第25回ボードレール研究会

  • 日時: 2007年7月28日午後4時−6時
  • 場所: 大阪日仏センター/アリアンス・フランセーズ

第25回ボードレール研究会司会者報告 - 山田 兼士 (大阪芸術大学)

 第25回ボードレール研究会は、前回から1年4ヶ月ぶりとなる2007年7月28日、午後4時より「大阪日仏センター/アリアンス・フランセーズ」で行なわれました。長期にわたって中断していた主な理由は、2006年秋より発足した全国規模でのボードレール研究会の準備と運営にありました。その第2回にあたる2007年5月19日 (於 明治大学) には、先般逝去された阿部良雄先生を追悼するシンポジウムを行い、その際のパネリストたちの発言と、本研究会会員である岩切正一郎、海老根龍介、北村卓、山田兼士の追悼論考が、月刊「水声通信」2007年6月号に掲載されています。今後は、春秋のフランス文学会の折に研究会を開催しつつ、関東、関西それぞれの研究会を定期的に行う予定です。

 さて、久しぶりの関西での研究会は、新進気鋭の二人の発表で大変活気に溢れるものとなりました。参加者は16名。西岡亜紀さんの発表「ボードレールを受容する福永武彦 ―『幼年』の記憶描写と「万物照応」」は、ボードレールの「コレスポンダンス理論」の要にあると福永が仮説した「原音楽」を軸に、小説『幼年』の「純粋記憶」を読み解こうとする試みです。福永作品の中にあって初期から後期への転換点に位置する『幼年』は、その実験的方法と相俟って様々な問題系を含む長篇ですが、その方法の根源にボードレール詩学からの反照を読み取る研究は意外と少なく、この方面での今後の可能性が大いに期待されます。福永のテキストを丹念に読み取ってボードレール詩学に結び付けるプロセスは大変手堅いものですし、両者の「記憶」を重ね読みする方法も正統的と呼んで差し支えないものですが、「万物照応」といい「純粋記憶」といい、解釈の方法がいささか静的なレベルに止まっている点が気になりました。初期作品から中期、後期を経て晩年に到る福永文学の変化を捨象することなく、さらにダイナミックな論考を期待したいところです。

 廣田大地さんの発表「幻影と額縁 ― 後期ボードレールの詩作観について」は、『悪の華』第2版38番目の連作詩「亡霊」(全3篇) 中の「額縁」にまず注目し、これにほぼ同時期に書かれた美術批評「現代生活の画家」を重ねることで、後期韻文詩における「枠」への志向を解析しました。めまぐるしく変化する現代生活を作品に固定するために「小さな枠による連作」を必要とした、という観点は散文詩の創作方法にまで及ぶ、という発想は大変新鮮なものですが、それならばあらゆる作品が「枠」ということになりかねないのではないか、との質問が会場から出ました。使用概念の「枠」組みの設定に課題を残しつつ、今後の展開を期待させるに十分なダイナミズムを感じさせる発表でした。

ボードレールを受容する福永武彦―『幼年』の記憶描写と「万物照応」― 西岡 亜紀(お茶の水女子大学 大学院研究員)

 福永武彦 (1918-1979) の『幼年』(1964) は、「純粋記憶」という福永独自のモティーフ、自分のうちに純粋に残っている幼年の記憶を定着させた小説であり、記憶をテーマに書き続けたこの小説家の生成において鍵となる作品である。本発表では、このモティーフの定着にボードレール (1821-1867) の「万物照応」がどのように関与しているかを明らかにする。「万物照応」の解釈において福永は、「原音楽」という言葉を用いつつ、漠としているが確かに実在していて「万物照応」における感覚や事物などの物質の照応を根源において支え促す精神的次元を、その本質に据えていた。この精神的次元は、例えばブランが「精神的な要素」、プーレが「振動」とか「反響」、阿部良雄が「精神的な負荷」という言葉で説明してきたような、いわば「万物照応」を根底において支える次元に一致する。『幼年』の「純粋記憶」の描写では、第一段階において具体的なイメージにならない精神的アマルガムとしての記憶が示唆され、第二段階ではそれに入り混じるように「万物照応」の「共感覚」を思わせる感覚のアマルガムのような記憶が現れる。そして更に第三段階として、それらに接合して想像力によって見出される具体的な記憶のイメージが次々と展開する。この最初の二段階は、福永が「原音楽」という言葉によって捉える精神的次元に重なっており、この重ね合わせにより、「純粋記憶」は本質において確かに“在る”ものとして保障されたと考えられる。第三段階は「万物照応」とは別の展開だが、ここに見出される、記憶を想像力によって具体化するという態度も実は、ボードレールの記憶観に依拠している。結局、福永は「万物照応」における美学に支えられて、残存している幼年の記憶の実在性を確かめ、そこにボードレール的な想像力としての記憶を接続するという形で、「純粋記憶」を描くための真実性を保障された「虚構」の方法を確立したと言うことができる。

幻影と額縁 ― 後期ボードレールの詩作観について - 廣田 大地 (大阪大学博士課程)

 主に1860年前後に執筆され、1863年の11月から12月にかけて「フィガロ」紙に掲載された『現代生活の画家』は、画家コンスタンタン・ギースについての批評という側面を越えて、現代性をめぐるボードレールの芸術観が多分に盛り込まれている。中でも作品の各所に見られる「夕暮れ」soirや「幻影」fantômeのような形の定まらない曖昧なものと、それを取り囲む「額縁」cadreの比喩に注目したい。このイメージの組み合わせは、同時期に書かれた連作韻文詩篇「幻影」Un Fantômeの第3詩篇「額縁」Le Cadreとも対応を示し、当時のボードレールの芸術観を示す重要な観念であるように思われる。

 そのことは、『悪の花』初版以降のボードレールが、複数の章による作品構成に執拗なこだわりを見せていることと決して無関係ではないだろう。『哲学的芸術』での連作絵画に対する注目、画家メリオンとの間での絵画とテクストとのコラボレーションの計画、ヴィクトル・ユゴーの『諸世紀の伝説』に対する批評などは、いずれも1860年前後のものである。そして『現代生活の画家』という批評作品もまた、ボードレールが同作品の中で述べているように「無数の枝分かれによって中断されながらも続いていく展示会」のような性格を持っている。さらには散文詩という詩のあり方もまた、韻文という「枠組み」からは抜け出しつつも「断片に切り刻まれても別々に生きのびる」ことができる、一つの詩篇としての「枠」を具えている。韻文詩と散文詩とは、ボードレールにおいて対立するものとして考えられることが多いが、実際には、ポエジーという形のないものを、形式の「枠」にとどめて形作るという意味で、詩人は二つの形態を同じように捉えていたのではないか。詩篇「額縁」のような韻文詩は、強固な形式によって支えられているが、その形式という枠を出来る限り簡素なものにしたものが、一作品としてのまとまりという最低限度の枠のみを残した散文詩なのである。

 それならば、何故ボードレールはそのような簡素な「枠」を必要としたのか。画家ギースがそうであったように、同時代を描き出すには、現代的な主題を選ぶだけでなく、その作品をいち早く読者のまえに提示する必要がある。それゆえにボードレールは新聞のようなメディアを積極的に活用しようと考え、小さな枠によって区切られた連作による作品構成を、新聞の掲載にも適した形式として追求したのではないか。そしてそのような詩人の芸術観が、すでに『現代生活の画家』の作品構成や発表形態にも現れているのである。