ててしまうことになると考えた詩人は、下書き状態で作品を提示する「詩的日記」という形式によって、対象についての描写の限界を取り去ろうとしたのであ 。この形式による作品は、そのほとんどが十数ページにわたる長いものとなり、それまで「短さ」「簡潔さ」で定義されてきた散文詩のありかたから大きく逸脱していくものとなる。彼等の表現が、ポンジュにおいてはどこまでも膨張し、ジャコメッティにおいてはどこまでも縮小していくというように従来の表現形式を打ち破っていったのは、彼等の創作の根源に「外界の存在の強烈さ」という共通の認識があったからにほかならない。さらに、詩人はジャコメッティの作品の中に「不完全さの持つダンディズム」を見、下書きの状態で作品を提示する「詩的日記」という形式に確信を高めていくのである。詩人はこのジャコメッティについてのテキストを脱稿した一年後の1952年に、それまで書き溜めてきた「詩的日記」の形式の作品を『やむにやまれぬ表現の欲求』(La Rage de l'expression)というタイトルのもとで刊行する。

アポリネールの詩における盲目のイメージ - 森田郁子(同志社大学非常勤)

 アポリネールの『カリグラム』は感覚を、中でも視覚を重要視した詩集といえる。なぜなら第一次世界大戦前に書かれたが、出版されずに終わったこの詩集の原型ともいうべき16ページのアルバムは、『彩色された抒情的なイデオグラム』と題され、作者の名前の下に<そして私も画家である>と記される予定であったからである。その上アポリネールが数多くの画家の友人を持ち、当時無名であった彼らの絵画を積極的に評論で取り上げたことからも、いかに彼が視覚に重点を置き、詩の造型を視覚に触発されたかが理解される。それなのに、この詩集にはaveugleという語句が5つの詩で使われている。なぜだろうか。現在まで研究者たちは、盲目や盲人にアポリネールの詩人としての能力不足、または力を見出せないもどかしさを見ている。しかしそ _黷セけだろうか。見えることと見えないことはその境界線が曖昧である。いや、むしろお互いがせめぎ合っていると言える。なぜならアポリネールの作品の中で盲目のテーマは頻度としては多くはないが、彼のオプセッションの一つであったと思われるからである。アポリネールが生涯を賭けて完成したと考えられる二つの小説『腐っていく魔術師』と『虐殺された詩人』で盲目のテーマの典型を見ることができる。『腐っていく魔術師』はお互いに相手を見ることのできない(見ると命に関わる)闇の中での愛の行為により生まれ、しかも湖の精によって墓の闇の中に永遠に閉じ込められてしまう。魔術師は自分の目で見たものは何もない。また『虐殺された詩人』では詩人であるクロニアマンタルが詩人撲滅運動の嵐のさなかで殺される時、まず攻撃を受けたのが眼である。男にまず右目をステッキで抉られ、次にかつての恋人によって彼女の傘の先で左目を抉り取られる。そして盲目となる瞬間に、かつての恋人への愛を自覚する。つまり真実を知ることと f詩人として存在することとは、見ることと見えなくなることとのせめぎ合いを賭けて可能なのである。また詩「ゾーン」のラザロに鮮やかに示されているように、主人公つまり詩人としてのアポリネールは聖書のラザロとは逆の方向に進み、墓場に入る。これは、しかし、第一次世界大戦塹壕の中で死闘を行ったアポリネールの現実そのものでもあり、上に示したように『腐っていく魔術師』の在り方と同じなのである。聖書の蘇ったラザロは日の光で眼くらましを受ける。その時に見た真実、塹壕という墓場で見た真実、ここに<腐っていく>魔術師としてのアポリネールの詩人の姿が重なる。しかも、ラザロ−アポリネールは墓場-塹壕に留まっていない。『虐殺された詩人』で作られた詩人の記念像が、虚無したがって空洞でできていることから象徴されるように、詩人は盲人のまま永遠に地上をさまよってもいるのである。『テレジアの乳房』のテレジアは盲目の予言者である。盲目は単に詩人としての力不足を表わしているのではないと思われる。詩『勝利 8xにある<手を振り回す>動作は、手探りであると同時に魂を呼びこむ詩人としての魔術的な行為であると解釈できる。~
 しかしアポリネールは以上のことを戦争体験によって強く意識させられたのである。彼は前代未聞の戦争に従軍することによって、通常の時間空間感覚を喪失した。その上言葉の喪失の危機にも曝された。彼は巨大な無限の虚無に吸い込まれる恐怖を味わう。おそらくその虚無から詩人としての存在、ひいては人間を救うために、言葉によって、戦争という現実と自分との間に距離を置こうとしたのであろう。彼は戦場からおびただしい数の手紙を複数の恋人たちに送った。そして、その手紙、また戦場で書かれた詩の言語は盲目の言語、つまりアポリネールの言葉を使って言えば