第6回ボードレール研究会

司会者報告 - 丸瀬康裕(関西大学非常勤)

 今回は、発表時間の都合により、1名ずつ場所を変えて2回に分けて研究会を開催しました。3月6日(月)午後1時より関西大学において三好美千代氏が、3月28日(火)午後3時より大阪芸術大学において山田兼士氏が、それぞれ発表されました。参加者は6日が9名、28日が7名でした。発表者はそれぞれたっぷりと時間をかけて研究報告をされ、その後質疑応答が交わされました。今回はランボーについての発表もありましたが、今後は「ボードレール研究会」という看板を掲げながらもボードレールだけに限定せず、19世紀から20世紀をも視野に入れた、詩とその周辺についての、広く開かれた発表と議論の場として活動していくことが望ましいのではないかと思われます。次回はランボーアポリネール fの発表がある予定です。関心をお持ちの多くの方に参加していただければと思います。~
 三好美千代氏「ランボーが読んだボードレール---見者の手紙以降の詩の解読のために」ランボーの中にボードレールの痕跡はあるか?ランボー詩の中にその痕跡を探ろうとするのが三好氏の試みです。たとえば、「盗まれた心臓」における、ふつう「嗅ぎ煙草」の意味に取られている《chiques》は、ボードレール「1846年のサロン」の《Du chic et du poncif》の《chic》を、脚韻のために《chique》と綴り直して使用したものであり、サロン評における「絵画技法」の意味が生かされているのではないかとして、ランボーのこの詩を、プラトンの『国家論』の設定に引き寄せて解釈しようとされました。その他にも、ボードレールの「墓」、「妄執」「月の悲しみ」などとランボーの「僕の可愛い恋人たち」や「花について詩人に語られしこと」との語句の共通性を指摘されて、ボードレールの使用例からランボー詩の解釈に応用されました。これまでも、若干の初期韻文 F高竅A『イリュミナシオン』中の「陶酔の午前」などの例が指摘されているものの、ランボー詩にボードレールの影を見ることはかならずしも容易ではなく、三好氏の指摘はそれぞれ興味深いものであると思いました。しかしこうした考察が、資料的な価値を越えて、ボードレールに反応するランボー詩解釈の論考として成立するには、指摘は散発的ではなく有機的な方向づけがなくてはならないこと、そして、共通語句がなんらかの影響関係を示すというためには、山田氏の指摘にもあったように、ボードレール詩における用例の特異性の論証の手続きが必要でしょう。また、ボードレールを「神」と呼びながら否定する「見者の手紙」以前の詩と「手紙」以降の詩を分けて、もしボードレールの痕跡が認められるならば、それがどのような変化を見せるのかという視点などがあればさらに面白いと思いました。~
 山田兼士氏「ボードレールと丸亀美術館のコロー---「憂愁」理念のさらなる理解のために」『悪の華』/近代/19世 悠的なもの/韻文詩/というパラディグムに一括して対応する理念として「メランコリー」があり、そこから、『パリの憂愁』/現代/20世紀的なもの/散文詩/に対応する「スプリーン」理念へ移行する、というボードレール詩学の構図を想定する山田氏は、そこに、カミーユ・コローの1850年代から60年代にかけての肖像画の変遷を当てはめ、読み解く試みを示されました。50年代に描かれたとされる「メランコリー」と題された肖像画について、その標題、背景、表情、眼差しなどから空間性や内面性の欠如を指摘され、これを「メランコリアの系譜」に属する作品とし、その後の数点を経て、丸亀美術館所蔵の「考える若い女、あるいは瞑想」という66年-68年の作品に、拡がりと精神性の中に充溢する「スプリーン」の理念を探ることができるということを、ボードレールのサロン評の検討によって立証されようとしました。映像資料を示されながらボードレール美術批評の中からコローおよび肖像画についての言及部分を詳細に読み込んで、大同小異とも見えかねない10点ばかりのコローの肖像画についてボードレー ル美学の反映を示す一貫した変化の流れを跡づけられました。ただ、コロー側のボードレールに対するなんらかの反応の事実や、当時の象徴主義的風土への理解が十分に検討されないままに、ボードレール美学をコロー絵画にそのまま適用することにはいささか無理があるのではないか、それに、分析そのものがやや予定調和に過ぎるのではないかという印象も拭えないところです。「スプリーン」理念というチャートの中にコローというテクストを読み込むよりは、むしろ「スプリーン」理念そのものを揺るがすような対象の析出によって理念理解に未知の深まりを発見してみてはどうでしょうか。

ランボーが読んだボードレール ―見者の手紙以降の詩の解読のために - 三好美千代(関西学院大学非常勤)

 二通の「見者の手紙」を境にして、ランボーの詩は突然その行儀良さをかなぐり捨てる。詩を書くすべを知り、周囲を驚かしていた天才詩人は、「手紙」以降、もう人の反応を窺いはしない。文学的状況に、普仏戦争、パリコミューンなどの当時の政治的 X要素が絡んで、何がランボーにそうさせたかを即断するのは難しいが、その前段階として、ランボーの変化の過程をテキストの中に辿ることはできるように思われる。ただ、ランボーの言葉は、「見者の手紙」を見ても分かるように、若者特有の性急さがあり、説明性に欠けている。しかし、ランボーの思考の流れは、ランボーが読んだ書物との関連で考えていくと、そうした書物の助けによって、はっきりと浮かび上がってくる。~
 さて、ランボーの読んだ書物の痕跡を、詩の中に辿ることが出来ないだろうか。ランボーがどういった書物を読んだかという情報は、「手紙」が我々に与えてくれている。そして、「手紙」に添えられた詩が四篇あるのである。《処刑にされた心臓》にプラトンの『国家論』のモチーフを読み取れるというのが、論者の議論の出発点であったが、同様な方法を用いて読んでいくと、《僕の可愛い恋人たち》にはボードレールの『悪の花』を読んだ痕跡がはっきりと読み取れる。ここで痕跡というのは、ボードレールの 2「くつかの詩に対する、内容を踏まえての異議ないし、揶揄が読み取れるということである。「手紙」の中で、見者ではあるけれども、あまりにも芸術的過ぎる環境で生きたと断罪されたボードレールの『悪の花』は、ランボーの《僕の可愛い恋人たち》を初めとするいくつかの詩の中で、具体的に、攻撃されているように思われる。一例をあげれば、「Fade amas des toiles rat仔s(失敗したキャンバス画の精彩のない山)」と書くべきところを「Fade amas d'師oiles rat仔s」と読み替えている箇所である。師oileとtoileが脚韻として、ボードレールの詩に用いられていることは注目に値するだろう。ボードレールが詩を絵画に引き寄せている詩《妄執》と《亡霊1、暗闇》では、詩人は神によって暗闇というキャンバスに画を描かされている。ランボーはそれを受けて「お前たち(師oilesないしtoiles)はおぞましい心配りを背負って神の手の中で死ぬだろう。」と言う。ランボーの詩に神は必要ない。 Qランボーの目指す詩は、ボードレールと決別したところに生まれるのだ、という自負が、読み取れるのである。《僕の可愛い恋人たち》には、他に詩人を木に喩える部分があり、それがボートレールの《祝福》の設定と合致するし、「黒い醜い娘」が《亡霊4、肖像画》の「人生と芸術の黒い暗殺者」すなわち「時間」を思わせるなど、『悪の花』の様々な詩のテーマを取り出していると思われる箇所が随所に見られる。~
 また、当時高踏派のリーダーであったバンヴィルに送られた《花について詩人に語られたこと》の中では、花が「面頬(=まぶた)をつけた下らぬ星たち(astres)が色で養ったこの泣いている丸々と太った赤ん坊の植物たち」と語られ、この「星たちastres」を、《生ある松明》で「私(詩人)の魂の目覚めを謳いあげつつ」歩き、詩人を「美の街道」へ導く「星たちastres」、すなわち女性の目とすることで、この表現が了解可能となる。「色で養った」は《陽気すぎる女へ》の中の「衣装に響き豊かな色を撒き散らし /、詩人達の心に花の踊りの印象を投げ与える」「不調和でけばけばしい色を取り混ぜた精神」の持ち主を考えると納得がいく。これもボードレールの見事な詩に対する揶揄となっている。
 以上、論者の恣意性が顕著で無理があるものを取捨選択していかねばならないだろうが、ランボーが根拠なしに、いたずらに難解さを衒ったとは考え難く、テキストに論理的な整合性を求めるべきであろう。こうしたランボーの方法は後の『イリュミナシオン』の詩にも見られ、ランボーがどういった書物を読んでいるかは、彼の詩の研究において、無視できない要素と思われる。テキストの分析は近年かなり進んできており、注釈書もそうした研究を受けてかなり様変わりをしている。伝記研究と平行して、ランボーの難解さを解消し、かつ彼の論理性に目をむけるための、テキスト解釈の大掛かりな作業が待たれる。

ボードレールと丸亀美術館のコロー ―「憂愁」理念のさらなる理解のために - 山田兼士(大阪芸術大学

 丸亀美術館が所蔵するカミーユ・コロー(1796-1874)の「考える若い女、あるいは瞑想」(1866-68年頃)は、色彩といい構図といい、コローの数多い作品の中でも傑作の部類に属すると思われるのだが、作者の没後早い時期に国外流出したこともあって、研究者の間でもあまり知られていない作品である。コローの作品で一般によく知られているのは風景画だが、数少ないながら人物画も評価が高く、特に、晩年にひそかに描かれ死後に公表された作品群はドガやブラック、ピカソら多くの画家たちに啓示を与えたと言われている。コローの風景画はしばしば「音楽」に喩えられ、また「詩的」と称されることも多い。では、コローの人物画についてはどうか。風景画の場合と同じように音楽的あるいは詩的と呼びうるものであるとすれば、それはどのような根拠によるものなのか。本研究では、この画家の特徴とされる「 zケ楽」および「詩」の概念がボードレールの美術批評と深く関わっているのではないか、との仮説を立て、その証明を丸亀美術館のコローに求めてみた。~
 晩年、コローは女性をモデルに肖像画を集中的に描いており、特に、「瞑想」と同様のポーズの女性像を多く残している。これらは「詩」や「読書」や「手紙」等を題名にしていることからもわかるように、いずれも文学的あるいは内省的な主題をもっている。丸亀のコローもまた、これらの系譜に属する作品であり、画家晩年の人物内面に対する興味のあらわれと言える。これに対し、コペンハーゲン・ナイ・カルルスベルク美術館所蔵の「憂鬱(メランコリー)」は、丸亀のコローよりかなり前に描かれたと推定(1850-60年頃)される作品で、「瞑想」との共通点と相違点はともに明らかだ。右手を顎に置いて首をやや傾げ、左手はゆったりと下に伸ばしている。どちらも物思いに耽るポーズであり、伝統的な「メランコリー」の図像を踏まえていると言える。しかし、これら二作品を並べて見た場合、そうした共通点があるか s轤アそ、相違点もまたいっそう明らかだ。まず、目の表情が、「憂鬱」では虚ろに見開かれているのに対して「瞑想」ではより内省的にほぼ閉じられた状態に描かれている。次に、背景の描き方の違いが際立っている。「憂鬱」ではほぼ無地の背景がこの人物の空虚、孤独、曖昧な不安、といった内面を表しているのに対して、「瞑想」の背景を成す森の木立と半円形の空は、そのままこの人物の内面の風景のように感じられる。叙情的で神秘的な森の情景が「瞑想」されているのであって、これは単なる「憂鬱」の描写ではない。「考える若い女」というもう一つのタイトルが示すように、ある積極的な意志を感じさせさえするのである。それらの要素をすべて要約しているのが、題名に示された「憂鬱」と「瞑想」の相違ではないだろうか。つまり、無意志的な感情の表現である「憂鬱」に対して、「瞑想」ではより意志的な憂愁spleenの精神の表現が試みられているのである。~
 ボードレールの「サロン評」をたどっていくと、彼がコローの風景画に肖像画でこそ発揮される ナラき特性を読み込んでいたかのような記述に出会う。そもそも風景画を「人体の構造になぞらえる」と述べたり、逆に、肖像画の理想を「空間と夢想に満ちた一篇の詩」と、まるでコローの風景画にこそふさわしい形容で表現しているところに、ボードレール自身の風景と人物の照応correspondanceの詩学の一端が見られるのであって、彼がコローに肖像画の理想を期待していた可能性が窺われるのである。更に、晩年の韻文詩「瞑想」(1861年)では、「人体になぞらえ」られたいくつもの抽象名詞がそっと身を寄せ合うように空間に配置され、穏やかな夕暮れの景色が詩人の内面を等身大で映し出し、そこに詩人の「憂愁」が静謐な叙情を伴って描き出されているのだが、この詩と、コローの最後の作品となった「青衣の婦人」(1874年)の間には、密かな照応が感じられる。衣装の深い青と背景の黄昏めいた暖色の光との穏やかなコントラスト、雅で慎ましい瞑想の姿勢、物憂げで深い目の表情と優美な肘から首への曲線。要するに、「憂愁の詩学」の顕現とも言うべき肖像画なのだ。ボードレールとコローのそれぞれ晩年の作品が、ジャンルを越えて同じ憂愁の音楽 ソを奏でているのである。~
 <追記>本研究は口頭発表後の修整と再考を経て既に論文として脱稿しており、今秋刊行の『藝術』23号(大阪芸術大学)に掲載の予定である。司会者の(辛口の)批評にどの程度答え得たかは(あるいは反論になり得ているかは)結果を見て頂くしかないが、いずれにせよ本研究会の活動の意義の一端を読み取って頂ければと願っている。