第15回ボードレール研究会

今回の研究会は11月16日(土)、大阪日仏センターに場所を借りて開催されました。参加者は17名と盛会でした。

まず北村卓氏が「岩野泡鳴とボードレール」と題して発表されました。シモンズ『表象派の文学運動』の訳者としてわれわれにも馴染みのある名前とはいえ、泡鳴とボードレールとがなぜ、いかにして関わり得るのだろうかという新鮮な驚きは、細やかな手続きを経た論証ののちには、手ごたえのある納得とさらなる好奇心へと変わっていました。当時としては突出した泡鳴のボードレール理解を例を挙げて指摘するだけでなく、泡鳴の実生活と作品とを丹念に追い、個人的な資質および時代的な状況、および文壇における作家の位置など多角的な方向から、泡鳴のボードレール受容を明らかにされました。

シモンズ『表象派の文学運動』の翻訳者でありながら、これまでほとんど指摘されることのなかった泡鳴の、日本のボードレール受容史において果たした役割の重要性を示唆された今回の発表は今後の展開が大いに期待されるだけでなく、「明治・大正期における日本の文壇とボードレール」という北村氏のひとつの大きな研究テーマの核を形づくるようにも思います。多岐にわたる活動をした泡鳴は実生活の破綻がひどく、その研究は敬遠されてきたとさえいえる。死後の評価は概して低く、それゆえ、多くの詩を訳出し、大正・昭和の詩人たちに大きな影響を与えたと考えられる泡鳴について、比較文学の分野ではまだ十分に研究されているとはいえない、という北村氏の発言は自らを鼓舞する決意の言葉として受け止めることができました。その結実が大いに期待されるところです。

発表後、現在でも入手できる泡鳴作品にはどんなものがあるのか?、ゾラの影響は?…など、多くの質問がつぎつぎに出され、泡鳴に対して芽生えたわれわれの関心を証していました。

 次いで森田郁子氏が「アポリネールの『ルー詩篇』について」発表されました。戦争体験によって詩が書けなくなったアポリネールというクリシェを闇雲に受け入れることなく、当時の詩が抱えていた問題のなかでなぜ書けなくなったのか?、その理由を後期詩篇のうちに探ろうとする意欲的な発表でした。森田氏は以前、詩人としての行詰まりを示すという点のみが強調されてきた「盲人」のテーマ系を読み換えることによって、新たな角度からアポリネールの後期作品に光をあてられていたが、今回は「ルー詩篇」に登場する女性の装身具、とりわけ指輪に注目し、詩人の創作方法およびその問題点を明らかにしようとされました。まず「ルー詩篇」には、具体と抽象の往来から最後には抽象へと向かうベクトルが見出されると述べ、具体的な例をあげながら、モチーフを暗示する「包括的単純化」という詩人の手法を分析されました。つぎに円環を形作る三つの「ルー詩篇」:「露営の火」「蠅のうず」「騎士よさらば」において、一人称から三人称へと移行、そしてそれが消失する。いわば物語に「私」が食われ、さらには主人公が、物語を支えるものがついには消えてしまうことを指摘。抽象性と円環性を象徴している指輪、つまり詩がもはや主人公「振られ男」を復活させ得ないのであり、アポリネールは作るべき「fableの種」の形成に失敗する。このことが詩人の書けなくなった理由ではなかったかと結論されました。テクストの構造そのものが必然的に孕んでしまった書くことの不可能性を指摘した刺激的な発表で、今後も森田さんの透徹なまなざしから、さらに興味深いアポリネールの姿が捉えられることが期待できるように思いました。

 研究発表終了後、懇親会に場を移したのちも、和やかな雰囲気のなか、活発な議論が夜遅くまで交わされました。


 ボードレールは、今日に至るまで日本の文学・思想・芸術・批評などの幅広い分野できわめて大きな影響を与え続けてきたが、その最初期、すなわち明治から大正期についていえば、日本の近代化(文学においては新たな言語と主題の獲得)という時代の転換期にあって、その受容は混沌とした様相を呈していた。

 とはいえ、こうした一見捉えがたい状況をもう一度近代日本の黎明期という時代背景の中に据え直してみれば、当時の文学界において、自然主義耽美派の対立構図のもとに、「ボードレール」が一つの記号として流通していた事態が浮かび上がってくる。田山花袋たを中心とする自然主義側からの「病的」「悪魔主義的」「芸術至上主義的」「退廃的」といった皮相的な紋切り型の批判に対し、例えば上田敏は、西欧の最新の文学潮流を踏まえつつ、ボードレールヴェルレーヌ、高等派をへてマラルメへと至る象徴派の系譜の中に位置づけようと試みていた。

 しかしながら、明治末から大正初めにかけて、ボードレールは、こうした記号的解釈から次第に解き放たれ、とりわけ耽美派永井荷風谷崎潤一郎らの文学的思想形成において重要な役割を果たしてゆくことになる。一般に自然主義の側では、ボードレールは相変わらず、批判すべき対象である耽美派の一つの記号として見なされていたが、ここで特筆すべきは、自然主義を代表する作家とされる岩野泡鳴(明治6−大正9)の存在である。

 泡鳴は、アーサー・シモンズ著『表象派の文学運動』の翻訳(大正2)を通してボードレールへの理解を深め、大正4年には、Symons, Nordau, Sturm, Hunekerといった当時日本で入手しうる文献の多くを渉猟し、『悪魔主義の思想と文芸』を上梓する。ここで泡鳴はボードレールの思想を「悪魔主義」と定義するが、そこには批判的な意味合いはまったくない。逆に「膚浅な常識、通俗な感情、並びに平凡な俗美の技巧に対する勝利の凱歌」として積極的な意義を付与するとともに、「ボドレルのこの主義は、思想としては旧世界の生活を一新して、所謂『近代性』発展の道を開拓」したと述べており、当時としてはかなり正当な評価を下している。さらに、大正8年には「一元描写の実際証明」と題された論考において、自らを「小説世界のボドレル」と位置づけるまでに至る。そして田山花袋を、物事の表面しか捉えようとしない「物質的自然主義」「物質的表面描写」として斥け、「内部的自然主義」に基づいた「一元描写」論を展開してゆくのである。

 岩野泡鳴といえば、物議を醸し出した数々の言動や行動もあって、現在でもなかなか評価の定まらない作家であるが、今後ボードレールという一つの鏡を用いて、彼の作品をさらに詳細に分析し、その世界を照射してゆきたい。


 アポリネールにとって詩は<造形の三つの徳>(1908年6月)を述べた時から繰り返し言い続けているように、生の現実をそのまま写したものではなく、そのtransformationである。『アルコール』以後で、彼が生の現実をどのように変形し、その結果表現された世界はどのようなものであったかを、『ルーへの手紙』の中の最後から二番目の連作「露営の火」「蠅のうず」「騎士よさらば」(1915年9月)を検討することで考えてみる。

 これらの詩はルーのみへの愛情の中でかかれたのではなく、絵に添える詩を書いてほしいとローランサンに頼まれたのがきっかけであり、元来は七つの詩で構成されている。少しずつ言葉をかえて、ローランサン、ルー、マドレーヌに贈られた。これらの詩をとりあげる理由は、依頼され、そのうえ複数の相手に贈ったという動機や状況はどうであれ、これらの詩は手法から見て、晩年の最も澄み切った作品と言われている『恋に命を』に繋がっていく作品であり、アポリネール後期の作詩法を知るのに適していると思うからである。

 第一のtransformationの特徴はその抽象化である。具体と抽象の往復運動からしだいに抽象へと向かう。たとえば、「露営の火」では悔恨と後悔という抽象名詞の後に<剥けた一粒の苺>という生々しい言葉がくる。同じ手法が<想い>(les songes)と<からんだ枝>(l'entrelacs des branches)にも見られる。韻を見てもfraise, braiseはともに色が赤であるが、一方は有形の円であり、他方は無形である。色も形もないsongeから丸いfraiseを経てまたbraiseの無形となる。ここには時間の経過とともに具象−抽象の往復運動がある。さらにまた同じ単語が具体と抽象の橋渡しを担う。例えば「蠅のうず」の蠅である。戦場の死体に群がる生々しくも具体的な蠅が彼にとっては生命と死の象徴である。またこの抽象化を増幅しているのが三人称である。「露営の火」では主体が詩の背後に隠れていたが、「蠅のうず」と「騎士よさらば」では三人称となっている。彼自身がマドレーヌへの手紙の中で言っているように、一人称が三人称となり、語りの主体が物語(petit roman guerrier)という枠の中に吸収されている。過ぎ去った恋、過ぎ去りつつある恋、これからの恋、という三つの恋をかけもつ当時のアポリネールの複雑な心情を変形、抽象して単純な物語を形作っている。

 このような抽象に対するアポリネールの考えは1904年のピカソの絵画との出会いによってすでに断固としたものになっており、現実を抽象化することにより現実とは別の世界を詩においても作り上げようとした。戦後の彼の評論における言葉を使えば、「レアリテを解釈するとこがとりわけ重要である。モチーフはもはや再現されず、相対立するものを両立させる<包括的単純化>schématisation intégraleとでも呼べるものによって、モチーフは暗示されるのである」(1917年5月)。アポリネールの後期の詩はこの暗示によって淡い影のようなものになっている。

 第二のtransformationの特徴は連作詩の閉じられた円環性である。この連作詩はローランサンに宛てられたときには"Médaillon toujours fermé"と題されていた。このことが端的に示すように、これらの詩は一つの閉じた環を作っている。一つ一つのつながりは音韻、意味ともにずらしながらつながっていく(露営のゆらぐ火→苺→燠火→バラ→地獄の花々)。詩集に入った決定稿(1917年)の改変で一艘その円環性を強める。(北風→おまえのため息にまじる風)。そのうえ最後に三人称の主人公が死ぬことによって環が閉じられる。詩の中の単純過去と指輪の嘲笑の半過去は連作詩を枠の中に閉じ込める働きをしている。『アルコール』で愛されぬ男がことばの力によって甦ったのに対し、『ルーへの手紙』では最後の詩の中の墓碑銘が示すように、愛を失った男は指輪の力と言葉の力によってもはや蘇らず、死ぬ。手紙全編であたかも通奏低音のように繰り返し語られる愛するものに贈る戦場の指輪はこの抽象性と閉じた環を暗示する。しかも指輪の力によっていまや愛も詩中の主人公も復活しない。こののち愛の喪失をもはや歌い続けなくなったアポリネールは、それまで<振られ男>としての詩の原動力を見出していたがゆえに、そのテーマを見失ったと言えば、言い過ぎになるのだろうか。

 アポリネールの後期の作品に見られる盲目のテーマは、彼の創作に対する不安を強く表わしていた。『カリグラム』の最後の詩である「勝利」と「かわいい赤毛の女」で率直に歌われるその不安の中心は何か。何を把握しかねていたのか。何に失敗したと思っていたのか。その答えの一つが、上で述べたように、彼が主張した概念であるschématisation intégraleそのものにあるのではないだろうか。