第25回ボードレール研究会

  • 日時: 2007年7月28日午後4時−6時
  • 場所: 大阪日仏センター/アリアンス・フランセーズ

第25回ボードレール研究会司会者報告 - 山田 兼士 (大阪芸術大学)

 第25回ボードレール研究会は、前回から1年4ヶ月ぶりとなる2007年7月28日、午後4時より「大阪日仏センター/アリアンス・フランセーズ」で行なわれました。長期にわたって中断していた主な理由は、2006年秋より発足した全国規模でのボードレール研究会の準備と運営にありました。その第2回にあたる2007年5月19日 (於 明治大学) には、先般逝去された阿部良雄先生を追悼するシンポジウムを行い、その際のパネリストたちの発言と、本研究会会員である岩切正一郎、海老根龍介、北村卓、山田兼士の追悼論考が、月刊「水声通信」2007年6月号に掲載されています。今後は、春秋のフランス文学会の折に研究会を開催しつつ、関東、関西それぞれの研究会を定期的に行う予定です。

 さて、久しぶりの関西での研究会は、新進気鋭の二人の発表で大変活気に溢れるものとなりました。参加者は16名。西岡亜紀さんの発表「ボードレールを受容する福永武彦 ―『幼年』の記憶描写と「万物照応」」は、ボードレールの「コレスポンダンス理論」の要にあると福永が仮説した「原音楽」を軸に、小説『幼年』の「純粋記憶」を読み解こうとする試みです。福永作品の中にあって初期から後期への転換点に位置する『幼年』は、その実験的方法と相俟って様々な問題系を含む長篇ですが、その方法の根源にボードレール詩学からの反照を読み取る研究は意外と少なく、この方面での今後の可能性が大いに期待されます。福永のテキストを丹念に読み取ってボードレール詩学に結び付けるプロセスは大変手堅いものですし、両者の「記憶」を重ね読みする方法も正統的と呼んで差し支えないものですが、「万物照応」といい「純粋記憶」といい、解釈の方法がいささか静的なレベルに止まっている点が気になりました。初期作品から中期、後期を経て晩年に到る福永文学の変化を捨象することなく、さらにダイナミックな論考を期待したいところです。

 廣田大地さんの発表「幻影と額縁 ― 後期ボードレールの詩作観について」は、『悪の華』第2版38番目の連作詩「亡霊」(全3篇) 中の「額縁」にまず注目し、これにほぼ同時期に書かれた美術批評「現代生活の画家」を重ねることで、後期韻文詩における「枠」への志向を解析しました。めまぐるしく変化する現代生活を作品に固定するために「小さな枠による連作」を必要とした、という観点は散文詩の創作方法にまで及ぶ、という発想は大変新鮮なものですが、それならばあらゆる作品が「枠」ということになりかねないのではないか、との質問が会場から出ました。使用概念の「枠」組みの設定に課題を残しつつ、今後の展開を期待させるに十分なダイナミズムを感じさせる発表でした。

ボードレールを受容する福永武彦―『幼年』の記憶描写と「万物照応」― 西岡 亜紀(お茶の水女子大学 大学院研究員)

 福永武彦 (1918-1979) の『幼年』(1964) は、「純粋記憶」という福永独自のモティーフ、自分のうちに純粋に残っている幼年の記憶を定着させた小説であり、記憶をテーマに書き続けたこの小説家の生成において鍵となる作品である。本発表では、このモティーフの定着にボードレール (1821-1867) の「万物照応」がどのように関与しているかを明らかにする。「万物照応」の解釈において福永は、「原音楽」という言葉を用いつつ、漠としているが確かに実在していて「万物照応」における感覚や事物などの物質の照応を根源において支え促す精神的次元を、その本質に据えていた。この精神的次元は、例えばブランが「精神的な要素」、プーレが「振動」とか「反響」、阿部良雄が「精神的な負荷」という言葉で説明してきたような、いわば「万物照応」を根底において支える次元に一致する。『幼年』の「純粋記憶」の描写では、第一段階において具体的なイメージにならない精神的アマルガムとしての記憶が示唆され、第二段階ではそれに入り混じるように「万物照応」の「共感覚」を思わせる感覚のアマルガムのような記憶が現れる。そして更に第三段階として、それらに接合して想像力によって見出される具体的な記憶のイメージが次々と展開する。この最初の二段階は、福永が「原音楽」という言葉によって捉える精神的次元に重なっており、この重ね合わせにより、「純粋記憶」は本質において確かに“在る”ものとして保障されたと考えられる。第三段階は「万物照応」とは別の展開だが、ここに見出される、記憶を想像力によって具体化するという態度も実は、ボードレールの記憶観に依拠している。結局、福永は「万物照応」における美学に支えられて、残存している幼年の記憶の実在性を確かめ、そこにボードレール的な想像力としての記憶を接続するという形で、「純粋記憶」を描くための真実性を保障された「虚構」の方法を確立したと言うことができる。

幻影と額縁 ― 後期ボードレールの詩作観について - 廣田 大地 (大阪大学博士課程)

 主に1860年前後に執筆され、1863年の11月から12月にかけて「フィガロ」紙に掲載された『現代生活の画家』は、画家コンスタンタン・ギースについての批評という側面を越えて、現代性をめぐるボードレールの芸術観が多分に盛り込まれている。中でも作品の各所に見られる「夕暮れ」soirや「幻影」fantômeのような形の定まらない曖昧なものと、それを取り囲む「額縁」cadreの比喩に注目したい。このイメージの組み合わせは、同時期に書かれた連作韻文詩篇「幻影」Un Fantômeの第3詩篇「額縁」Le Cadreとも対応を示し、当時のボードレールの芸術観を示す重要な観念であるように思われる。

 そのことは、『悪の花』初版以降のボードレールが、複数の章による作品構成に執拗なこだわりを見せていることと決して無関係ではないだろう。『哲学的芸術』での連作絵画に対する注目、画家メリオンとの間での絵画とテクストとのコラボレーションの計画、ヴィクトル・ユゴーの『諸世紀の伝説』に対する批評などは、いずれも1860年前後のものである。そして『現代生活の画家』という批評作品もまた、ボードレールが同作品の中で述べているように「無数の枝分かれによって中断されながらも続いていく展示会」のような性格を持っている。さらには散文詩という詩のあり方もまた、韻文という「枠組み」からは抜け出しつつも「断片に切り刻まれても別々に生きのびる」ことができる、一つの詩篇としての「枠」を具えている。韻文詩と散文詩とは、ボードレールにおいて対立するものとして考えられることが多いが、実際には、ポエジーという形のないものを、形式の「枠」にとどめて形作るという意味で、詩人は二つの形態を同じように捉えていたのではないか。詩篇「額縁」のような韻文詩は、強固な形式によって支えられているが、その形式という枠を出来る限り簡素なものにしたものが、一作品としてのまとまりという最低限度の枠のみを残した散文詩なのである。

 それならば、何故ボードレールはそのような簡素な「枠」を必要としたのか。画家ギースがそうであったように、同時代を描き出すには、現代的な主題を選ぶだけでなく、その作品をいち早く読者のまえに提示する必要がある。それゆえにボードレールは新聞のようなメディアを積極的に活用しようと考え、小さな枠によって区切られた連作による作品構成を、新聞の掲載にも適した形式として追求したのではないか。そしてそのような詩人の芸術観が、すでに『現代生活の画家』の作品構成や発表形態にも現れているのである。

第24回ボードレール研究会

第24回ボードレール研究会司会者報告 - 丸瀬 康裕(関西大学非常勤講師)


2006年3月28日大阪日仏センターにおいて、第24回ボードレール研究会が開かれました。本報告はその折の発表についてのものでありますが、すでに1年以上の時間が経過しており、記憶は曖昧でここにその論旨をお伝えすることができません。発表者の方をはじめとして皆様にお詫び申し上げます。したがいまして、研究発表の内容についてはそれぞれ発表者による要旨をご覧いただきますようお願いいたします。

ところで、研究会の途絶えたこの一年あまりのあいだに、ボードレール学者の阿部良雄、山村嘉巳の両氏が2007年のはじめに相次いで亡くなられました。私の場合ですが、山村氏からはとりわけその謦咳に接することをとおして、また阿部氏からはその重厚な著作をとおして、学び得たことの大きさは計り知れません。辰野隆氏による『ボオドレエル研究序説』をもって日本のフランス文学研究が始まったとすれば、阿部良雄氏全訳ボードレール全集はその後の我が国のフランス文学研究発展の最高度の到達点を示すものと言ってよいでしょう。

しかしながら、昨今の大学事情として、スタンダールカフカ、チエホフの名も知らぬ学生たちの「文学離れ」はとどまるところを知らず、外国語クラスは巷の語学スクールのカリキュラムに追随してその存在意義を見失い、かつては文学部の、ある意味で花形的存在であった仏文学科も全国で次々と消滅しているのはご承知のとおりです。

読むにせよ書くにせよ言葉との辛抱強くゆるやかな時間をかけた、しかしこのうえない愉悦に満ちた濃密な交感の体験を、今や私たち日本人は一顧だにすることもなくなったかのようです。言葉の配列があれば効用と情報を読み取ることのみが大切なのであって思想やいわんや「ポエジー」を読み出すなど笑止の沙汰なのでしょう。

フランス文学の偉大なる先達とともに「文学」が熱い意味をもっていた時代は逝ってしまったのでしょうか。あるいは「文学」はなにか別のものに姿を変えようとしているのかもしれません。いつか怪物的な才能があらわれてそれが何であるかを示してくれる日がくるやもしれませんが、すくなくとも私たちに残された古今東西の膨大な作品群が汲めども尽きぬ豊饒な文学宇宙であることだけは間違いありません。

かつて「これほど重要な詩人はいない」とヴァレリーが指摘したボードレールの重要性は今も、いや今だからこそますます有効であるという気がしてなりません。「有用な人間ほど醜いものはない」などと口走るボードレールの毒矢の射程はまっすぐに21世紀の私たちのところに届いています。しかしボードレールという存在が真正のファルマコンとして「文学」や「ポエジー」などなくても一向に困りなどしないという顔をした私たちの貧しく病んだ今を射抜いてくれるためには、彼の言葉のひとつひとつに注意深く耳を傾け続ける他ありません。ささやかなりともボードレールをめぐるこうした集いの意義は大きいと言うべきでしょう。研究会の再開をよろこびたいと思います。

廣田大地氏の今回の緻密な考察の根っこには『悪の花』の定型韻文詩における詩節間の空白の、音なき音、言葉なき言葉に耳を澄まそうという繊細な問題意識があります。『悪の花』を核心に据えた氏のボードレール研究の正統性に期待したいと思います。また、山田兼士氏と北村卓氏の研究報告はいずれもボードレール福永武彦との関係についてでありました。山田氏はロートレアモンを視野に入れることで福永の外国文学受容の世界が完結するという前提に立って、創見に満ちた研究の展望をいつもながらに熱く語られました。北村氏は、福永原案の「モスラ」の故郷「インファント島」着想の中に、ボードレールの < 旅 > と < 楽園 > の主題があること、および映画という大衆消費世界の論理がいかに原案を変質させていくかを、資料への適切な目配せとともに明快に考察されました。

それぞれの発表について活発な議論を交わしたあと、参加者は場所を移して寛いだ談笑の時間を過ごしました。


第24回研究発表要旨

分断された詩篇 ―『悪の花』第2版の新詩篇における形式的特徴について - 廣田 大地 (大阪大学博士課程) [#kbcf4e70]


『悪の花』第2版で増補された32の詩篇の内、7篇が複数章による形式を持つ。執筆された時期に沿って確認すると、まず1859年の2月に手紙の中で発表された「旅」が8章、同年9月15日に発表された「小さな老婆たち」が4章、つづく「秋の歌」「働く骸骨」「白鳥」「パリの夢」はいずれも2章に分割されている。そして1860年の10月、『悪の花』第2版の出版4ヶ月前に発表された「幽霊」では、一つのソネが1章を形成し、全4章の形式を取っている。さらには初版からの詩篇である「猫」、「取り返しの付かないもの」、「アベルとカイン」の3詩篇は、第2版で新たに章分割を含むことになる。

この特徴が第2版以降のものであるのに対して『悪の花』初版からの詩篇には、、557のリズムの繰り返しとルフランによって構成された「旅へのいざない」のように、一定のリズム、特定の詩句の「規則的な繰り返し」が頻繁に見られる。ただし、このような初版から第2版へかけての特徴の変化を、統一性から分断への変化と捉えてしまうことには注意が必要である。というのも、このような形式の変化の一方で、ソネという連続性の断絶を内に抱いた形式をボードレールが常に用いていたからである。ソネによる詩篇が『悪の花』において2ページにまたがって印刷されることで、この分断の要素はより一層強調されることになる。この特徴を、新詩篇の中では、章分割というより幅広い形に応用してみたのだと、解釈するのが妥当なのではないだろうか。

それではボードレールは、第2版の新詩篇においていったい何を目指していたのか?例えば「秋の歌」において、詩篇の中央にぽっかりと空いてしまった章分割の空白は、死におびえつつも過ぎてゆく、虚しい今という瞬間の象徴とも、はたまた「我々を貪欲に待ち受ける墓」のように、我々の心の中心に居座っている虚無の象徴とも受け取ることが出来る。また、「白鳥」では、章分割の空白の後、「パリは変わり行く」という詩句から第2章が始められる。変わり行く歴史の流れの中の、今というごく一点に目を向けた詩人の心が、詩句という連続性の中に作られた章分割という一瞬の断絶よって表されているだろう。そして4つのソネによる詩篇「幽霊」の第3章「額縁」において、この章分割は最大の効果を示す。Commeによって始められた額縁の直喩が展開される第1節と、Ainsiによって直喩を受けた上で、その直喩によって修飾される本文が展開される第2節による、伝統的なアナロジーの構造は、額縁の中にぴったりとはまり込んだ絵画のように、詩節の句切れの中にぴったりとはまり込み、額縁という主題を形式的にも見事に表現する。一方、第4章の「肖像」では、脚韻の踏み方は正しくなくとも、『時間』という敵を前にしての芸術家としての信念が迫り来るように表わされる。この二つのソネは、過去と現在、形式の遵守と逸脱、美しさと醜さ、静と動といった対照的な性質を持つことで、その中間にある章分割の役割を明確なものにしている。

このような、章分割による象徴的効果や構造化こそが、ボードレールが第2版の新詩篇の中で生み出した、一つの成果だと考えられるだろう。初版までの韻文詩で追求していた詩句の連続性、統一性に加えて、韻文詩が持つもう一つの重要な特徴である、断絶性という要素を強調することで、韻文が持つあらたな可能性を、ボードレールは提示したのである。

福永とボードレール ― トポスとしての島 - 北村 卓(大阪大学

周知の通り、福永武彦は小説家・詩人であると同時にボードレール研究者でもあった。とりわけボードレールの韻文詩「旅への誘い」は福永が最も愛した作品である。そしてこの「旅への誘い」をめぐる主題は、ゴーギャンを介して福永の文学的端緒ともいえる『風土』(1941年に書き始められ、1951年に完成)にすでに認められるのである。その経緯は、まさに「旅への誘い」と題された短編 (1949) の中で明らかにされている。すなわち、戦争の末期、迫りくる死の脅威を感じながら、小説 (「風土」) を書きつつ愛聴していた「旅への誘い」(作曲:デュパルク、歌:パンゼラ) のレコード (戦火で消失した) を、戦後結核療養所で死と隣り合わせにある状況なかで再び主人公は思い出す。このとき彼は、自分にとっての「旅への誘い」の意味を悟る。それは「絶望的な条件の中に僅かばかりの可能性を求めて生きること」に他ならない。このように、福永の文学的営為の発端から、ボードレールおよび「旅への誘い」はきわめて特権的な位置を占めていたのである。

また福永は、「ボードレールの世界」において、「旅」の主題をめぐり、それを幼年期への回帰という観点からまず論じている。空間的に隔たった楽園の地への旅と、時間を遡行する甘美な幼年期の追憶とをパラレルに捉えているのである。そして福永は、南洋の楽園の島タヒチに旅立ったゴーギャンを語る際も、つねにボードレールを引き合いに出す。「アレアレア」を解説するくだりでは、まさにボードレールの「旅への誘い」が引用されているのである。そして福永が『ゴーギャンの世界』(1961年7月) に精力的に取り組んでいたその頃、中村真一郎から映画『モスラ』(1961年7月公開) の原作の話が持ち込まれる。結局、中村、福永、堀田善衞の三人による共同執筆という形の原作「発光妖精とモスラ」が1961年1月、『週間朝日』に発表される。原作のプランにおいて主導的な役割を果たしたのは中村真一郎であろうと推察されるが、モスラの故郷である「インファント島」の設定については、福永武彦が大きく関与していると推測される。

インファント島は、天国と地獄、生と死という両義性を付与されている。「このインファント島は最近、ロシリカ国が水爆実験場に使用し、島の四分の三を爆風と熱とで吹き飛ばしたばかり」とあるように、小説の冒頭でこの島は、隠された楽園の相貌を露わにする前に、まず不毛の地として姿を現す。さて、福永は「ボードレールの世界」において、「死に至る旅」の例として『悪の華』から「旅」と「シテールへの旅」の二篇を挙げている。後者は、美しき楽園・黄金郷のシテール島への旅立ちという通俗的なテーマをひっくり返したもので、これはまさしく「インファント島への旅」の陰画といえる。また、福永が描くように、ゴーギャンが目にする現実のタヒチは、フランスの植民地支配によって西欧化が進み、理想の古代世界はもはや死に瀕している。さらにゴーギャンはその晩年、病気と貧困に苦しみつつ、死を眼前に見据えながら壮絶な創作活動を行った画家である。もちろん、このインファント島がまず第一に、1954年3月、第五福竜丸死の灰で被う水爆実験が行われたマーシャル諸島ビキニ環礁であることは言うをまたない。

さて、若い頃に結核を患い常に死に直面し続けてきた福永にとって、「死」は「愛」とともに最大のテーマであった。そして「死への旅」「不毛の島への旅」もまた重要なモチーフを構成していたことは、最大の長編『死の島』(1971) が如実に示している。このタイトルの直接の源泉は作品中でも明らかにされているように、スイスの画家ベックリンが描いた同題の絵画である。さて、主人公が広島駅で「ひろしま」という構内アナウンスを「死の島」と聞き取ってしまうくだりは有名であるが、1963年の「「死の島」予告 (二)」には、「現代に於ける愛の可能性、或いは不可能性という主題を、原爆の被害者である一人の女性をめぐる数人の人物との関係に於て捉え、そこに死の島である日本の精神状況を内面的に描き出したいという私の野心・・・」とある。福永にとっては、戦後の日本こそが「死の島」だったのである。すなわち、福永にとってのインファント島とは、まずボードレールのシテールであるとともに、ゴーギャンタヒチベックリンの「死の島」、水爆実験のビキニ、さらには原爆が投下されたヒロシマでもあり、さらには死の島の秘密すわなち不毛・荒廃・死を裡に隠しつつ繁栄を謳歌する、まさに戦後日本の状況そのものであった。

福永武彦・詩の循環 ― ロートレアモンボードレール - 山田 兼士 (大阪芸術大学)

和文学を代表する作家のひとりである福永武彦は、小説家・詩人であると同時にすぐれたフランス文学者であり、とりわけ人文書院版『ボードレール全集』の編訳に代表されるボードレール研究において大きな業績を残している。福永の最初の著書は『ボオドレエルの世界』(1947年) であり、それ以前、東大仏文科卒業論文ロートレアモン論だった。本研究は、フランス文学者としての福永武彦ロートレアモンボードレールから何を得て自らの創作活動に昇華していったのかを探る試みである。

発表の手順としては、まず、私自身がこれまでに書いてきた以下の福永武彦論を要約して説明した。

  1. 詩と音楽 ― ボードレールから福永武彦へ (1), 「詩論」5号, 詩論社, 1984, 3, 31.
  2. 憂愁の詩学ボードレールから福永武彦へ (2), 「詩論」6 号, 詩論社, 1984, 10, 20.
  3. 廃市論 ― ローデンバック、福永武彦村上春樹, 「河南文學」第 5号, 大阪藝術大学文藝学科研究室, 1995 年 5月.
  4. 冥府の中の福永武彦ボードレール体験からのエスキス, 「昭和文学研究」第 31 集, 1995, 7, 昭和文学会.
  5. Takehiko Fukunaga et Lautréamont : ― de Gouffre à L'Ile de la mort, Cahiers Lautréamont, LII et LIII, AAPPFID, Paris, 2000.
  6. フランス文学者福永武彦の冒険 ― マチネ・ポエティクから「死の島」へ, 「日本文学」第 51 巻 4 号, 2002, 4, 10, 日本文学協会.

ボードレールからの受容が多いと思われがちな福永文学だが(実際そのことは間違いではないのだが)、ロートレアモンからの受容が意外と重要ではないか、というのが近年の私の考えである。この点を証明するために、(5) (6) の研究要旨を特に重点的に発表した。福永の中編「深淵」と長篇「死の島」に見られる「悪」のテーマがロートレアモン体験と深く関わっているのではないか、という考察である。この点をさらに綿密に実証するために、今回、新たに次の2点を研究課題として挙げた。一つは、福永武彦最後の著作である「内的独白 ― 堀辰雄の父、その他」の中心主題である「幼年」をロートレアモン「マルドロールの歌」に通底するものと捉える視点。もう一つは、東大仏文科卒業論文であるロートレアモン論 (フランス語論文) の中心主題の一つがやはり「幼年」であったことに注目し、福永文学の出発点をロートレアモンにおける「幼年」のモチーフに重ねて考察すること。福永文学のいわば最初と最後にロートレアモン体験を措定し、その間にボードレール体験を位置づけることで、福永武彦におけるロートレアモンボードレールという詩の循環をより厳密に考察すること。これを今後の課題として、ひとまず本発表を終えた。

第23回ボードレール研究会

司会者報告 - 北村 卓 (大阪大学)

 第23回ボードレール研究会は、2005年12月3日 (土) 2時より、大阪大学言語文化研究科にて開催された。参加者は12名。今回は東京から国際基督教大学の岩切正一郎氏に発表をお願いした。関西以外の地域からの参加は、ボードレール研究会としては初めてである。お忙しい中にもかかわらず、快く承諾していただいた岩切氏に深く感謝したい。
 さて最初の発表は、岩切正一郎氏による「『悪の華』における所有の問題」。岩切氏は、ボードレール詩学における他者 (女性) を理解するための言語使用という観点から、ロマン派の詩および19世紀から20世紀前半にかけてのレアリスム小説を視野に収めつつ、「私」という登場人物が他者のことばを捉えるにあたってどのような変化が生じているのかを、「病気のミューズ」「死の舞踏」「告白」「イツモコノママ」「仮面」といった『悪の華』の詩篇群の分析から、さらに散文詩「窓」と「ビストゥリ嬢」へと射程を拡げ、綿密な検討を加えられた。いわば詩のナラトロジーともいうべき岩切氏の斬新な手法は、ボードレールにおける「他者」の問題について新たな側面を照射するきわめて刺激的なものといえるだろう。
 続いて、山田兼士氏が、2005年の4月に砂子屋書房から出版された著書『ボードレール詩学』について、その内容と本書の出版の経緯などについて発表された。本書は、1991年に刊行された『ボードレール « パリの憂愁 » 論』以後の論考に加筆訂正を加え、それを一つにまとめた集成であるが、第一章「ボードレール (から) の越境 ― 詩人論的考察、第二章「絵も歌も小説も ― 比較芸術的考察」、第三章「ボードレールからコクトーへ ― 鏡像/彫像/映像の詩学」の三部からなっており、構成にも十分な配慮がなされている。『悪の華』から『パリの憂愁』へを一つの軸として、その周囲に展開するさまざまな魅力ある主題が鏤められており、読み応えのある一冊となっている。その論考のほとんどは、この研究会で発表されたものであり、その意味で本書はボードレール研究会の一つの成果といえるかもしれない。本書の誕生を心から祝福したい。
 それぞれの発表の後には、活発な議論が交わされた。またその議論は、一足早い忘年会の夕べへと引き継がれた。

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発表要旨

悪の華』におけることばの所有 - 岩切 正一郎 (国際基督教大学)

 詩における他者理解 (発表ではおもに愛する女を対象とする) のための言語使用はどのようになされているか、と いう観点からボードレール詩学の特徴を考察するのが、 発表の目的であった。~
 19世紀から20世紀前半にかけて、レアリスム小説においては、バルザック的全知からプルーストセリーヌの主観的ヴィジョンまで、さまざまな他者理解の開発がある。多く「私」を語り手とする詩は、それとの対比では、プルースト的とも言えるものだ。「私」が「君」に充当する解釈の仕方が、ボードレール詩学のなかで変化してゆく過程を検証し、ボードレールの詩世界を構成するディアレクティクを明るみに出そうと試みた。~
 『悪の華』のなかで、「私」の愛する「君」が、みずからの考えを語ることはないと言っていい。「病気のミューズ」 では、「どうしたの」と問われる「君」からの返答の発話はなく、彼女は「私」の詩的ヴィジョン=解釈をもりこむ器でしかない。「死の舞踏」の骸骨である「君」は、発話しているように見えるが、その発話内容は「私」が言わせているものだ。「告白」では、「君」の発する非言語的音のなかに、「私」が、言語化される内面の思考を聞き取っていて、かならずしも「君」がしゃべっているわけではない。「イツモコノママ」では、相手は質問をするだけで、「私」は、黙っていてくれと命令する。このように、ことばの所有は「私」によってなされている。~
 「イツモコノママ」を、文学史的コンテクストに置き直してみよう。ロマン派の詩では、女性の声は、音楽的な優しさであることが求められていた。それはフロベールにまで継承されている。ところが、ボードレールの詩世界では、音楽的な声が積極的な魅力となることはない。むしろ、亀裂のはいった音が詩的価値を持つ。ボードレールがフランス詩のなかに新しく持ち込んだのは、亀裂のはいった声の魅力、自然美と同化することで発話を逆にうばわれてしまう女性に、破壊された人生を語り得る声を回復させることだと言えよう。しかし、その発話は、「私」が簒奪してしまう。~
 女性に持たされていた音楽性は猫に託される。~
 では、語らない「君」をどのように理解するのだろうか。「病気のミューズ」の対抗ヴァージョンとして、「仮面」がある。涙の大河が相手 (彫像) から流れ込んでくるのだ。苦悩の直感的理解である。バルザック的な、見抜くことの出来る人にだけ許された理解である。語り手は、ボードレールの詩に頻出する「私だけは知っている」という位置にいる。~
 ここで、レアリスム小説で浮上してくる問題とおなじ性質の問題化が起こる。散文詩「窓」がそれを端的に示している。「伝説」は「私」の語りで保証されるが、「物語・歴史」は相手の語る/相手に帰せられる真実を必要とするのだ。このとき、伝説の真実性を確証させるのは、テクスト空間 (ボードレール的世界) 全体によって作り出され、読者に認証され共有されている、苦悩の性質そのものである。~
 この逆の場合が、散文詩「ビストゥリ嬢」で、彼女は、自分のファンタスムを、「私」という男に充当し続ける。彼女は、男が医者かどうかを見抜くにあたって « Oh ! je ne m’y trompe guère » という。このときの語り手の当惑が、ボードレールの詩世界の女に所有されたとき、彼女は「どちらが本当か」のベネディクタとなるだろう。

ボードレール詩学』について - 山田 兼士(大阪芸術大学

 2005年9月に刊行した拙著『ボードレール詩学』(砂子屋書房) の紹介。本書は、『ボードレール « パリの憂愁 » 論』(砂子屋書房、1991年)、『歌う!ボードレール』(同朋舎、1996年) に続く、自身三冊目のボードレール論。章節 (太字部分) ごとに初出時の題と掲載誌をあげておく。~
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序章『悪の華』を有罪にしたパリ~

* 詩集『悪の華』を有罪にしたパリ,「鳩よ!」(ボードレール特集号)マガジンハウス社,1991年1月1日

第1章 ボードレール (から) の越境 ― 詩人論的考察
第1節『悪の華』からの越境 夜のパリから昼のパリへ
* 『悪の華』からの越境 ―「夜のパリ」から「昼のパリ」へ,「河南論集」5号,大阪芸術大学文芸学科研究室,1999年12月25日

第2節『パリの憂愁』の女性像 ― ドロテ、ビストゥリ、そして母たち
* 『パリの憂愁』の女性像 ― ドロテ、ビストゥリ、そして母たち,「河南論集」6号,大阪芸術大学文芸学科研究室,2001年3月26日

第3節「世界の外」のボードレールブリュッセルからリヨンへ
* 「世界の外」のボードレールブリュッセル、リヨン,「都市文芸の東西比較」大阪市立大学大学院文学研究科プロジェクト研究,2005年3月20日

第2章 絵も歌も小説も ― 比較芸術的考察
第1節 ボードレールと丸亀美術館のコロー « 憂愁 » の絵画について
ボードレールと丸亀美術館のコロー ―「憂愁」理念のさらなる理解のために,「藝術」22号,大阪芸術大学,2000年11月21日

第2節 二つのデュポン論 ― 詩と歌謡
* 二つのデュポン論 ―『悪の華』以前/以後のボードレール,「年報フランス研究」30号,関西学院大学仏文研究室,1996年12月25日

第3節 散文詩ポリフォニー ― 現代小説の方へ
散文詩ポリフォニーボードレール分身の術,「藝術」14号,大阪芸術大学,1991年12月1日

第3章 ボードレールからコクトーへ ― 鏡像/彫像/映像の詩学
ボードレールからコクトーへ ― 鏡像/彫像/映像の詩学をめぐる一考察,「河南論集」2号,大阪芸術大学文芸学科研究室,1995年12月31日

 前著『ボードレール « パリの憂愁 » 論』以後14年ほどの間に書いてきた論考に必要な加筆訂正を施した上で、全体の組立てを考えて三章構成とした。その多くは「ボードレール研究会」にて口頭発表したものが元になっている。前著が私にとって詩学原論とでも呼ぶべき書であったのに対して、本書はその応用編、あるいは実践編といった趣。そのため、前著との関連を分かりやすくするために必要な「注」を多めに付し、更に必要に応じて前著の論旨を要約しつつ論述を進めている。~
 近年の私の興味は、相変わらず「ボードレールの現代性」に固執しつつも、より身近な「私たちの現代詩」の方へと重心を移動しつつある。具体的に言えば、フランスの二十世紀詩と日本の現代詩ということ。ボードレールからロートレアモンヴェルレーヌコクトーを経てシュルレアリスムまで、という「フランス詩サイクル」については月刊「詩学」誌上で「フランス詩を読む ― ボードレールからシュルレアリスムまで」と題して連載した (全36回)。萩原朔太郎から宮沢賢治中原中也小野十三郎を経て谷川俊太郎まで、という「日本詩サイクル」についても少しずつ論考を重ねつつある(『小野十三郎論』は2004年、砂子屋書房刊、『朔太郎・賢治・中也』は思潮社より近刊予定、『谷川俊太郎詩学』は「別冊・詩の発見」に連載中)。いずれの場合にも、決定的出発点としての『パリの憂愁』の重要性は揺るぎそうにない。文学のみならず美術、音楽、映画といった諸芸術の「現在」を考える上で「ボードレール詩学」にこだわり続けることは、どうやら私のライフワークということになりそうだ。

第22回ボードレール研究会

司会者報告 - 山田 兼士 (大阪芸術大学)

 第22回ボードレール研究会は、2005年7月30日、関西大学で行われました。参加者は12名。発表者は、当研究会では初めての発表となる和田ゆりえさんと、今回で3回目の秋吉孝浩さん。
 和田ゆりえさんの発表「バタイユボードレール − 詩への憎しみ」は、サルトルの「ボードレール論」への反論として書かれたと推察されるバタイユの論考「Baudelaire mis à nu 赤裸のボードレール」(1947年) を中心に、「悪」と「詩」のテーマを掘り下げようという試み。「詩の本質としての悪」というモチーフをボードレール作品に読み取ったバタイユが「有益なもの」を「善」とするサルトルを否定する意図をもって「悪」の哲学を称揚した経緯を論じた後に、バタイユ自身の詩作品をボードレールの詩「憂愁 Spleen」(『悪の華』第2版中78番目) と比較検討して、「死を媒介とする世界との交感」を両作品のうちに読み取っていく、という展開は非常にスリリングで刺激的なものでした。小説家でもある和田さんらしく、精妙なプロットを感じさせる発表といえるでしょう。質疑応答では、「憎しみ」という主題の確認や、両作品に見られる「旗」の意義についての討議がなされました。共に垂直軸を示す2本の旗が、一方では上から下へ、他方では下から上へ、という正反対のベクトルをもっていることの意味など、さらに興味深い展開がありそうです。
 次に、秋吉孝浩さんの「美術批評家としてのゴーチエ −歴史画をめぐる言説」。詩人・作家として高名なゴーチエは多くの美術批評をも残していますが、ボードレールの美術批評と比較して、従来あまり高く評価されてきませんでした。秋吉さんは、その主な理由を (1) ゴーチエの評価基準が甘すぎること (2) スペイン趣味による偏向が見られること、と要約した上で、歴史画論を中心に据えて、その再評価を試みました。ジェロームやメソニエなどの絵画作品を具体的に検討しつつ、ゴーチエの美術批評の方法をフォルムへの志向に結び付ける論点などは大変魅力的なもので、できればこの点をゴーチエの詩作品への評価に重ねて論じられないかとの期待を抱かせました。質疑応答では、一般に「折衷主義」的と評されるゴーチエの美術批評の独自性がどのあたりにあるか、などの議論が行われました。私個人としては、非常に手堅く専門性の高い発表であるだけに、この研究をゴーチエの文学作品研究に結び付けると共に、ボードレールとのより全面的な比較検討に発展させてほしいと考えています。

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第22回研究発表要旨

美術批評家としてのゴーティエ ― 歴史画をめぐる言説 - 秋吉 孝浩 (大阪市立大学非常勤講師)

同時代のボードレールの美術批評に比べると、ゴーティエの美術批評は研究対象となることが少なかった。しかしゴーティエは、当時の美術界を誰よりも明晰に見据えていた批評家であったといえなくはないのである。そして、その明晰性は、彼のフォルムへの偏愛とからみあって独自のものとなっている。歴史画に関する彼の言説をみていくことで、その一端を示すことがこの発表の目的である。
「歴史画」とは、ゴーティエにとって、多くの同時代の人々がイメージしていたのと同様、ダヴィッドを代表とする帝政期、王政復古期の画家たちが制作した、ホメロス的な神話や聖書に書かれた逸話などを取り上げた、ある程度の大きさをもった絵のことであった。そして、こうした主題の正統性は、1836年においては、「芸術は過去のポエジーの結晶作用でしかない」という主張と結びつき、「模倣」と「ファンテジー」という芸術の二要素が、「ファンテジーはあらゆる時代に属している」が、「模倣は、すでに起こった出来事や、そのフォルムが固定した事実や対象のためにしかあり得ない」というように説明される。
 しかし、ゴーティエは、ボードレールとの影響関係のみられる1845年から1847年の現代生活の英雄性に関する議論を経て (Stéphane Guéganの諸論考参照)、実際の絵画制作の変貌を前に、歴史画を新たな方向から評価していくことになる。
 まず1849年には、アンティーニャの « 寡婦 » を論じて、労働者である夫を亡くした貧しい妻の姿に、アンドロマクの悲劇に取って代わり得るドラマを認め、1851年のクールベの « オルナンの埋葬 » に関しても、同じくアンドロマクを例に引きながら、現代の無名の人物から歴史画に描かれるに相応しい悲劇性や「魅力的な人間の側面」を引き出すことができると主張している。ただし、そこには、1855年にイギリス絵画を論じる際に述べられているように、「構成の英雄的な表現」が必要とされる。
 こうした点が極端に突きつめられていくのが、ボードレール同様、絵画において従来のジャンルが行き詰まりをみせているという認識をゴーティエ自身せざるを得ない1859年になされた、ジェロームに対する評価である。
 « カエサル » という、暗殺された直後のカエサルの死体のみを大きく描いたこの作品を、ボードレールは、見る者の記憶を刺激する点で評価する。それに対し、ゴーティエは、「拡大し、理想化し、英雄的な状態に変貌させた、ある断片にすぎない」とする。なぜならば、「ポエムは記憶の妨げとなってはならない」からである。ここには、ジョルジュ・プーレが、黒い眼をした金髪の女について、ネルヴァルとの比較において語った、ゴーティエのもつ傾向、「その人物像を過度に明確化し、過度に確定しようとするために、それが凝固し、石化し、その活力と独自性を失う」というゴーティエの言説の特徴が明らかに見て取れる。しかしながら、メソニエの1851年の問題作 « バリケード » に関して、「あの本物の真実の一見本」という矛盾した表現を取ってしまうゴーティエは、ある意味において、時代のイデオロギーを逃れる明晰さをもっていたのではないか?「真実」がイデオロギーであるとすれば、ゴーティエのフォルムに対する執拗な問いかけは、それを突き崩すものとなる可能性をもつからである。当時問題となっていたレアリスムの問題も含めて、ゴーティエの美術批評のもつこうした意義を考察していくことが今後の課題となる。

バタイユボードレール ― 詩への憎しみ - 和田 ゆりえ (関西大学非常勤講師)

 ジョルジュ・バタイユ (1897-1962) は 1947年、雑誌Critiqueの8-9号に « Beaudelaire mis à nu » と題したボードレール論を発表、1957年に刊行した評論集La Littérature et le malに再録している。これはもともとサルトルが1946年に発表したボードレール論を受けて書かれたものであり、ボードレールを子供時代へのノスタルジーにとりつかれた不毛な反抗者としてとらえ、「悪」を個人の問題に矮小化するサルトルに対し、バタイユはあくまで「悪」を詩の本質に位置づけた上で反論を試みている。バタイユにとって詩とは、サルトルの代表するような、未来に現在を従属させる「投企」の地平の対極に位置するもの、主体と客体の一体化のうちに身を焼き尽くす、彼のいわゆる「内的体験」の言語による表現形式にほかならない。だが「体験」は本来紙の上に固定することのできないものであり、書かれてしまった詩は結果として詩の反対物に帰着する。こうした「不可能性」ゆえに、ボードレールの生涯は苦悶に満ちたものにならざるをえなかったとバタイユは結論づけている。ボードレールこそは、バタイユにとって詩の不可能性をもっとも遠い地点にまで押し進めた作家であった。
 バタイユ自身も詩を書き、44年にArchangélique、45年にはOrestieという二冊の詩集を出版している。後者はその後、1950年に出版した小説La Haine de la poésie (のちに改訂してL’Impossibleと改題) に組みこまれた。そのなかで彼は、「詩への憎しみの感情のなかで全うする詩の意味を究めた」詩人として暗にボードレールを称え、「詩の非・意味にまで自らを高めない詩は虚しい詩、きれいごとの詩にすぎない」と述べている。そこには形式の洗練へと堕していったブルトンはじめシュルレアリストたちへの反感が透けて見える。だがいわゆる「美しい詩」を断固として拒否し、つねに限界線のかなたに逃れ去っていく「体験」を、そのつど意味の地平へとつなぎとめようと苦闘しつづける結果、彼の書く詩は一種の反復にならざるをえず、つねにおなじイメージ、おなじ運動へとほとんど強迫的な執拗さをともなって回帰していく。本発表では、『無神学大全』第3巻、Sur Nitzsche (1945) 第3部の日記中に挿入されている無題の詩篇を取りあげ、それが『悪の華』78 « Spleen » のイメージを色濃く反映しつつ、バタイユ独自の体験の表現へと変奏されていくさまを跡づける試みをおこなった。
 « Spleen » 78では、頭上に蓋のように重くのしかかる空と、« nos cerveaux »、« mon crâne » の語で表わされるボードレール自身の内面が、マクロコスモスとミクロコスモスのように、おなじ中心をもつふたつのドームとなって重なりあう構造が見てとれる。孤独な個人と宇宙全体との聖なる交流を絶対的なテーマとしていたバタイユが、この詩に強く引きつけられたことは想像にかたくない。ただしボードレールにおいてふたつのコスモスは、天井の腐った土牢としての大地といい、そこに押しこめられている「わたし」といい、いずれも徹底して内部に閉ざされている。その住人は蝙蝠や蜘蛛といった狭い場所を逃げまどう生きものであり、鐘の音は彼方に消えていくのではなく、ドームの中を反響しておどろおどろしい唸りをあげる。そして詩の最後に両者を連結する唯一のものとして、「わたし」の頭蓋に « drapeau noir » が垂直に立てられる。
 一方バタイユの詩は、第1節に « plus d’espoir » とあるように、« Spleen » 78 の最後に語られている絶望の境地から出発する。また第2節の « en mon coeur se cache une souris morte » は、あきらかに « Spleen » 中の « cachot »、« chauve-souris » と響きあっている。だがバタイユの「わたし」は一方的に押さえつけられ、閉じこめられているのではなく、第2連では一転して « j’envahis le ciel » と、能動的な主体となって空へと攻め入っていく。「わたし」の肉体はミクロコスモスとマクロコスモスをつなぐ交流の通路となるが、この交流は死を媒介としてしか成就しえず、« une étoile tombe noire / dans mon squelette debout » とあるように、「わたし」は「骸骨」と化さざるをえない。さらに第3連では « où est la terre où le ciel / et le ciel égaré (…) / J’égare le monde et je meurs / je l’oublie et je l’enterre / dans la tombe de mes os. » と、空と大地、あるいは外界と「わたし」の境界は流動化し、一種の恍惚状態のうちに交流は激化する。
 詩は、« ô transparence des os / mon coeur ivre de soleil / est la hampe de la nuit. » で終わる。« Spleen » では「わたし」の敗北のしるしとして突き立てられた黒旗は、ここでは空に向けて昂然と屹立する世界の中心軸としての « hampe de la nuit (夜の旗竿) » へと変貌を遂げている。それは同時に、「体験」によって焼き尽くされ、生きながら骨となって直立するバタイユの身体そのものにほかならない。

第21回ボードレール研究会

司会者報告 - 坂巻 康司 (大阪産業大学非常勤講師)

春にしてはまだ肌寒さの感じられた3月26日の土曜日、関西学院大学に15名ほどの参加者を得て、第21回ボードレール研究会が開かれました。~
 最初の発表はオリヴィエ・ビルマン氏による « Une lecture de Mémoire de Arthur Rimbaud » でした。これは、ビルマン氏が以前から親しんでおられるドゥルーズバディウといった現代の哲学者のテクストを活用しつつ、ランボーの一詩篇を読み直そうという意欲的な試みでした。ランボーのテクストが現代哲学の最前線の思想といかに反響し合うのかということを明らかにしようとするこうした試みは、学会等ではなかなか出来ないものなので、大変興味深く感じられました。確かにドゥルーズ等の20世紀の中心的な思想家は、その思考の頂点 − 記憶、意識、持続などを論じる部分 − でランボーに言及することがしばしばあり、19世紀から20世紀に亙る思想の流れを見極める上で、この指摘は極めて重要なことと思われました。また、単に現代思想を援用することによって作品を解読するのではなく、テクストを一語一語丹念に読み解く作業を疎かにせず、誠実に作品と向き合おうとされるビルマン氏の姿勢はとても印象に残りました。ただ、惜しむらくは、読み上げられる哲学のテクストが必ずしも平易なものではなかったので、出来ればこれらのテクストのコピーも配っていただければ全体の理解も容易になったかと思われます。~
 二つ目の発表は寺本成彦氏による « Perversion et / comme poésie −le cas Lautréamont-Ducasse−» でした。寺本氏は博士論文提出の前後から、一貫してロートレアモンのテクストにおける「書き換え」の問題を追及しており、その持続力で我々を圧倒して来られました。今回はより一層、テクストの内部に踏み込み、その記述の問題点を本格的に探求されているという印象を持ちました。登場人物の「身体の壊乱」がエクリチュール、及び読者の「精神の壊乱」へと結びつく点、「表象不可能性」の問題への言及、そして、科学的語彙と文彩の特異な使用法が新たなテクストの可能性を産み出した点など、様々なことが指摘されました。これらは、それぞれ現代の諸問題に連なる重要な指摘であり、ロートレアモンのテクストの奥深さを改めて感じさせられました。問題はこうしたことが果たして作者によって意識的に (あるいは意図的に) なされたものなのかということであり、発表後もその点に関する質疑応答が交わされました。また、テクストの歴史的背景との関わりについての問いかけもなされました。~
 今回のお二方の発表はどちらもボードレールの周辺領域のものでしたが、今後、更なる発展を予感させるものであり、ボードレール研究にも寄与することの大きい内容であったと思われます。

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発表要旨

Le poète-architecte (Une lecture de Mémoire de Rimbaud) - Olivier Birmann(Université Kwansei Gakuin) [#m51248b8]

Retour de Rimbaud dans la maison familiale, après les premiers mois tumultueux passés avec Verlaine et en attendant que le « pitoyable frère » le rappelle. On comprend que c’était pour le poète, alors âgé de dix-sept ans et qui avait déjà derrière lui des poèmes comme Les Poètes de sept ans, Le Bateau ivre, etc., une épreuve qui exigeait de sa part, comme il le rappelle lui-même dans Alchimie du verbe, tous « les sophismes de la folie, – la folie qu’on enferme, – » tandis qu’autour de lui rôdaient « les rêves les plus tristes ». Mais c’est là qu’opère justement cette alchimie : de la maison familiale avec les figures de la mère, des sœurs, du père absent, avec ses paysages et ses rivières ardennaises, il va, selon l’expression d’un poème à venir (Génie), construire « une maison ouverte ». Et cela en faisant passer les figures de sa « famille maudite » – comme celles que l’on trouve chez Poe, que Rimbaud avait alors en mémoire (une autre version du poème, retrouvée en 2004, a pour titre, on le sait, « d’Edgar Poe / Famille maudite ») – dans des zones d’indiscernabilité où figures humaines et figures du paysage – rivières, saules, oiseaux, soleil – deviennent indéterminées et se dégagent du vécu en un délié musical qui n’est pas sans faire sentir l’influence de Verlaine.
Il y a une minute du monde – ici, un suspens entre deux fuites – qui passe et toute la question est de la sauver en devenant cette minute-même. De la faire tenir debout. De la rendre objective. Le poète-architecte prend son matériau – mots, syntaxe qu’il continue à se forger – et tout en suivant les déformations de la fiction, les fait passer dans des affects liés aux couples maudits qui l’entourent ou qu’il contribue à former lui-même, ainsi que dans des sensations, par lesquelles le je s’ouvre à cet autre que sont les figures du paysage tandis que celles-ci – rivière, ombre, colline, arche – adviennent à la présence, répondant ainsi au désir le plus profond de la poésie et, dirait Rilke, du monde lui-même.~
Mais les forces à l’œuvre dans la construction de la maison-paysage, avec ses lits, ses rideaux, ses carreaux, ses meubles sont contradictoires. Il y a celles qui tirent vers le haut, qui font entrer les rêves les plus tristes dans l’épiphanie de la blancheur, quand « Les choses chantent dans la tête / Alors que la mémoire est absente » (Verlaine). Celles qui tirent à l’horizontale en une pesante et sompteuse donation terrestre, et qui rencontrent le travail humain et les chantiers. Celles qui tirent vers le bas, vers la cendre, la boue. ~
Entre donc épiphanie et résilation de cette épiphanie. Entre mouvement révolté, sexuellement déchiré et mouvement dans le délié souverain de l’expression « égarée au possible ».~
Notre lecture est une réflexion qui s’appuie pour l’essentiel sur des notions développées par Gilles Deleuze dans le chapitre « Percept, affect et concept » de Qu’est-ce que la philosophie? Elle doit aussi beaucoup à Alain Badiou et à Chritian Prigent.

Perversion と (しての) poésie − ロートレアモン= デュカスの場合 − 寺本 成彦 (神戸大学非常勤講師)

『マルドロールの歌』における「性的倒錯」の形象は、「悪」の領域における < 欲望する身体 > という重要な問題系を構成する。また作品の語り手と聞き手、書き手と読み手との関係に緊密に関連しながら、詩作品を書く行為としてのエクリチュールの場面を根底から規定している。そもそも「性的倒錯」は、精神および身体の「奇形性」についての明晰な表現を通して、表象し得ない事象としての「おぞましさ」を詩表現の領域に取りこもうとするデュカスの果敢な企てに、必要不可欠であるようにも思われる。さらには、当時の最先端である科学的知・解剖学的知に属する科学的専門用語をあえて詩の言葉として頻繁に用いることで、「諸感覚の倒錯」perversion des sens にとどまらず、「意味の倒錯」perversion du sens にまで射程を広げていたデュカス=ロートレアモンの詩法上の中心問題を明らかにできるだろう。~
 まず、「子供」enfantあるいは「青年」adolescentに対する偏執は、語り手 (ロートレアモン / マルドロール) のサド・マゾシスムを前景化する。たとえば「第1歌」第6ストロフに見られる、幼児の柔らかな胸を爪で引き裂いて血をすすりながら犠牲者の苦しむ様子を堪能する場面は、身体の変容・奇形を言葉がいかに表象しうるのかという問題を明らかにしている。瀕死の子供自身に語り手への報復を唆すくだりに見られる「子供」および語り手の身体の変形に関するごく即物的で詳細な描写は、後から頻出する身体組織の造形性およびそれに関する解剖学的な知見へのロートレアモン=デュカスの志向性を先取りしている。また、語り手のサディックな行為により、「若者 / 子供」はサド=マゾシスムにおける加虐者の位置へとずれゆき、精神的な変容をも蒙ることになる。こうして作品が想定する「若者」=「読者」は、作中で表象される性的倒錯行為を読むことで、身体・精神に深甚な影響を刻み付けられるだろう。~
 次に、書くことの論理と倫理の極北に近づいているとも見なされる「第3歌」第2ストロフでは、あどけない少女がマルドロールと彼の飼い犬であるブルドッグにより viol を受けた後、瀕死の身体をさらに傷つけられていく様子が詳細に語られる。その解剖学的とも言うべき常軌を逸したサディックな遺体毀損は、作者の身体 (内部) への強烈で具体的な関心に基づいている。日常的な視線および通常の文学表現からは隠蔽されている身体内部の解剖学的メカニスムの一端を文学表現の場に「引きずり出」し、言葉によって形象化しようとする試みは、< 想像し得ないもの >・< 表象され得ないもの > に明確な形象を与えようとする試み、抑圧された欲望を言語化しようとする企てに他ならない。~
 この同じ試みは、当時もっとも忌み嫌われた性的倒錯である「男色」を主題化する「第5歌」第5ストロフでも確認される。「男色」および「男色家娼夫」を逆説的に賛美するくだりには、スティーヴ・マーフィーも指摘するように、強烈なサティリックがこめられている。当時の法医学界の権威であったタルデューの著書『二つの売春』中、男色家の身体特徴を事細かに描写する一節で用いられる「肛門の漏斗状変形」という表現をほぼ字義通り採用する詩人は、ごく科学的であると思われる著作に忍び込んでいる道徳的価値判断、また同時代のフランス社会がこの呪われた性倒錯に対して抱いていた不合理な恐怖をこそ問題化する。倒錯者の堕落した内面を外在化し、< スティグマ > として明確に記述するために用いられる解剖学用語、また形態・奇形性を客観的に描写するための幾何学用語が潜在的に備える新たな表現能力に着目したロートレアモンは、< 表象し得ないもの > がそこで明確な輪郭と実態を伴って表象される事実を敏感に察知していたと思われる。精神的な monstruositéと身体的な monstruosité との相関関係を立証したという法医学的言説を逆手に取り、その二つの「奇形性」を表象する言葉自体のなかにあらたな未曾有の「美」を創出しようとするこの試みは、直喩「…のように美しい」における比較項の奇形的増殖へとつながるものではなかろうか。