第19回ボードレール研究会

司会者報告 - 丸瀬 康裕(関西大学

 今回のボードレール研究会は、9月11日(土)甲南女子大学において午後2時から開催されました。参加者は20名ちかく、夏の暑さの残るなか、多数の方に来ていただきました。研究報告はふたつ、それぞれに熱心な質疑と発言が交わされ、予定時間を1時間超える活発で充実した集まりとなりました。~
 まず、廣田大地氏の「アナロジー詩学ボードレール韻文詩における直喩の変遷をめぐって −」。コレスポンダンスの美学的理念のなかにボードレール詩を据えて、その詩的レトリックとりわけ直喩のあらわれから、アナロジーをめぐる議論を展開されました。commeをはじめとする直喩の変遷を辿ることによって、Correspondances(初期の「幸福なコレスポンダンス」)からObsession(後期の「不幸なコレスポンダンス」)にいたる距離を架橋しようとする意欲的な試みで、とりわけ配布された資料、『悪の花』初版、第二版、第三版、そしてベルギー詩篇の中から、場所、修飾語句、内容、テーマ系をそれぞれ特定しながら直喩の使用例を詳細にデータ化したものは労作でありました。時空に広がる万象世界に「照応」の糸をはりめぐらすボードレールの広大な詩的宇宙に、直喩というもっとも単純かつ重要なひとつの文彩的あらわれの考察をとおして挑まれた廣田さんの試みは正攻法というべきであって、これにつづく広範な領域の検証を待ちながら、ボードレール詩の本質を解明するゆたかな成果が期待できるものだと思います。司会者の私見ですが、一篇の研究論文としては、広い展望へのレフェランスを保ちながら、特定の詩作品にしぼって考察された方が、技術的には容易であったかもしれません。参加者からはたくさんの質疑と発言があり、それは問題系の重要性と発表者への期待の大きさをよく表すものでありました。~
 つぎに中堀浩和氏が「ボードレールの禁断詩篇について」と題して発表されました。1857年発表された『悪の花』はただちに公衆道徳良俗紊乱の科により起訴されたのち有罪判決を受け、300フランの罰金とともに6篇の詩作品の削除を命じられることになる。発表者はまず検事の論告を中心に裁判の経緯を辿られたのち、初版の構成と1861年に出た削除後の第2版のそれとの相違を確認されました。配布された資料にもとづいて、削除詩篇6篇のそれぞれについて検事が問題ありとした箇所を見て、そのなかで「レスボス」と「地獄に堕ちた女たち」の場合は全行が対象とされていることから問題は描写ではなく思想=「レスビアニスム」にあることを示されました。また1845年における詩集の仮題がすでに「レスボスの女たち」であったように、『悪の花』において詩人が根幹に据えて称揚した「レスビアニスム」が第二帝政下の時代風潮を痛打する反社会性のひとつの体現であったこと、またこの現代を予見する愛のかたちが、第2版最終章「死」の、そして同時に詩集全体の締めくくりでもある長詩「旅」の末尾に記された「新たなるもの」に照応するのではないかという指摘は新鮮でした。結論部分に十分な時間を費やすことができなかったのは惜しまれますが、中堀氏の音吐朗々たる作品朗読は聴衆を十分に魅了したと思います。~
 そのあと、lesbien, lesbianismeの語義の時代的な変遷について、当時の政治的権力の柔構造性などについて、活発な質疑応答がありました。なかで、同性愛として時の権力によって糾弾されているのは < 反社会的不毛性 > すなわち < 詩的営為 > そのものではないかという寺本成彦氏の発言が印象に残りました。~
 閉会のあと、くつろいだ場処にところを移し、うちとけた議論や雑談に時間を忘れることとなりました。

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第19回研究発表要旨

アナロジー詩学ボードレール韻文詩における直喩の用法の変遷を巡って ― - 廣田 大地(大阪大学修士課程)

 1857年に『悪の花』第1版が有罪判決を受けてから、1861年に『悪の花』第2版が出版されるまで、この僅か4年にも満たない期間に、ボードレールは幾つもの詩篇を書き上げ、最終的に『悪の花』第2版には32の詩篇が増補されることとなった。この短い期間における詩人の思想的・手法的変化について、これまでにも数多くの研究家が言及しているが、例えば、« Corespondanses » のなかで幸福な照応関係として描かれていた自然と人間の精神とを結び付けようとする眼差しが、« Obsession » のような「憂鬱と理想」の終盤に加えられた詩篇群では、自然から蒙る強制的な力に変容しているという、『悪の花』第1版、第2版におけるコレスポンダンスの理論の扱われ方の変化を指摘するものは、その代表的なものの1つだろう。しかし、上に挙げた2篇は共に前置詞commeによる直喩を効果的に用いた詩篇であることから、ここに現れていた変化を、コレスポンダンスに関する詩人の思想の変化として一元的に還元するだけでなく、直喩という1つの文彩の、用法の変化として捉え直すことが出来るのではないだろうか。~
 そこで本研究は、幾つかの詩篇を引用するだけではなく、ボードレールが詩作で用いた直喩の網羅的な分析によって、詩人の詩作法の変化を見出すことを目的としている。具体的には分析に以下のような方法を用いている。『悪の花』第1・2・3版に含まれる詩篇、計157編の中で使われる全直喩、つまり前置詞comme及びainsi queによって結び付けられた、計348組の喩えられた語句comparéと喩えている語句comparantの一覧を制作する。それらを幾つかの特徴にそって分類する。各特徴において、3つの製作時期(A・第1版出版まで、B・第1版出版〜第2版出版、C・第2版出版後)の中での偏りを調べる。ただし、A・B・Cの製作時期で用いられる直喩の割合は、11:4:1と、作品量に伴い大きく異なることを加味しなければならない。発表に際しては9枚に渡る資料によって具体例を示しつつ解説したが、ここでは文字数の制限もあるため分析の結果明らかとなった傾向のみを記すこととする。~
時期Aでは、ver, vermineなどの虫を表す単語が、直喩のcomparé、comparant双方に数多く見られるが(計11回)、時期Bの詩篇にはまったく見られない。同様のグロテスクな表現が用いられる割合も、時期Bの詩篇では比較的少なくなっている。~
 崇高なものと卑俗なもの、美しいものと醜悪なものといった正と負との観念を結び付けるような直喩は、時期Aでは16回、時期Bでは2回であり、この撞着語法的特徴もまた第1版の傾向と考えられる。
嗅覚と視覚のように、異なる五感を結び付けようとするものが時期Aで11回、時期Bでは1回見られ、同様に第1版の傾向と考えられる。~
 その他にも、「植物」「動物」「海」「神話」といった要素がcomparantの中でどれほど用いられているかを調べたが、3つの製作時期において恒常的に用いられている。このように多くの特徴は、第1版において顕著に見られるか、もしくは製作時期による使用頻度に差がないかであるが、例外として、第2版において鮮明になった「都市」の要素が、時期Aの直喩には見られなかったのに対し、時期Bでは幾つか現れている。~
 また、以上のような直喩の内容についてではなく、直喩の形式に目を向けてみると、comparantが主語と動詞を持った1つの節になっていることや、たとえ単語であっても関係代名詞によって修飾され結果的に1つの節を内包していることがある。このような形式の直喩は、時期Aにおいて41回、時期B・Cにおいては33回であり、それぞれの時期の作品量を考慮すると、後期においてこの形式の頻度が高まっていることが分かる。この形式を持った直喩には、憂鬱な調子を帯びたものが多く、その関連についての考察は今後の課題としたい。~
 ボードレールの韻文詩において直喩は常に多用され重要な役割を担っているが、このように、時期Aにおいて直喩が特定の美的理念と結び付いていたのに対し、その後の製作時期においては、その傾向が姿を消している。ただし、それが直喩に対する関心の低下と結び付けることが出来ないのは、作品量に対する直喩の割合にほぼ変化のないことや、分量の多い節を伴った形式の直喩が多用されていることからも明らかである。それ故、直喩の用法に特定の傾向が見られなくなっているのは、むしろ、直喩という形式そのものや、事物の類似関係そのものに対する詩人の関心の高まりを示しているという仮定が浮かび上がってくるだろう。~
 この仮定と関連付けて、第2版で付け加えられた « Le Cigne »や « Les sept Vieillards » の中で、事物の類似性が詩篇を構成する上で中心的な役割を担っていることや、これらの詩篇の中で「全てが私にとってアレゴリーとなる」、「物が二重に見える酔っ払いのように」というように事物の類似性を見抜く自分自身への視線が描かれていることを読み直してみることも興味深い。詩人の意識の中に氾濫する類似関係と、それを捉えようとする精神との間の激しいせめぎあいこそが、『悪の花』第2版に新しく収められた数々の新しい詩篇を生み出したのではないだろうか。

ボードレールの「禁断詩篇」について ―「禁断詩篇」から『悪の華』の「旅」へ ― - 中堀 浩和(甲南女子大学

 1857年6月25日に『悪の華』が発売されるや即刻パリ軽罪裁判所に公訴された。同年8月20日には判決が下されるという迅速裁判であった。約半年前に、フロベールの『ボヴァリー夫人』も公訴されたがこちらは無罪であった。両者を担当した検事は同じエルネスト・ピナール。検閲制度は現在我々が考える以上に恣意的な面があったが、小説と詩において近代文学の先駆となった両作品が共に検閲の洗礼を受けたということはある意味で象徴的な出来事であり、近代社会の成立を考える上で示唆に富む。また検事の論告と弁護側の口頭弁論を通して見えてくる当時の検閲制度や社会状況や道徳的基準が如何なるものであったか興味は尽きない。今回の発表では初版の『悪の華』から公衆道徳良俗紊乱の罪で削除を命じられたいわゆる「禁断詩篇」と称される6篇の詩の中から『レスボスの女たち』(1845年に出版予告された『悪の華』の最初の題名) の中核と見做される作品を取り上げて、『悪の華』第2版 (1861年、決定版) の最後に置かれる「旅」という詩にどのように収斂して行くのか考察する。~
 『悪の華』初版は序詩を除いて100篇5章からなる:1. 憂鬱と理想 (77) 2. 悪の華 (12) 3. 反逆 (3) 4. 葡萄酒 (5) 5. 死 (3)  ( ) 内の数字は詩篇数。「禁断詩篇」の内3篇は < 憂鬱と理想 > に属す:「宝石」(20番)、「忘却の河」(30番)、「あまりにも快活な女に」(39番)。他の3篇は < 悪の華 > に属す:「レスボス」(80番)、「地獄に落ちた女たち − デルフィーヌとイポリット」(81番)、「吸血鬼の変身」(87番)。なお、81番と同名で副題の付かない「地獄に落ちた女たち」(82番) は削除されなかった。~
 第1章の < 憂鬱と理想 > には100篇中77篇が含まれる。これを見ても分かるように『悪の華』は「憂鬱」と「理想」を主旋律とする対位法的な楽曲構成を取っている。クレペとブランは「理想」詩篇を「芸術」詩群と「恋愛」詩群に分類している。削除された「宝石」「忘却の河」「あまりにも快活な女に」「吸血鬼の変身」は「恋愛」詩群とそのバリエーションである。「理想」とは裏腹に近代的な恋愛心理の病理現象を順次剔出したものである。作品番号が20番から87番にわたっていることに注目すべきである。~
 『レスボスの女たち』は結局予告だけに終わったが、「レスボス」詩篇を構成する予定の2篇が「レスボス」と「地獄に落ちた女たち− デルフィーヌとイポリット」である。この2篇は作品番号が80番と81番で87番「吸血鬼の変身」の前に置かれていた。どちらも同性愛を扱った作品である。「レスボス」はギリシャの女流詩人サッフォーの伝説を踏まえたもので同性愛を宗教の域にまで高めながら、みずから戒を破りレフカスの岬から投身したサッフォーに対するオマージュとなっている。自然な感情が横溢したレスボス島の同性愛的な習俗を理想化した作品である。それに対して「地獄に落ちた女たち」は同性愛がもはや無垢ではありえず、地獄落ちに苦悩する女たちの姿を読み込んだ作品である。異性愛を意識しそれと拮抗する構図となっている。近代的な人権思想をそこに読み取ることもできる。「レスボス」に見られる「おまえは許しを永遠の殉教から引き出すのだ」「愛は地獄でも天国でも意に介さない」といった詩句からも宗教的な次元を越えて、近代社会が限りなく生み出す辺境部の拡大を感じ取ることができる。なお、「レスボスの女たち」はフランス語で Lesbiennes であるが、プティ・ロベール仏仏辞典よれば lesbienne が同性愛の女の意味でフランス語の辞書に収録されるのは1867年で、ボードレールが死んだ年である。それまでは同性愛の女の意味では tribade が用いられていたようだ。~
 1848年には『レスボスの女たち』に代わって『冥府』の出版予告が出る。「冥府」limbes はカトリック神学でキリスト降誕以前に死んだ義人や洗礼を受けずに死んだ幼児が死後に住む天国でも地獄でもない場所を意味する。また「辺境、はずれ、少数派」といった意味もある。「禁断詩篇」は言ってみれば近代社会の辺境で生起しては中心部に逆流してくる現象を洞察した作品と言える。そういう意味で詩集名としては『悪の華』よりは『冥府』の方がより内容に相応しいと思われる。今回の発表ではこの点について十分言及できなかった。ただ、『悪の華』第2版の最後に付け加えられた「旅」の有名な最後の詩句「我々は、< 地獄 > でも < 天国 > でもかまわない、/ 深淵の奥底に飛び込みたいのだ、/ 新しいもの を見つけるために < 未知なるもの > の奥深くに ! 」は単に「死」の世界を意味するのではなく、まさしく怪奇な存在である人間の「冥府」を意味するのではなかろうか。~
 付記:関心のある方は『甲南女子大学研究紀要(文学・文化編)』(2005. 3. 刊予定) に掲載の拙論(『悪の華』の成立過程から見えてくるメッセージ)をご覧ください。