第22回ボードレール研究会

司会者報告 - 山田 兼士 (大阪芸術大学)

 第22回ボードレール研究会は、2005年7月30日、関西大学で行われました。参加者は12名。発表者は、当研究会では初めての発表となる和田ゆりえさんと、今回で3回目の秋吉孝浩さん。
 和田ゆりえさんの発表「バタイユボードレール − 詩への憎しみ」は、サルトルの「ボードレール論」への反論として書かれたと推察されるバタイユの論考「Baudelaire mis à nu 赤裸のボードレール」(1947年) を中心に、「悪」と「詩」のテーマを掘り下げようという試み。「詩の本質としての悪」というモチーフをボードレール作品に読み取ったバタイユが「有益なもの」を「善」とするサルトルを否定する意図をもって「悪」の哲学を称揚した経緯を論じた後に、バタイユ自身の詩作品をボードレールの詩「憂愁 Spleen」(『悪の華』第2版中78番目) と比較検討して、「死を媒介とする世界との交感」を両作品のうちに読み取っていく、という展開は非常にスリリングで刺激的なものでした。小説家でもある和田さんらしく、精妙なプロットを感じさせる発表といえるでしょう。質疑応答では、「憎しみ」という主題の確認や、両作品に見られる「旗」の意義についての討議がなされました。共に垂直軸を示す2本の旗が、一方では上から下へ、他方では下から上へ、という正反対のベクトルをもっていることの意味など、さらに興味深い展開がありそうです。
 次に、秋吉孝浩さんの「美術批評家としてのゴーチエ −歴史画をめぐる言説」。詩人・作家として高名なゴーチエは多くの美術批評をも残していますが、ボードレールの美術批評と比較して、従来あまり高く評価されてきませんでした。秋吉さんは、その主な理由を (1) ゴーチエの評価基準が甘すぎること (2) スペイン趣味による偏向が見られること、と要約した上で、歴史画論を中心に据えて、その再評価を試みました。ジェロームやメソニエなどの絵画作品を具体的に検討しつつ、ゴーチエの美術批評の方法をフォルムへの志向に結び付ける論点などは大変魅力的なもので、できればこの点をゴーチエの詩作品への評価に重ねて論じられないかとの期待を抱かせました。質疑応答では、一般に「折衷主義」的と評されるゴーチエの美術批評の独自性がどのあたりにあるか、などの議論が行われました。私個人としては、非常に手堅く専門性の高い発表であるだけに、この研究をゴーチエの文学作品研究に結び付けると共に、ボードレールとのより全面的な比較検討に発展させてほしいと考えています。

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第22回研究発表要旨

美術批評家としてのゴーティエ ― 歴史画をめぐる言説 - 秋吉 孝浩 (大阪市立大学非常勤講師)

同時代のボードレールの美術批評に比べると、ゴーティエの美術批評は研究対象となることが少なかった。しかしゴーティエは、当時の美術界を誰よりも明晰に見据えていた批評家であったといえなくはないのである。そして、その明晰性は、彼のフォルムへの偏愛とからみあって独自のものとなっている。歴史画に関する彼の言説をみていくことで、その一端を示すことがこの発表の目的である。
「歴史画」とは、ゴーティエにとって、多くの同時代の人々がイメージしていたのと同様、ダヴィッドを代表とする帝政期、王政復古期の画家たちが制作した、ホメロス的な神話や聖書に書かれた逸話などを取り上げた、ある程度の大きさをもった絵のことであった。そして、こうした主題の正統性は、1836年においては、「芸術は過去のポエジーの結晶作用でしかない」という主張と結びつき、「模倣」と「ファンテジー」という芸術の二要素が、「ファンテジーはあらゆる時代に属している」が、「模倣は、すでに起こった出来事や、そのフォルムが固定した事実や対象のためにしかあり得ない」というように説明される。
 しかし、ゴーティエは、ボードレールとの影響関係のみられる1845年から1847年の現代生活の英雄性に関する議論を経て (Stéphane Guéganの諸論考参照)、実際の絵画制作の変貌を前に、歴史画を新たな方向から評価していくことになる。
 まず1849年には、アンティーニャの « 寡婦 » を論じて、労働者である夫を亡くした貧しい妻の姿に、アンドロマクの悲劇に取って代わり得るドラマを認め、1851年のクールベの « オルナンの埋葬 » に関しても、同じくアンドロマクを例に引きながら、現代の無名の人物から歴史画に描かれるに相応しい悲劇性や「魅力的な人間の側面」を引き出すことができると主張している。ただし、そこには、1855年にイギリス絵画を論じる際に述べられているように、「構成の英雄的な表現」が必要とされる。
 こうした点が極端に突きつめられていくのが、ボードレール同様、絵画において従来のジャンルが行き詰まりをみせているという認識をゴーティエ自身せざるを得ない1859年になされた、ジェロームに対する評価である。
 « カエサル » という、暗殺された直後のカエサルの死体のみを大きく描いたこの作品を、ボードレールは、見る者の記憶を刺激する点で評価する。それに対し、ゴーティエは、「拡大し、理想化し、英雄的な状態に変貌させた、ある断片にすぎない」とする。なぜならば、「ポエムは記憶の妨げとなってはならない」からである。ここには、ジョルジュ・プーレが、黒い眼をした金髪の女について、ネルヴァルとの比較において語った、ゴーティエのもつ傾向、「その人物像を過度に明確化し、過度に確定しようとするために、それが凝固し、石化し、その活力と独自性を失う」というゴーティエの言説の特徴が明らかに見て取れる。しかしながら、メソニエの1851年の問題作 « バリケード » に関して、「あの本物の真実の一見本」という矛盾した表現を取ってしまうゴーティエは、ある意味において、時代のイデオロギーを逃れる明晰さをもっていたのではないか?「真実」がイデオロギーであるとすれば、ゴーティエのフォルムに対する執拗な問いかけは、それを突き崩すものとなる可能性をもつからである。当時問題となっていたレアリスムの問題も含めて、ゴーティエの美術批評のもつこうした意義を考察していくことが今後の課題となる。

バタイユボードレール ― 詩への憎しみ - 和田 ゆりえ (関西大学非常勤講師)

 ジョルジュ・バタイユ (1897-1962) は 1947年、雑誌Critiqueの8-9号に « Beaudelaire mis à nu » と題したボードレール論を発表、1957年に刊行した評論集La Littérature et le malに再録している。これはもともとサルトルが1946年に発表したボードレール論を受けて書かれたものであり、ボードレールを子供時代へのノスタルジーにとりつかれた不毛な反抗者としてとらえ、「悪」を個人の問題に矮小化するサルトルに対し、バタイユはあくまで「悪」を詩の本質に位置づけた上で反論を試みている。バタイユにとって詩とは、サルトルの代表するような、未来に現在を従属させる「投企」の地平の対極に位置するもの、主体と客体の一体化のうちに身を焼き尽くす、彼のいわゆる「内的体験」の言語による表現形式にほかならない。だが「体験」は本来紙の上に固定することのできないものであり、書かれてしまった詩は結果として詩の反対物に帰着する。こうした「不可能性」ゆえに、ボードレールの生涯は苦悶に満ちたものにならざるをえなかったとバタイユは結論づけている。ボードレールこそは、バタイユにとって詩の不可能性をもっとも遠い地点にまで押し進めた作家であった。
 バタイユ自身も詩を書き、44年にArchangélique、45年にはOrestieという二冊の詩集を出版している。後者はその後、1950年に出版した小説La Haine de la poésie (のちに改訂してL’Impossibleと改題) に組みこまれた。そのなかで彼は、「詩への憎しみの感情のなかで全うする詩の意味を究めた」詩人として暗にボードレールを称え、「詩の非・意味にまで自らを高めない詩は虚しい詩、きれいごとの詩にすぎない」と述べている。そこには形式の洗練へと堕していったブルトンはじめシュルレアリストたちへの反感が透けて見える。だがいわゆる「美しい詩」を断固として拒否し、つねに限界線のかなたに逃れ去っていく「体験」を、そのつど意味の地平へとつなぎとめようと苦闘しつづける結果、彼の書く詩は一種の反復にならざるをえず、つねにおなじイメージ、おなじ運動へとほとんど強迫的な執拗さをともなって回帰していく。本発表では、『無神学大全』第3巻、Sur Nitzsche (1945) 第3部の日記中に挿入されている無題の詩篇を取りあげ、それが『悪の華』78 « Spleen » のイメージを色濃く反映しつつ、バタイユ独自の体験の表現へと変奏されていくさまを跡づける試みをおこなった。
 « Spleen » 78では、頭上に蓋のように重くのしかかる空と、« nos cerveaux »、« mon crâne » の語で表わされるボードレール自身の内面が、マクロコスモスとミクロコスモスのように、おなじ中心をもつふたつのドームとなって重なりあう構造が見てとれる。孤独な個人と宇宙全体との聖なる交流を絶対的なテーマとしていたバタイユが、この詩に強く引きつけられたことは想像にかたくない。ただしボードレールにおいてふたつのコスモスは、天井の腐った土牢としての大地といい、そこに押しこめられている「わたし」といい、いずれも徹底して内部に閉ざされている。その住人は蝙蝠や蜘蛛といった狭い場所を逃げまどう生きものであり、鐘の音は彼方に消えていくのではなく、ドームの中を反響しておどろおどろしい唸りをあげる。そして詩の最後に両者を連結する唯一のものとして、「わたし」の頭蓋に « drapeau noir » が垂直に立てられる。
 一方バタイユの詩は、第1節に « plus d’espoir » とあるように、« Spleen » 78 の最後に語られている絶望の境地から出発する。また第2節の « en mon coeur se cache une souris morte » は、あきらかに « Spleen » 中の « cachot »、« chauve-souris » と響きあっている。だがバタイユの「わたし」は一方的に押さえつけられ、閉じこめられているのではなく、第2連では一転して « j’envahis le ciel » と、能動的な主体となって空へと攻め入っていく。「わたし」の肉体はミクロコスモスとマクロコスモスをつなぐ交流の通路となるが、この交流は死を媒介としてしか成就しえず、« une étoile tombe noire / dans mon squelette debout » とあるように、「わたし」は「骸骨」と化さざるをえない。さらに第3連では « où est la terre où le ciel / et le ciel égaré (…) / J’égare le monde et je meurs / je l’oublie et je l’enterre / dans la tombe de mes os. » と、空と大地、あるいは外界と「わたし」の境界は流動化し、一種の恍惚状態のうちに交流は激化する。
 詩は、« ô transparence des os / mon coeur ivre de soleil / est la hampe de la nuit. » で終わる。« Spleen » では「わたし」の敗北のしるしとして突き立てられた黒旗は、ここでは空に向けて昂然と屹立する世界の中心軸としての « hampe de la nuit (夜の旗竿) » へと変貌を遂げている。それは同時に、「体験」によって焼き尽くされ、生きながら骨となって直立するバタイユの身体そのものにほかならない。

第21回ボードレール研究会

司会者報告 - 坂巻 康司 (大阪産業大学非常勤講師)

春にしてはまだ肌寒さの感じられた3月26日の土曜日、関西学院大学に15名ほどの参加者を得て、第21回ボードレール研究会が開かれました。~
 最初の発表はオリヴィエ・ビルマン氏による « Une lecture de Mémoire de Arthur Rimbaud » でした。これは、ビルマン氏が以前から親しんでおられるドゥルーズバディウといった現代の哲学者のテクストを活用しつつ、ランボーの一詩篇を読み直そうという意欲的な試みでした。ランボーのテクストが現代哲学の最前線の思想といかに反響し合うのかということを明らかにしようとするこうした試みは、学会等ではなかなか出来ないものなので、大変興味深く感じられました。確かにドゥルーズ等の20世紀の中心的な思想家は、その思考の頂点 − 記憶、意識、持続などを論じる部分 − でランボーに言及することがしばしばあり、19世紀から20世紀に亙る思想の流れを見極める上で、この指摘は極めて重要なことと思われました。また、単に現代思想を援用することによって作品を解読するのではなく、テクストを一語一語丹念に読み解く作業を疎かにせず、誠実に作品と向き合おうとされるビルマン氏の姿勢はとても印象に残りました。ただ、惜しむらくは、読み上げられる哲学のテクストが必ずしも平易なものではなかったので、出来ればこれらのテクストのコピーも配っていただければ全体の理解も容易になったかと思われます。~
 二つ目の発表は寺本成彦氏による « Perversion et / comme poésie −le cas Lautréamont-Ducasse−» でした。寺本氏は博士論文提出の前後から、一貫してロートレアモンのテクストにおける「書き換え」の問題を追及しており、その持続力で我々を圧倒して来られました。今回はより一層、テクストの内部に踏み込み、その記述の問題点を本格的に探求されているという印象を持ちました。登場人物の「身体の壊乱」がエクリチュール、及び読者の「精神の壊乱」へと結びつく点、「表象不可能性」の問題への言及、そして、科学的語彙と文彩の特異な使用法が新たなテクストの可能性を産み出した点など、様々なことが指摘されました。これらは、それぞれ現代の諸問題に連なる重要な指摘であり、ロートレアモンのテクストの奥深さを改めて感じさせられました。問題はこうしたことが果たして作者によって意識的に (あるいは意図的に) なされたものなのかということであり、発表後もその点に関する質疑応答が交わされました。また、テクストの歴史的背景との関わりについての問いかけもなされました。~
 今回のお二方の発表はどちらもボードレールの周辺領域のものでしたが、今後、更なる発展を予感させるものであり、ボードレール研究にも寄与することの大きい内容であったと思われます。

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発表要旨

Le poète-architecte (Une lecture de Mémoire de Rimbaud) - Olivier Birmann(Université Kwansei Gakuin) [#m51248b8]

Retour de Rimbaud dans la maison familiale, après les premiers mois tumultueux passés avec Verlaine et en attendant que le « pitoyable frère » le rappelle. On comprend que c’était pour le poète, alors âgé de dix-sept ans et qui avait déjà derrière lui des poèmes comme Les Poètes de sept ans, Le Bateau ivre, etc., une épreuve qui exigeait de sa part, comme il le rappelle lui-même dans Alchimie du verbe, tous « les sophismes de la folie, – la folie qu’on enferme, – » tandis qu’autour de lui rôdaient « les rêves les plus tristes ». Mais c’est là qu’opère justement cette alchimie : de la maison familiale avec les figures de la mère, des sœurs, du père absent, avec ses paysages et ses rivières ardennaises, il va, selon l’expression d’un poème à venir (Génie), construire « une maison ouverte ». Et cela en faisant passer les figures de sa « famille maudite » – comme celles que l’on trouve chez Poe, que Rimbaud avait alors en mémoire (une autre version du poème, retrouvée en 2004, a pour titre, on le sait, « d’Edgar Poe / Famille maudite ») – dans des zones d’indiscernabilité où figures humaines et figures du paysage – rivières, saules, oiseaux, soleil – deviennent indéterminées et se dégagent du vécu en un délié musical qui n’est pas sans faire sentir l’influence de Verlaine.
Il y a une minute du monde – ici, un suspens entre deux fuites – qui passe et toute la question est de la sauver en devenant cette minute-même. De la faire tenir debout. De la rendre objective. Le poète-architecte prend son matériau – mots, syntaxe qu’il continue à se forger – et tout en suivant les déformations de la fiction, les fait passer dans des affects liés aux couples maudits qui l’entourent ou qu’il contribue à former lui-même, ainsi que dans des sensations, par lesquelles le je s’ouvre à cet autre que sont les figures du paysage tandis que celles-ci – rivière, ombre, colline, arche – adviennent à la présence, répondant ainsi au désir le plus profond de la poésie et, dirait Rilke, du monde lui-même.~
Mais les forces à l’œuvre dans la construction de la maison-paysage, avec ses lits, ses rideaux, ses carreaux, ses meubles sont contradictoires. Il y a celles qui tirent vers le haut, qui font entrer les rêves les plus tristes dans l’épiphanie de la blancheur, quand « Les choses chantent dans la tête / Alors que la mémoire est absente » (Verlaine). Celles qui tirent à l’horizontale en une pesante et sompteuse donation terrestre, et qui rencontrent le travail humain et les chantiers. Celles qui tirent vers le bas, vers la cendre, la boue. ~
Entre donc épiphanie et résilation de cette épiphanie. Entre mouvement révolté, sexuellement déchiré et mouvement dans le délié souverain de l’expression « égarée au possible ».~
Notre lecture est une réflexion qui s’appuie pour l’essentiel sur des notions développées par Gilles Deleuze dans le chapitre « Percept, affect et concept » de Qu’est-ce que la philosophie? Elle doit aussi beaucoup à Alain Badiou et à Chritian Prigent.

Perversion と (しての) poésie − ロートレアモン= デュカスの場合 − 寺本 成彦 (神戸大学非常勤講師)

『マルドロールの歌』における「性的倒錯」の形象は、「悪」の領域における < 欲望する身体 > という重要な問題系を構成する。また作品の語り手と聞き手、書き手と読み手との関係に緊密に関連しながら、詩作品を書く行為としてのエクリチュールの場面を根底から規定している。そもそも「性的倒錯」は、精神および身体の「奇形性」についての明晰な表現を通して、表象し得ない事象としての「おぞましさ」を詩表現の領域に取りこもうとするデュカスの果敢な企てに、必要不可欠であるようにも思われる。さらには、当時の最先端である科学的知・解剖学的知に属する科学的専門用語をあえて詩の言葉として頻繁に用いることで、「諸感覚の倒錯」perversion des sens にとどまらず、「意味の倒錯」perversion du sens にまで射程を広げていたデュカス=ロートレアモンの詩法上の中心問題を明らかにできるだろう。~
 まず、「子供」enfantあるいは「青年」adolescentに対する偏執は、語り手 (ロートレアモン / マルドロール) のサド・マゾシスムを前景化する。たとえば「第1歌」第6ストロフに見られる、幼児の柔らかな胸を爪で引き裂いて血をすすりながら犠牲者の苦しむ様子を堪能する場面は、身体の変容・奇形を言葉がいかに表象しうるのかという問題を明らかにしている。瀕死の子供自身に語り手への報復を唆すくだりに見られる「子供」および語り手の身体の変形に関するごく即物的で詳細な描写は、後から頻出する身体組織の造形性およびそれに関する解剖学的な知見へのロートレアモン=デュカスの志向性を先取りしている。また、語り手のサディックな行為により、「若者 / 子供」はサド=マゾシスムにおける加虐者の位置へとずれゆき、精神的な変容をも蒙ることになる。こうして作品が想定する「若者」=「読者」は、作中で表象される性的倒錯行為を読むことで、身体・精神に深甚な影響を刻み付けられるだろう。~
 次に、書くことの論理と倫理の極北に近づいているとも見なされる「第3歌」第2ストロフでは、あどけない少女がマルドロールと彼の飼い犬であるブルドッグにより viol を受けた後、瀕死の身体をさらに傷つけられていく様子が詳細に語られる。その解剖学的とも言うべき常軌を逸したサディックな遺体毀損は、作者の身体 (内部) への強烈で具体的な関心に基づいている。日常的な視線および通常の文学表現からは隠蔽されている身体内部の解剖学的メカニスムの一端を文学表現の場に「引きずり出」し、言葉によって形象化しようとする試みは、< 想像し得ないもの >・< 表象され得ないもの > に明確な形象を与えようとする試み、抑圧された欲望を言語化しようとする企てに他ならない。~
 この同じ試みは、当時もっとも忌み嫌われた性的倒錯である「男色」を主題化する「第5歌」第5ストロフでも確認される。「男色」および「男色家娼夫」を逆説的に賛美するくだりには、スティーヴ・マーフィーも指摘するように、強烈なサティリックがこめられている。当時の法医学界の権威であったタルデューの著書『二つの売春』中、男色家の身体特徴を事細かに描写する一節で用いられる「肛門の漏斗状変形」という表現をほぼ字義通り採用する詩人は、ごく科学的であると思われる著作に忍び込んでいる道徳的価値判断、また同時代のフランス社会がこの呪われた性倒錯に対して抱いていた不合理な恐怖をこそ問題化する。倒錯者の堕落した内面を外在化し、< スティグマ > として明確に記述するために用いられる解剖学用語、また形態・奇形性を客観的に描写するための幾何学用語が潜在的に備える新たな表現能力に着目したロートレアモンは、< 表象し得ないもの > がそこで明確な輪郭と実態を伴って表象される事実を敏感に察知していたと思われる。精神的な monstruositéと身体的な monstruosité との相関関係を立証したという法医学的言説を逆手に取り、その二つの「奇形性」を表象する言葉自体のなかにあらたな未曾有の「美」を創出しようとするこの試みは、直喩「…のように美しい」における比較項の奇形的増殖へとつながるものではなかろうか。

第20回ボードレール研究会

司会者報告 - 寺本 成彦(神戸大学非常勤講師)

 年の瀬も押し迫った 2004 年12月27日(月)、大阪文学学校において開催されたボードレール研究会は参加者 8 名と、やや小ぢんまりとした会になりました。発表者の都合で開始時間が遅れ、午後 3 時前に始まりましたが、2つの発表と活発な質疑応答の時間を入れても、幸い予定時間内に充分納まりました。~
 一人目の発表は、田中直紀氏「ランボーの “ 呪われ人” 像」。ランボーの初期詩篇・「見者の手紙」・『地獄の季節』に見られる「呪われ人」(maudit) 像の変遷と展開を跡付け、詩人の営為を宗教的および文化的文脈の中に再度捉え直しつつ、やがて来る“詩作の廃棄”というドラマを、「サタンとの訣別」に由来する必然的帰結として位置付けようとする試みでした。まず初期韻文詩二編 (1871以前) では、ランボーがその一人として「呪われ人たち」を主題化する点、またソクラテス、キリストなどと対置させられることによる大文字の「呪われ人」= サタンなる等式が見られる点を指摘されました。ついで「見者の手紙」(1871) においては、前出の等式「呪われ人」= サタンが潜在的であることを確認した後、『地獄の季節』(1873) に頻出する、「キリスト教思想に捕らわれた“ 呪われ人”」像を反宗教的な文脈の中で分析し、位置付けられました。発表後、参加者から草稿の扱い方についての注意があった他、ランボー作品においてはボードレールと異なり、「サタン」・「デモン」の二つの名称が並存している点が意義深いという指摘がありました。また、「ランボーは手近に見つかるイマージュを、手当たり次第にコラージュしつつ詩作していた」という見解を持つ参加者からは、宗教的な文脈に厳密に引きつけてランボーを解釈する有効性に対する疑義が提出されました。ただ司会者としては、詩人が当時いかに若年であったにせよ、19世紀の平均的なリセの生徒と同じく(あるいはそれ以上に)宗教的文脈を知悉し、そこからの脱文脈化と自作への再文脈化をほどこしながら独自のイマージュを紡ぎ上げていたのではと考えます。蛇足ながら付け加えますと、配布された発表資料のページ付の欠落・発表中話題となっている該当資料への指示の欠如といった発表の形式面での基本的不備があり、参加者の理解の妨げとなりかねなかったことを残念に思います。~
 2人目は、山田兼士氏「フランス詩の“ 対訳 ”について」。氏が10年来手がけているフランス歌曲の翻訳に引き続き、月刊誌『詩学』に連載中の「フランス詩を読む ― ボードレールからシュルレアリスムまで ―」で試みられた「対訳」について紹介されました。明治以来連綿と続けられてきた仏語詩の日本語への移し替えの際、言語 langue の違いゆえに必然的に起こってきた意味偏重・構文の改変・音韻の消去・詩行の長さの不均衡といった事態をできるだけ回避しながら、現代日本の詩の作者に創作上のヒントとなる翻訳詩を < 日本語の現代詩 > として練り上げるという、楽しい難事業についての「現場報告」でした。とりわけ、入稿直後であったヴィクトル・ユゴー「開いた窓」を例にとり、イメージの流れ・音声面の推敲にいかに腐心されたのか、そしてそれが「原作者の作詩上の苦労を追体験する」という翻訳者の“ デオントロジー ”(と司会者には理解されました) の一端に他ならない点を示されました。日本的抒情の発生装置である「七五調」を解体しつつ新たな音数律を獲得する可能性、既存の日本作家・詩人をパスティッシュしながら翻訳文体を設定するという遊戯的な面、原詩の頭韻を訳詩でも再現する試みなど、翻訳・詩作の現場を実際に覗きこんでいるような印象を強く受けました。ただし、いかなる基準で訳詩に句読点を省略するか否かの基準、あるいはマラルメ「海の微風」の人称を「ぼく」から「私」になぜシフトさせる理由が、発表者の解説にもかかわらず、やや不明確に感じられました。ともあれ、翻訳作業の紹介にとどまらず、外国語の詩作品をいかに日本語に移すべきか・移しうるかについての有益で実践的な提言に満ちた、興味深い発表であったと思います。~
 発表終了後、大阪文学学校の“ 付属施設 ”とでも称すべき居酒屋で忘年会も兼ねて一同談論風発し、和やかにその日の会合が終わったのでした。

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第20回研究発表要旨

ランボーの「呪われ人」像 - 田中 直紀(大阪産業大学非常勤講師)

 古代の四性論で不運をもたらす土星のもとに生まれる憂鬱質は、陰鬱で活気なく役立たずな性質であるとされたが、ルネサンス期の新プラトン派において、時に目覚しい創造性を発揮するとの正の評価が加えられ、やがてロマン派的な芸術家像の典型的属性となる。ボードレールヴェルレーヌは憂鬱質の詩人をみずからもって任じていた。のちにヴェルレーヌは自作やランボーの作品をふくめたアンソロジーを『呪われた詩人たち』(1883) と題するが、「呪われた」者という観念は憂鬱質の者の類縁的な観念と言えよう。~
 ランボーの唯一の文学的マニフェスト「見者書簡」(1871)では自らを予言者的救世主的な詩人となす構想が語られるが、ボードレールヴェルレーヌを先例とし、プロメテススに例えられる見者詩人は、また「呪われ人」にして「至上の知者」であると説名される。ところで同時期の韻文詩「パリの狂騒、またはパリふたたび大賑わい」では「詩人」は「< 呪われ人 > の叫び」を「歌う」者とし、また「義人」では自身を「苦しむ者・叛逆者」「呪われ人」としている。ここに「呪われ人」の言葉を語ることと「呪われ人」として語ることの連続性が認められる。さらに後者においては「呪われ人」にソクラテスやキリストといった「義人」に対置されていること、「呪われ人」« Maudit » の語にサタンを意味する大文字表記が見られることから、書簡には潜在的なそのサタン的反キリスト教的属性を見ることができる。~
 散文詩『地獄の季節』(1873) はその見者理論を実践するランボーの分身のような詩人を語り手とした自伝的物語である。物語の最終場面を描いたプロローグにおいて、これから読者の目にふれる見者 / 魔術師としての探求がサタンのもとになされたことが示される。本篇では、魔術的な自己変性をもたらす炎を司るのはサタンであり、また語り手のつれあいである「狂気の処女」には彼自身がデモンと見えあるいは「彼のデモンが私にもとりつい」たと感じられる。語り手はキリスト教によらない救済をめざし自らを見者 / 魔術師となそうとしているが、実はそのこと自体がキリスト教的な意識を通してみる限り神への挑戦を意味する。自らの内面化したキリスト教的意識を払拭できない語り手は、自身のこころみをそのように意識せざるをえない。さらにまた、プロメテウスと習合したロマン派的なサタン観は、彼の火の盗みの目的意識には適合していたはずである。よって、福音書における口調の模倣など、語り手によるキリストの模倣は、まさにキリストになりかわろうとするルシファー的意識の発露と見られる。多くの論者は語り手の言動のうちに救世主的な要素とサタン的要素の二面を見るが、自らが救世主的たろうとすること自体がサタン的である、という文化的文脈の存在を忘れてはならないであろう。やがて最終パート「別れ」にいたり、語り手は見者 / 魔術師としての業の放棄を宣言し、ついで先に描かれたプロローグの最終場面でサタンに手切れを要求するが、ここでサタンがとくにデモンと呼ばれるとき、語り手を「呪われ人」としての詩の業にみちびいたダイモンであったことが、逆に言えば自身のダイモンを、その反キリスト教的性質においてサタンに見たてたということが示されているのである。

フランス詩の対訳をめぐって - 山田 兼士(大阪芸術大学

 月刊「詩学」連載中 (2005年3月現在第26回) の「フランス詩を読む ボードレールからシュルレアリスムまで」における「対訳」について、技術的な面を中心に現場報告を行った。詩の翻訳法については上田敏、岩野泡鳴以来、数々の試行錯誤が重ねられてきたが、日本語自体が絶えず変化し続けるものであり、日本における外国語受容の実態も変化し続けるものである限り、決定的方法は存在すべくもない。できる限り近似値的に「正確」な翻訳、というのが訳者にとって唯一の心構えと言うしかない。とはいえ、翻訳者によって様々に工夫を凝らしていることも事実なので、ここで個人的な経験から得た僅かばかりのノウハウを発表することも必ずしも無意味ではないだろう。~
 詩の翻訳の要点とは、まず常識的に見て、(1) 意味内容が正確であること (2) イメージが正確に伝わること (3) 原詩の「しらべ」(音、リズム等) が少なからず伝わること (4)日本語の現代詩として鑑賞に耐えること。以上4点にまとめられるだろう。これらをすべて過不足なく満たすことは非常に困難だが、ある程度バランスの良い翻訳は可能である。そのための方法として私が常に心掛けていることを要約すると、(A) 意味内容は直訳を基本とする。(B)「イメージの文法」を重視し、そのために日本語のあらゆる文体を駆使すること。具体的には、できるだけ一行ごとに原詩と訳詩が対応するように工夫すること。(C) 音声面は絶望に近いが、それでもできる限りの努力をして「しらべ」を再構成すること。例えば、一行あたりの音数を一定にはできないまでも誤差を最小限にすることや、不完全であっても押韻の努力をすること。この点は、原作者の苦労工夫を追体験するためでもある。(D) 日本語の現代詩として鑑賞に耐える訳文を作成するためには常に最新の日本詩に親しんでいなければならないので、詩のシャワーを日頃からふんだんに浴びていること。以上である。いつも困ることだが、(A) を気にするあまり (B) がうまくいかなかったり、(B) を優先すると (C) が犠牲になったり、といったことが頻繁に起こるのである。折り合いをつけるのに相当な時間と労力を要する作業であることは間違いない。~
 一例として、上記連載第19回のシュペルヴィエル作品を次に挙げる。詩集『 Le Forçat innocent 無実の囚人 』より「 Un bœuf gris de la Chine… 中国の灰色の牛が…」。~
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Un bœuf gris de la Chine, 中国の灰色の牛が~
Couché dans son étable, 自分の小屋に寝転んで~
Allonge son échine 背伸びをすると~
Et dans le même instant その同じ瞬間に~
Un bœuf de l’Uruguay ウルグアイの牛が~
Se retourne pour voir 振り返って見る~
Si quelqu’un a bougé. だれか動いたかなと~
Vole sur l’un et l’autre この両者の頭上に~
À travers jour et nuit 昼となく夜となく~
L’oiseau qui fait sans bruit 音もたてずに飛ぶ鳥がいる~
Le tour de la planète 地球をぐるっと回りながら~
Et jamais ne la touche 決して地球に触れもせず~
Et jamais ne s’arrête. 決して止まりもせずに~
~
 各行6音節に緩やかな脚韻をもつ原詩を、10音節を中心に7 – 14音節までに収めつつ、ここでは脚韻を犠牲にして(緩やかに脚韻を試みる場合もある)なめらかな日本語を優先している。行ごとの対応にも気を配り、日本語詩としての読みやすさにも留意しているつもりだが、どうだろう。ちなみに、ここでは谷川俊太郎「朝のリレー」の文体を意識して訳してみた。試みに、上記 (1) 〜 (4) の規準に当てはめて5段階で自己評価するなら、(1) 4点 (2) 4点 (3) 3点 (4) 4点。計16点。100点満点に換算すると80点で、これなどはうまくいった例と思っている。こうした規準で少なくとも70点以上の翻訳を提供したいといつも願っている。

第19回ボードレール研究会

司会者報告 - 丸瀬 康裕(関西大学

 今回のボードレール研究会は、9月11日(土)甲南女子大学において午後2時から開催されました。参加者は20名ちかく、夏の暑さの残るなか、多数の方に来ていただきました。研究報告はふたつ、それぞれに熱心な質疑と発言が交わされ、予定時間を1時間超える活発で充実した集まりとなりました。~
 まず、廣田大地氏の「アナロジー詩学ボードレール韻文詩における直喩の変遷をめぐって −」。コレスポンダンスの美学的理念のなかにボードレール詩を据えて、その詩的レトリックとりわけ直喩のあらわれから、アナロジーをめぐる議論を展開されました。commeをはじめとする直喩の変遷を辿ることによって、Correspondances(初期の「幸福なコレスポンダンス」)からObsession(後期の「不幸なコレスポンダンス」)にいたる距離を架橋しようとする意欲的な試みで、とりわけ配布された資料、『悪の花』初版、第二版、第三版、そしてベルギー詩篇の中から、場所、修飾語句、内容、テーマ系をそれぞれ特定しながら直喩の使用例を詳細にデータ化したものは労作でありました。時空に広がる万象世界に「照応」の糸をはりめぐらすボードレールの広大な詩的宇宙に、直喩というもっとも単純かつ重要なひとつの文彩的あらわれの考察をとおして挑まれた廣田さんの試みは正攻法というべきであって、これにつづく広範な領域の検証を待ちながら、ボードレール詩の本質を解明するゆたかな成果が期待できるものだと思います。司会者の私見ですが、一篇の研究論文としては、広い展望へのレフェランスを保ちながら、特定の詩作品にしぼって考察された方が、技術的には容易であったかもしれません。参加者からはたくさんの質疑と発言があり、それは問題系の重要性と発表者への期待の大きさをよく表すものでありました。~
 つぎに中堀浩和氏が「ボードレールの禁断詩篇について」と題して発表されました。1857年発表された『悪の花』はただちに公衆道徳良俗紊乱の科により起訴されたのち有罪判決を受け、300フランの罰金とともに6篇の詩作品の削除を命じられることになる。発表者はまず検事の論告を中心に裁判の経緯を辿られたのち、初版の構成と1861年に出た削除後の第2版のそれとの相違を確認されました。配布された資料にもとづいて、削除詩篇6篇のそれぞれについて検事が問題ありとした箇所を見て、そのなかで「レスボス」と「地獄に堕ちた女たち」の場合は全行が対象とされていることから問題は描写ではなく思想=「レスビアニスム」にあることを示されました。また1845年における詩集の仮題がすでに「レスボスの女たち」であったように、『悪の花』において詩人が根幹に据えて称揚した「レスビアニスム」が第二帝政下の時代風潮を痛打する反社会性のひとつの体現であったこと、またこの現代を予見する愛のかたちが、第2版最終章「死」の、そして同時に詩集全体の締めくくりでもある長詩「旅」の末尾に記された「新たなるもの」に照応するのではないかという指摘は新鮮でした。結論部分に十分な時間を費やすことができなかったのは惜しまれますが、中堀氏の音吐朗々たる作品朗読は聴衆を十分に魅了したと思います。~
 そのあと、lesbien, lesbianismeの語義の時代的な変遷について、当時の政治的権力の柔構造性などについて、活発な質疑応答がありました。なかで、同性愛として時の権力によって糾弾されているのは < 反社会的不毛性 > すなわち < 詩的営為 > そのものではないかという寺本成彦氏の発言が印象に残りました。~
 閉会のあと、くつろいだ場処にところを移し、うちとけた議論や雑談に時間を忘れることとなりました。

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第19回研究発表要旨

アナロジー詩学ボードレール韻文詩における直喩の用法の変遷を巡って ― - 廣田 大地(大阪大学修士課程)

 1857年に『悪の花』第1版が有罪判決を受けてから、1861年に『悪の花』第2版が出版されるまで、この僅か4年にも満たない期間に、ボードレールは幾つもの詩篇を書き上げ、最終的に『悪の花』第2版には32の詩篇が増補されることとなった。この短い期間における詩人の思想的・手法的変化について、これまでにも数多くの研究家が言及しているが、例えば、« Corespondanses » のなかで幸福な照応関係として描かれていた自然と人間の精神とを結び付けようとする眼差しが、« Obsession » のような「憂鬱と理想」の終盤に加えられた詩篇群では、自然から蒙る強制的な力に変容しているという、『悪の花』第1版、第2版におけるコレスポンダンスの理論の扱われ方の変化を指摘するものは、その代表的なものの1つだろう。しかし、上に挙げた2篇は共に前置詞commeによる直喩を効果的に用いた詩篇であることから、ここに現れていた変化を、コレスポンダンスに関する詩人の思想の変化として一元的に還元するだけでなく、直喩という1つの文彩の、用法の変化として捉え直すことが出来るのではないだろうか。~
 そこで本研究は、幾つかの詩篇を引用するだけではなく、ボードレールが詩作で用いた直喩の網羅的な分析によって、詩人の詩作法の変化を見出すことを目的としている。具体的には分析に以下のような方法を用いている。『悪の花』第1・2・3版に含まれる詩篇、計157編の中で使われる全直喩、つまり前置詞comme及びainsi queによって結び付けられた、計348組の喩えられた語句comparéと喩えている語句comparantの一覧を制作する。それらを幾つかの特徴にそって分類する。各特徴において、3つの製作時期(A・第1版出版まで、B・第1版出版〜第2版出版、C・第2版出版後)の中での偏りを調べる。ただし、A・B・Cの製作時期で用いられる直喩の割合は、11:4:1と、作品量に伴い大きく異なることを加味しなければならない。発表に際しては9枚に渡る資料によって具体例を示しつつ解説したが、ここでは文字数の制限もあるため分析の結果明らかとなった傾向のみを記すこととする。~
時期Aでは、ver, vermineなどの虫を表す単語が、直喩のcomparé、comparant双方に数多く見られるが(計11回)、時期Bの詩篇にはまったく見られない。同様のグロテスクな表現が用いられる割合も、時期Bの詩篇では比較的少なくなっている。~
 崇高なものと卑俗なもの、美しいものと醜悪なものといった正と負との観念を結び付けるような直喩は、時期Aでは16回、時期Bでは2回であり、この撞着語法的特徴もまた第1版の傾向と考えられる。
嗅覚と視覚のように、異なる五感を結び付けようとするものが時期Aで11回、時期Bでは1回見られ、同様に第1版の傾向と考えられる。~
 その他にも、「植物」「動物」「海」「神話」といった要素がcomparantの中でどれほど用いられているかを調べたが、3つの製作時期において恒常的に用いられている。このように多くの特徴は、第1版において顕著に見られるか、もしくは製作時期による使用頻度に差がないかであるが、例外として、第2版において鮮明になった「都市」の要素が、時期Aの直喩には見られなかったのに対し、時期Bでは幾つか現れている。~
 また、以上のような直喩の内容についてではなく、直喩の形式に目を向けてみると、comparantが主語と動詞を持った1つの節になっていることや、たとえ単語であっても関係代名詞によって修飾され結果的に1つの節を内包していることがある。このような形式の直喩は、時期Aにおいて41回、時期B・Cにおいては33回であり、それぞれの時期の作品量を考慮すると、後期においてこの形式の頻度が高まっていることが分かる。この形式を持った直喩には、憂鬱な調子を帯びたものが多く、その関連についての考察は今後の課題としたい。~
 ボードレールの韻文詩において直喩は常に多用され重要な役割を担っているが、このように、時期Aにおいて直喩が特定の美的理念と結び付いていたのに対し、その後の製作時期においては、その傾向が姿を消している。ただし、それが直喩に対する関心の低下と結び付けることが出来ないのは、作品量に対する直喩の割合にほぼ変化のないことや、分量の多い節を伴った形式の直喩が多用されていることからも明らかである。それ故、直喩の用法に特定の傾向が見られなくなっているのは、むしろ、直喩という形式そのものや、事物の類似関係そのものに対する詩人の関心の高まりを示しているという仮定が浮かび上がってくるだろう。~
 この仮定と関連付けて、第2版で付け加えられた « Le Cigne »や « Les sept Vieillards » の中で、事物の類似性が詩篇を構成する上で中心的な役割を担っていることや、これらの詩篇の中で「全てが私にとってアレゴリーとなる」、「物が二重に見える酔っ払いのように」というように事物の類似性を見抜く自分自身への視線が描かれていることを読み直してみることも興味深い。詩人の意識の中に氾濫する類似関係と、それを捉えようとする精神との間の激しいせめぎあいこそが、『悪の花』第2版に新しく収められた数々の新しい詩篇を生み出したのではないだろうか。

ボードレールの「禁断詩篇」について ―「禁断詩篇」から『悪の華』の「旅」へ ― - 中堀 浩和(甲南女子大学

 1857年6月25日に『悪の華』が発売されるや即刻パリ軽罪裁判所に公訴された。同年8月20日には判決が下されるという迅速裁判であった。約半年前に、フロベールの『ボヴァリー夫人』も公訴されたがこちらは無罪であった。両者を担当した検事は同じエルネスト・ピナール。検閲制度は現在我々が考える以上に恣意的な面があったが、小説と詩において近代文学の先駆となった両作品が共に検閲の洗礼を受けたということはある意味で象徴的な出来事であり、近代社会の成立を考える上で示唆に富む。また検事の論告と弁護側の口頭弁論を通して見えてくる当時の検閲制度や社会状況や道徳的基準が如何なるものであったか興味は尽きない。今回の発表では初版の『悪の華』から公衆道徳良俗紊乱の罪で削除を命じられたいわゆる「禁断詩篇」と称される6篇の詩の中から『レスボスの女たち』(1845年に出版予告された『悪の華』の最初の題名) の中核と見做される作品を取り上げて、『悪の華』第2版 (1861年、決定版) の最後に置かれる「旅」という詩にどのように収斂して行くのか考察する。~
 『悪の華』初版は序詩を除いて100篇5章からなる:1. 憂鬱と理想 (77) 2. 悪の華 (12) 3. 反逆 (3) 4. 葡萄酒 (5) 5. 死 (3)  ( ) 内の数字は詩篇数。「禁断詩篇」の内3篇は < 憂鬱と理想 > に属す:「宝石」(20番)、「忘却の河」(30番)、「あまりにも快活な女に」(39番)。他の3篇は < 悪の華 > に属す:「レスボス」(80番)、「地獄に落ちた女たち − デルフィーヌとイポリット」(81番)、「吸血鬼の変身」(87番)。なお、81番と同名で副題の付かない「地獄に落ちた女たち」(82番) は削除されなかった。~
 第1章の < 憂鬱と理想 > には100篇中77篇が含まれる。これを見ても分かるように『悪の華』は「憂鬱」と「理想」を主旋律とする対位法的な楽曲構成を取っている。クレペとブランは「理想」詩篇を「芸術」詩群と「恋愛」詩群に分類している。削除された「宝石」「忘却の河」「あまりにも快活な女に」「吸血鬼の変身」は「恋愛」詩群とそのバリエーションである。「理想」とは裏腹に近代的な恋愛心理の病理現象を順次剔出したものである。作品番号が20番から87番にわたっていることに注目すべきである。~
 『レスボスの女たち』は結局予告だけに終わったが、「レスボス」詩篇を構成する予定の2篇が「レスボス」と「地獄に落ちた女たち− デルフィーヌとイポリット」である。この2篇は作品番号が80番と81番で87番「吸血鬼の変身」の前に置かれていた。どちらも同性愛を扱った作品である。「レスボス」はギリシャの女流詩人サッフォーの伝説を踏まえたもので同性愛を宗教の域にまで高めながら、みずから戒を破りレフカスの岬から投身したサッフォーに対するオマージュとなっている。自然な感情が横溢したレスボス島の同性愛的な習俗を理想化した作品である。それに対して「地獄に落ちた女たち」は同性愛がもはや無垢ではありえず、地獄落ちに苦悩する女たちの姿を読み込んだ作品である。異性愛を意識しそれと拮抗する構図となっている。近代的な人権思想をそこに読み取ることもできる。「レスボス」に見られる「おまえは許しを永遠の殉教から引き出すのだ」「愛は地獄でも天国でも意に介さない」といった詩句からも宗教的な次元を越えて、近代社会が限りなく生み出す辺境部の拡大を感じ取ることができる。なお、「レスボスの女たち」はフランス語で Lesbiennes であるが、プティ・ロベール仏仏辞典よれば lesbienne が同性愛の女の意味でフランス語の辞書に収録されるのは1867年で、ボードレールが死んだ年である。それまでは同性愛の女の意味では tribade が用いられていたようだ。~
 1848年には『レスボスの女たち』に代わって『冥府』の出版予告が出る。「冥府」limbes はカトリック神学でキリスト降誕以前に死んだ義人や洗礼を受けずに死んだ幼児が死後に住む天国でも地獄でもない場所を意味する。また「辺境、はずれ、少数派」といった意味もある。「禁断詩篇」は言ってみれば近代社会の辺境で生起しては中心部に逆流してくる現象を洞察した作品と言える。そういう意味で詩集名としては『悪の華』よりは『冥府』の方がより内容に相応しいと思われる。今回の発表ではこの点について十分言及できなかった。ただ、『悪の華』第2版の最後に付け加えられた「旅」の有名な最後の詩句「我々は、< 地獄 > でも < 天国 > でもかまわない、/ 深淵の奥底に飛び込みたいのだ、/ 新しいもの を見つけるために < 未知なるもの > の奥深くに ! 」は単に「死」の世界を意味するのではなく、まさしく怪奇な存在である人間の「冥府」を意味するのではなかろうか。~
 付記:関心のある方は『甲南女子大学研究紀要(文学・文化編)』(2005. 3. 刊予定) に掲載の拙論(『悪の華』の成立過程から見えてくるメッセージ)をご覧ください。

第18回ボードレール研究会

司会者報告 - 中畑 寛之(神戸大学助手)

 第18回ボードレール研究会は、7月31日 (土)、予定時刻より少し遅れて午後2時から、大阪文学学校にて開催されました。台風到来のせいか、参加者が9名と少なかったのは残念です。~
 最初の発表、北村卓氏の「« flâneur » の眼差し−ボードレール『仮面』に関する一考察」は、『悪の華』第2版において新たにつけ加えられた詩篇のひとつである「仮面」Le Masque について、これまでエルネスト・クリストフの彫刻作品との関係から、あるいはアレゴリーの観点からなどさまざまな解釈がなされてきたが、それだけに止まらず、この詩はボードレールの詩業における転換点を示す重要な作品ではないかとする仮説を、まず第2版の構成を検討し−芸術詩編から恋愛詩編へと移行する結節点にあたる位置にボードレールがとりわけ集中的に新作を置き、補強を行っている点を指摘−、この詩が書かれた背景および1859年頃の詩人の関心の在処を的確に踏まえ、そしてテクストの詳細な分析を通して、説得的に跡づけられました。偶然通りかかった彫像をめぐる « flâneur » のまなざしで書かれた「仮面」は、「美のあり方」の問いと都市において出会うものという両面を持っており、この詩篇が第2版のまさにこの位置に置かれた意味とその重要性が明らかになったと思います。ボードレール詩の変化を内側から促したものを「パリ情景」詩群以外の場所に戦略的に配置された新作から探っていこうとする企てに、北村氏は礎をしっかり据えるたという印象を持ちました。~
 質疑応答では、「仮面」に登場する nous の解釈に関して、また『悪の華』の構造上の変化を促したものをめぐって,活発な議論が交わされました。~
 二つ目は、山田兼士氏による発表「< 世界の外 > のボードレールブリュッセル、リヨン」。ボードレール晩年のブリュッセル体験を、彼が中学時代を過ごした街リヨンでの原体験への回帰として捉え、この二つの都市を合わせ鏡に、民衆詩人としてのボードレールの可能性を浮かび上がらせようとする意欲的な発表でした。とくに、これまでほとんど研究されたことのないボードレールとリヨンとの関わりを、スタンダールの「手記」を補いつつ、ボードレールの手紙から当時のリヨン風景やその地における「弾圧者の息子」としてのボードレールの位置を見定め、つぎに『悪の華』を挟み込むように発表された二つのデュポン論の意味を問い、さらには「純粋芸術」の対極としてのリヨン派に向けた詩人のまなざしをとり上げるなど、さまざまな角度からなされた検討を踏まえたうえで、ボードレールにおける「民衆」というテーマの浮上を説く山田氏の結論は新鮮かつ魅力的なだけでなく、きわめて説得的なものでした。~
 例えば,有名な「世界の外ならどこへでも」は詩人の遺言書のように読まれ、死の世界への脱出と解釈されることが多いが、この詩篇において死は旅の仲間であり、死を伴って出かけて行く世界とはまさにブリュッセルであり、具体的な都市を想定して読むことが可能である。

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第18回研究発表要旨

« flâneur » の眼差し ― ボードレール『仮面』に関する一考察 - 北村 卓(大阪大学

 『仮面』Le Masqueは、1859年11月30日Revue contemporain誌に発表された後、『悪の華』Les Fleurs du Mal 第2版 (1861) に収録され、20番目に置かれる。もともと『初版』(1857) では、『宝石』Les Bijouxがこの位置にあったのだが、この『宝石』が、裁判で削除を命じられたため、それを補うために、21番目の詩篇『美への賛歌』Hymne à la Beauté とともに『仮面』が挿入されたと考えられる。『初版』の「憂鬱と理想」Spleen et Idéal の章においては、『祝福』Bénédiction から19番目の『女巨人』La Géante までが、芸術詩篇、そして『宝石』Les Bijouxから、恋愛詩篇群が始まる構成となっていた。『第2版』では、『仮面』と『美への賛歌』が、芸術詩篇に新たに加わり、恋愛詩篇は、『異国の香り』Parfum exotique からとなる。~
 『第2版』を最も特徴づけるものは、いうまでもなく新たに設けられた「パリ情景」Tableaux parisiens の章、およびそこに新たに収められた作品群である。散文詩の理念および実践、さらにはその主題と密接な関係をもつこれらの詩篇は、近年精力的に研究がなされてきた。また『初版』以降に発表された韻文詩で、『第2版』の「パリ情景」以外の場所に収録された作品のうち、「憂鬱と理想」のいわゆる憂鬱詩篇群、および最終章である「死」La Mort に収められた詩篇についても、散文詩への移行という観点からさまざまなアプローチがなされている。それに比して、「憂鬱と理想」の芸術詩篇や恋愛詩篇は、主題の明白さゆえにか、散文詩とのかかわりではそれほど突っ込んだ議論はなされていないように思われる。とりわけ『仮面』については、従来からモデルとなった彫像の作者であるエルネスト・クリストフErnest Christophe (1827-1892) との関連、アレゴリーの問題、さらには虚構/現実の二項対立の主題に関する研究がほとんどであり、この作品を、ボードレールの美学・詩作理念の転回点という視点から捉えたものは、見あたらないように思われる。~
 しかしながら、このテクストを語りのレベルで読み直したとき、興味深い事態が浮かび上がる。『初版』の詩篇群を支配する声とは異なり、『仮面』の語り手は、決して単一の存在ではない。複数の人物(おそらく二人)が登場し、それぞれが、一つの彫像の周りを巡りながら、対話を交わす。すなわち、この作品は、複数の声の交叉によって成立しているのである。またそれらの視線は、歩行のリズムのように移動する。『仮面』もまた、明らかにボードレール晩年の美学・詩作理念に基づいて制作されているといえるだろう。さらに、この作品が、『美への賛歌』とともに、芸術詩篇の中でも特に「美」を主題とする詩篇群の最後に置かれていることにも注目しておきたい。

ボードレールとリヨン - 山田 兼士(大阪芸術大学

 「パリの詩人」としてあまりに有名なボードレールだが、その生涯の短からぬ年月を過ごした二つの都市についてはこれまで研究者の間でもあまり問題にされてこなかった。晩年の1864年から1866年にかけて住んだブリュッセルと、1832年から36年初めまで中学時代を過ごしたリヨンである。特にリヨンについては、つい最近出たベルナール・プレシの『ボードレールとリヨン』(2004年、Edition de Fallois)以外にほとんど研究書は見当たらない。本研究の目的は、晩年のブリュッセル体験に思春期のリヨン体験を重ねあわせることで、ボードレールの生涯と作品を俯瞰する視点を確立することにある。~
 ボードレールが晩年に体験した、ヨーロッパの中のアメリカ、19世紀の中の20世紀と呼ぶべきベルギーとは、要するに、弱い者、愚かな者、惨めな者の国にほかならない。この認識は詩「ベルギー人と月」に代表される犬のイメージに要約されている。だが、この弱者は同時に、詩人の自己像でもある。なぜなら、惨めで弱く切実な犬こそが、現代における詩人の等身大の姿にほかならないからだ。『パリの憂愁』巻末の散文詩「善良な犬たち」に描かれる、健気で切実で善良な犬のイメージこそが詩人晩年の自己像。そこにはまた、《犬としての現代人》の発見があった。ボードレールのベルギー人に対する憎悪と痛罵は、その極限において一挙に共鳴へと変容を遂げる。罵倒をぶつけた相手こそが実は詩人の自己像にほかならなかったのである。~
 病める現代都市としてのブリュッセルのイメージは、詩人が中学時代を過ごした町リヨンに繋がっている。ボードレールは作品の中でほとんどリヨンに言及していないが、わずかな例外として「哀れなベルギー!」に「どの都会もどの国も固有のにおいを持つといわれる……リヨンは石炭のにおいがする」と書いていて、産業都市としてのブリュッセルとリヨンが30年余の歳月を越えて結び付いているように見える。同じ頃にリヨンを訪れたスタンダールの紀行文などを参照しながら当時のリヨンを描いてみると、後にブリュッセルで体験する産業都市特有の疾病を、詩人がいち早くリヨンで体験していたことがわかる。~
 ボードレール少年がリヨンにやってきたのは、義父オーピックがリヨンにおける労働者の暴動を鎮圧するために赴任したからだ。つまり、中学時代のボードレールは、労働者たちを抑えつける弾圧者の息子としてパリからやってきたわけだ。この点、彼は後の親友ピエール・デュポンと正反対の立場にいたことになる。デュポンはリヨンの貧しい絹織物の労働者の息子として生まれ、苦労を重ねて神学校に行き、独力で音楽を勉強してパリで「歌謡詩人」として成功した、いわばたたきあげの労働者詩人である。二十歳代前半でパリで出会い親密になった二人の間で、ともに中学時代を過ごしたリヨンのことは何度となく話題に上ったことだろう。ボードレールは、1851年に出た『ピエール・デュポンの歌と歌謡』の序文を書いている。ボードレールはさらにもう一つ、1861年にデュポン論を書いていて、二つのデュポン論がまるで『悪の華』を前後から挟み込んでいるかのようだ。この事実は、『悪の華』の後を引き継ぐかたちで開始されたかに見える散文詩集『パリの憂愁』の萌芽が、実は1851年以前まで遡るのではないか、との仮説を促す。ボードレールは『悪の華』以前においてすでに『パリの憂愁』への志向を持っていた、と。言い換えれば、「芸術至上主義」的な美の追求ではなく「民衆派」的な正義と真実の詩への志向が、ピエール・デュポンとの交流の中ですでに芽生えていたのではないか、ということだ。~
 ランボーから「あまりにも芸術家すぎる」と批判されたボードレールが、実は民衆のポエジーを強く意識した作品を書いていたことは特に重要だ。具体例として、仮りに「貧民三部作」と名付けられる散文詩、すなわち「貧者の玩具」「貧者の眼」「貧民を殴り倒そう!」がある。これらの作品を晩年における実験としてではなく、思春期から培ってきた思想の達成として読み直さなければならない。1840年代に共和主義者、社会主義者であったボードレールの政治思想の萌芽は、すでに30年代のリヨン時代にまで遡ることができる。高踏派との葛藤の中で「芸術派」を体験する50年代を経て、60年代に再び民衆へと回帰してくる。これがボードレールの全生涯の大きなサイクルだ。「貧民を殴り倒そう!」という過激なアジテーションの中にこそ、詩人の民衆愛は潜んでいた。少年期のリヨン体験と最晩年のブリュッセル体験をつなぐこうしたモチーフの検討が、真に「現代的」と呼びうる詩人像を確立するはずである。

第17回ボードレール研究会

司会者報告 - 北村 卓(大阪大学

 第17回ボードレール研究会は、2月21日(土) 午後2時より大阪大学文学部にて開催され、2件の発表がありました。参加者は20名。~
 最初の発表は、廣田大地氏の「『悪の花』における時間」。『悪の花』第二版に出現する「temps」という語の17の用例について、そのほぼ半分が、詩人の「理想」の背景をなす「主体的な時間」であり、残りは擬人化された大文字の「Temps」すなわち「憂鬱」の世界を支配する「客体的な時間」であること、また前者は空間的な無限と結びつき、後者は反復運動のイメージと結びついていること、さらにこれら二つの時間が、詩集の中で交互に現れ、最後の長詩「旅」においては、二つの時間が絡み合い、「私」と他者である「読者」もまたそこで結びつけられていること、をテクストを詳細に検討しつつ、説得的に論じられました。~
 質疑応答では、spleen, mélancolie, ennui といった語の意味内容、プーレなどの先行研究を中心に、活発な議論が交わされました。~
 ボードレールにおける「時間」については、数々の先行研究がありますが、廣田氏の発表は、新たな研究の可能性を充分に予感させるものでした。今後は、作品のクロノロジックな側面においてもさらに精緻に検討を重ね、対象も散文詩にまで広げて一つの大きな研究としてまとめられることを期待いたします。~
 二つ目の発表は、丸瀬康裕氏による「中原中也ボードレール」。丸瀬氏は、まず中原中也におけるフランス詩の翻訳を概観した後、その中でボードレールがどのような位置をしめているのかを、「時こそ今は・・・」にみられるような、自作詩への取り込み、「饒舌」Causerieの翻訳の問題、エッセイ「海の詩」と L'Homme et la Mer の比較、「序詞」Au lecteur と「祝詞」Bénédictionの翻訳草稿、デボルド=ヴァルモールの翻訳との比較、そして「序詞」の最終行「−知らないなんて、うそおっしゃい!」という中也の大胆な意訳の解釈を通して、明らかにされました。中也およびボードレールの詩への丹念かつ深い読みによって、ボードレールと中也の詩的精神が交叉する地点が浮き彫りとなったように思います。こうした検討を踏まえた上で、中也がボードレールを、人生の鏡、人生観照的なものとして捉えていたのではないかとする丸瀬氏の結論は、きわめて説得的でありました。
 質疑応答では、とりわけ、中也がボードレールの『悪の華』を全訳する意図を持っていたのはないかとする山田兼士氏との間で、熱い議論が展開されました。~
 丸瀬氏の厳密かつ深い詩の読解が、さらにボードレールランボー以外の詩人たちにも向けられ、中也におけるフランス詩翻訳の全体像および中也の詩的世界が明らかにされることを心より希ってやみません。

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第17回研究発表要旨

『悪の花』における時間 - 廣田 大地 (大阪大学文学部4回生)

 ボードレールにおける時間の観念を巡って、これまでも多くの研究が重ねられてきたが、それは詩人の意識そのものを解明しようとするような観念的な論が中心であったように思われる。ボードレール自身が「前もって選んだ独特の枠に当てはめて」その詩篇を作ったと述べている『悪の花』において、時間という重要な主題は、その「秘かな構築」にどのように関わっているのだろうか。拙論では、詩集『悪の花』におけるtemps「時間」という単語の用例に焦点を絞り、自身を苦しめる「時間」という観念を、詩集の構成のために詩人がどのように効果的に利用しているかを明らかにしたい。
tempsという単語は『悪の花』第2版の中で17回用いられている。そのうちほぼ半分は、例えば « En ces temps merveilleux où la Téologie fleurit [...] » というように、逆説的にも時間の流れを感じさせない、過去の中に固定された時間として用いられ、詩人の理想や陶酔の感覚を表している。一方、その他のtempsという単語は、主に頭文字を大文字で表記し、詩人を苦しめる敵として描かれている。その中でも、第2版で付け加わった第38番目の « Un Fantôme » における « Chaque jour »、80番目の « Le Goût du Néant » における « minute par minute »、そして85番目の詩篇 « L’Horloge » における « la Seconde » は、「憂鬱と理想」の章の中で次第に深まり行く憂鬱を、時間の単位を次第に細分化していくことで表している。その2つの「時間」は、『悪の花』における中心的対立である理想と憂鬱を、それぞれが表しているだろう。第2版の全詩篇126篇の順番に沿って、これら17回のtempsの用例を並べてみると、理想を表すtempsと、憂鬱を表すtempsとが交互に配置されており、理想と現実、善と悪といった二元性の間を錯綜する詩人の姿を髣髴させる (図を参照)。

1 Bénédiction temps
9 Le Mauvais Moine temps
10 L’Ennemi   Temps
11 Châtiment de l’Orgueil temps  
19 La Géante  temps  
30 De profundis clamavi l’écheveau du temps
38 Un Fantôme Temps
47 Harmonie du Soir  temps
48 Le Flacon temps
49 Le Poison  temps  
80 Le Goût du Néant Temps
85 L’Horloge Temps
101 Brumes et Pluies  temps
106 Le Vin de l’Assassin  temps
126 Le Voyage   Temps
126 Le Voyage il est temps! (判別不可)

この理想の時間、憂鬱の時間の性質を、他の面から見ると、理想の時間は、巨大な空間や直線という空間的な無限と結び付き、一方、憂鬱の時間は、反復運動や円運動という繰り返しに結び付いている。後にボードレールは『小散文詩』の一詩篇 « Le Thyrse » の中で、曲線が直線の周りに絡みついたバッコスの杖の姿により二元性の理念を具象化しているが、『悪の花』における二元性もまた同様に、直線により象徴される理想と、曲線により象徴される憂鬱とによって認識することができるだろう。~
 このような『悪の花』における二元性は、 冒頭の詩篇 « Au Lecteur » で「偽善的な読者、わが同胞よ!」と呼びかけられる「読者」を、詩人の立場に引き寄せるための戦略でもあるだろう。憂鬱の時間は、擬人化されることで、詩集における主要登場人物とでもいうべき「詩人」とは異なるもう一つの主体となっている。« Le Voyage » や « L'Ennemi » のような詩篇では、「詩人」の敵として描かれている「時間」だが、例えば « L’Horloge » では、詩人によって演じられた大時計の発した言葉により、24行中22行の詩句が構成され、本来対立する「詩人」と「時間」とが、大時計の声の中で一つに重ね合わさっている。その同一化の裏には、「詩人」の辛辣な言葉を受け取る「読者」と、「時間」に苛まれる「詩人」との同一化が隠れているのではないだろうか。また、詩集の最後の詩篇 « Le Voyage » の結末では、永遠の象徴としても、繰り返す時間の象徴としても読み取れる « gouffre »「深淵」によって二元性が一つに結び付けられているが、その « gouffre » へ進んでいくのは、 « nous » 「我々」である。このように、tempsという言葉を扱った詩篇では、1人称複数の表現が巧みに利用されており、そこからも「詩人」と「読者」を結び付けようとする意図は明らかである。~
 そのような、憂鬱と理想、自己と他者という2つの対立構造を結び付けることで、読者を憂鬱と理想の相克が生み出す世界の中に導く鍵となる存在が、『悪の花』における時間の観念なのではないだろうか。

中原中也ボードレール - 丸瀬 康裕(関西大学非常勤講師)

 生涯にわたってフランス詩に深い関心を寄せ、またその翻訳をつづけた中原中也にとって、ボードレールの存在とはどのようなものであったか。~
 もっとも多くの作品を翻訳したのは、出版社の依頼ということもあるにせよ、ランボーである。彼自身の共感と内的な要請があってのことであり、中原とランボーについてはすでに多くのことが書かれている。ついで翻訳点数として多いのは、ネルヴァル、ヴェルレーヌ、デボルド・ヴァルモールの5篇から6篇、ヴィヨン、ボードレールが3篇、その他1、2篇である。これらの多くは、それぞれの詩人の作品集および『フランス詩の8世紀』(チェンバレン編)などから中原自身が選び出したものである。ボードレールについて言えば翻訳作品は見たようにわずかであり、したがって先行研究は少ない。ボードレールとの関わりをひとつひとつ点検していくことで、中原にとってのボードレールという問題について、われわれは何が言えるのか、そして何が言えないのかをできるだけ明らかにしてみたいというのが本発表の目的である。~

1. 自作詩への取り込み [#qd766291]

1)「時こそ今は」と「夕べの諧調」(ボードレール) 2)「羊の歌」と「敵」(ボードレール)3)「いのちの聲」と「異邦人」(ボードレール) 4)「つみびとの歌」と「敵」(ボードレール
たとえば、「時こそ今は」ボードレールの「夕べの諧調」の冒頭2行を換骨奪胎したものをエピグラフとして使用。また本文の中にも混入。中原はこれを直接原詩からではなく、上田敏の訳詩をアレンジして取り入れている。ボードレール詩の持つロマンチックな雰囲気とその音楽的な響きに感応して、それをエピグラフの中に凝縮させる。そしてブランドとしての「ボードレール」という刻印。中原の作品もまた、恋人へのやさしい呼びかけと親密な気分を喚起しようとし、原詩のパントウムにならった反復と循環性を持つ。自作詩を立ち上げる契機として、詩の「歌いだし」のためのサンプリングであり、ひとつの基調音となって中原詩の中に吸い込まれていく。その意味でボードレールは中原の詩語の中に滑らかに吸収され、そこに衝突や摩擦はない。ボードレールの詩世界への理解とは別のところで処理されている。

2. 翻訳詩「饒舌」 [#tbc66c97]

中原が生前発表した唯一のボードレール詩の翻訳。第2連以降の複雑な位相の変容と屈曲を読み取っていない。中原は第1連の甘美なロマンチスム(彼の偏愛する「空」のイマージュへの親近性)に魅かれただけかもしれず、全体としての理解は消化不良というべきである。

3. エッセイ「海の詩」とボードレール「人と海」 [#ha7fee02]

ボードレールが、人間と海の、その倫理的なありようをアレゴリックに検証するのに対し、中原は時空間の茫々たるさまに気持ちが向かっていく。ボードレールには強烈な意識性と、人間と海の類似と対立の指摘はあるが、時空へと向かうリリスムはない。ここにはないリリスムを中原は読みとるのである。

4. 2篇の翻訳草稿「序詞」「祝詞」 [#d23e52b7]

「序詞」の場合、中原の訳文は一行一行がかなり短い。言葉を変え修辞を重ね、息の長いリズムとゆったりとした波長でうねっていくボードレールの言葉のひとつひとつに、中原はこだわることなく、しばしば簡略に処理していく。「祝詞」に対しては呪われた詩人の宿命性に中原自身の共感があったと思われるが、翻訳としては「序詞」と同じく、少なからぬ語句を省略したり、自らの理解にあわせた要約がみられる。しかし、このような訳し方が、当時の中原の訳詩における際の「癖」として片付けることができないのは、同時期に試みたデボルド=ヴァルモールの翻訳と比べてみるとわかる。後者の場合、中原は語句の間引きはせず、逐語的ながら、のびやかに、自らの歌の気息と重ね合わせるように、原詩の味わいを訳出し得ていると思われるからである。

5. 「序詞」の最終行 [#q7fe71f5]

中原において、ボードレールをついに十分に理解するにいたらず、互いの詩精神はなんら交錯することなく、西洋著名詩人のペダンティックな文学的装飾としてのみ彼の前を素通りしていったのだろうか。「序詞」の最終連に注目してみると、最終行をHypocrite lecteur, --mon semblable, --mon frèreを「知らないなんて、うそおっしゃい!」ときわめて大胆に意訳している。これをどう評価するべきか。外なるイメージ世界を読者の内部へ通底させるべく配列された原詩の一語一語のつらなりの論理も音響もその一切を無視して、ここで中原は一気に下世話な情意的言語におきかえる。この女言葉で発せられた一行は、しかし、明らかに唐突な外からの声の闖入という印象を強く打ち出し、その意味で中原はこの最終行の位相を正確に把握しているといえる。この読者に向かって身をくねらせておどけて見せる嬌態は、中原の道化的資質を掬い上げながら、途方もない名訳となりおおせていると言える。

6. 結語 [#o085ae60]

デボルド=ヴァルモールの場合、詩句は論理ではなく感情に支配されながら動いていくので、中原のようにときに大胆な省略があっても、そこを補う「歌」があれば、彼女の詩の等価物となることが可能なのであり、そして中原は彼女のような作品を得意とするのであるのに対し、ボードレールについては、当初、意匠として自らの詩作品に流行の装飾品のように飾るのだが、晩年になって、人生観照的な関心の高まりの中で接近してはいるにしても、両者の資質には埋めがたい径庭があった。しかし、その強い反撥力から「序詞」最終行の訳語は奇跡のように生まれたのである。