第24回ボードレール研究会

第24回ボードレール研究会司会者報告 - 丸瀬 康裕(関西大学非常勤講師)


2006年3月28日大阪日仏センターにおいて、第24回ボードレール研究会が開かれました。本報告はその折の発表についてのものでありますが、すでに1年以上の時間が経過しており、記憶は曖昧でここにその論旨をお伝えすることができません。発表者の方をはじめとして皆様にお詫び申し上げます。したがいまして、研究発表の内容についてはそれぞれ発表者による要旨をご覧いただきますようお願いいたします。

ところで、研究会の途絶えたこの一年あまりのあいだに、ボードレール学者の阿部良雄、山村嘉巳の両氏が2007年のはじめに相次いで亡くなられました。私の場合ですが、山村氏からはとりわけその謦咳に接することをとおして、また阿部氏からはその重厚な著作をとおして、学び得たことの大きさは計り知れません。辰野隆氏による『ボオドレエル研究序説』をもって日本のフランス文学研究が始まったとすれば、阿部良雄氏全訳ボードレール全集はその後の我が国のフランス文学研究発展の最高度の到達点を示すものと言ってよいでしょう。

しかしながら、昨今の大学事情として、スタンダールカフカ、チエホフの名も知らぬ学生たちの「文学離れ」はとどまるところを知らず、外国語クラスは巷の語学スクールのカリキュラムに追随してその存在意義を見失い、かつては文学部の、ある意味で花形的存在であった仏文学科も全国で次々と消滅しているのはご承知のとおりです。

読むにせよ書くにせよ言葉との辛抱強くゆるやかな時間をかけた、しかしこのうえない愉悦に満ちた濃密な交感の体験を、今や私たち日本人は一顧だにすることもなくなったかのようです。言葉の配列があれば効用と情報を読み取ることのみが大切なのであって思想やいわんや「ポエジー」を読み出すなど笑止の沙汰なのでしょう。

フランス文学の偉大なる先達とともに「文学」が熱い意味をもっていた時代は逝ってしまったのでしょうか。あるいは「文学」はなにか別のものに姿を変えようとしているのかもしれません。いつか怪物的な才能があらわれてそれが何であるかを示してくれる日がくるやもしれませんが、すくなくとも私たちに残された古今東西の膨大な作品群が汲めども尽きぬ豊饒な文学宇宙であることだけは間違いありません。

かつて「これほど重要な詩人はいない」とヴァレリーが指摘したボードレールの重要性は今も、いや今だからこそますます有効であるという気がしてなりません。「有用な人間ほど醜いものはない」などと口走るボードレールの毒矢の射程はまっすぐに21世紀の私たちのところに届いています。しかしボードレールという存在が真正のファルマコンとして「文学」や「ポエジー」などなくても一向に困りなどしないという顔をした私たちの貧しく病んだ今を射抜いてくれるためには、彼の言葉のひとつひとつに注意深く耳を傾け続ける他ありません。ささやかなりともボードレールをめぐるこうした集いの意義は大きいと言うべきでしょう。研究会の再開をよろこびたいと思います。

廣田大地氏の今回の緻密な考察の根っこには『悪の花』の定型韻文詩における詩節間の空白の、音なき音、言葉なき言葉に耳を澄まそうという繊細な問題意識があります。『悪の花』を核心に据えた氏のボードレール研究の正統性に期待したいと思います。また、山田兼士氏と北村卓氏の研究報告はいずれもボードレール福永武彦との関係についてでありました。山田氏はロートレアモンを視野に入れることで福永の外国文学受容の世界が完結するという前提に立って、創見に満ちた研究の展望をいつもながらに熱く語られました。北村氏は、福永原案の「モスラ」の故郷「インファント島」着想の中に、ボードレールの < 旅 > と < 楽園 > の主題があること、および映画という大衆消費世界の論理がいかに原案を変質させていくかを、資料への適切な目配せとともに明快に考察されました。

それぞれの発表について活発な議論を交わしたあと、参加者は場所を移して寛いだ談笑の時間を過ごしました。


第24回研究発表要旨

分断された詩篇 ―『悪の花』第2版の新詩篇における形式的特徴について - 廣田 大地 (大阪大学博士課程) [#kbcf4e70]


『悪の花』第2版で増補された32の詩篇の内、7篇が複数章による形式を持つ。執筆された時期に沿って確認すると、まず1859年の2月に手紙の中で発表された「旅」が8章、同年9月15日に発表された「小さな老婆たち」が4章、つづく「秋の歌」「働く骸骨」「白鳥」「パリの夢」はいずれも2章に分割されている。そして1860年の10月、『悪の花』第2版の出版4ヶ月前に発表された「幽霊」では、一つのソネが1章を形成し、全4章の形式を取っている。さらには初版からの詩篇である「猫」、「取り返しの付かないもの」、「アベルとカイン」の3詩篇は、第2版で新たに章分割を含むことになる。

この特徴が第2版以降のものであるのに対して『悪の花』初版からの詩篇には、、557のリズムの繰り返しとルフランによって構成された「旅へのいざない」のように、一定のリズム、特定の詩句の「規則的な繰り返し」が頻繁に見られる。ただし、このような初版から第2版へかけての特徴の変化を、統一性から分断への変化と捉えてしまうことには注意が必要である。というのも、このような形式の変化の一方で、ソネという連続性の断絶を内に抱いた形式をボードレールが常に用いていたからである。ソネによる詩篇が『悪の花』において2ページにまたがって印刷されることで、この分断の要素はより一層強調されることになる。この特徴を、新詩篇の中では、章分割というより幅広い形に応用してみたのだと、解釈するのが妥当なのではないだろうか。

それではボードレールは、第2版の新詩篇においていったい何を目指していたのか?例えば「秋の歌」において、詩篇の中央にぽっかりと空いてしまった章分割の空白は、死におびえつつも過ぎてゆく、虚しい今という瞬間の象徴とも、はたまた「我々を貪欲に待ち受ける墓」のように、我々の心の中心に居座っている虚無の象徴とも受け取ることが出来る。また、「白鳥」では、章分割の空白の後、「パリは変わり行く」という詩句から第2章が始められる。変わり行く歴史の流れの中の、今というごく一点に目を向けた詩人の心が、詩句という連続性の中に作られた章分割という一瞬の断絶よって表されているだろう。そして4つのソネによる詩篇「幽霊」の第3章「額縁」において、この章分割は最大の効果を示す。Commeによって始められた額縁の直喩が展開される第1節と、Ainsiによって直喩を受けた上で、その直喩によって修飾される本文が展開される第2節による、伝統的なアナロジーの構造は、額縁の中にぴったりとはまり込んだ絵画のように、詩節の句切れの中にぴったりとはまり込み、額縁という主題を形式的にも見事に表現する。一方、第4章の「肖像」では、脚韻の踏み方は正しくなくとも、『時間』という敵を前にしての芸術家としての信念が迫り来るように表わされる。この二つのソネは、過去と現在、形式の遵守と逸脱、美しさと醜さ、静と動といった対照的な性質を持つことで、その中間にある章分割の役割を明確なものにしている。

このような、章分割による象徴的効果や構造化こそが、ボードレールが第2版の新詩篇の中で生み出した、一つの成果だと考えられるだろう。初版までの韻文詩で追求していた詩句の連続性、統一性に加えて、韻文詩が持つもう一つの重要な特徴である、断絶性という要素を強調することで、韻文が持つあらたな可能性を、ボードレールは提示したのである。

福永とボードレール ― トポスとしての島 - 北村 卓(大阪大学

周知の通り、福永武彦は小説家・詩人であると同時にボードレール研究者でもあった。とりわけボードレールの韻文詩「旅への誘い」は福永が最も愛した作品である。そしてこの「旅への誘い」をめぐる主題は、ゴーギャンを介して福永の文学的端緒ともいえる『風土』(1941年に書き始められ、1951年に完成)にすでに認められるのである。その経緯は、まさに「旅への誘い」と題された短編 (1949) の中で明らかにされている。すなわち、戦争の末期、迫りくる死の脅威を感じながら、小説 (「風土」) を書きつつ愛聴していた「旅への誘い」(作曲:デュパルク、歌:パンゼラ) のレコード (戦火で消失した) を、戦後結核療養所で死と隣り合わせにある状況なかで再び主人公は思い出す。このとき彼は、自分にとっての「旅への誘い」の意味を悟る。それは「絶望的な条件の中に僅かばかりの可能性を求めて生きること」に他ならない。このように、福永の文学的営為の発端から、ボードレールおよび「旅への誘い」はきわめて特権的な位置を占めていたのである。

また福永は、「ボードレールの世界」において、「旅」の主題をめぐり、それを幼年期への回帰という観点からまず論じている。空間的に隔たった楽園の地への旅と、時間を遡行する甘美な幼年期の追憶とをパラレルに捉えているのである。そして福永は、南洋の楽園の島タヒチに旅立ったゴーギャンを語る際も、つねにボードレールを引き合いに出す。「アレアレア」を解説するくだりでは、まさにボードレールの「旅への誘い」が引用されているのである。そして福永が『ゴーギャンの世界』(1961年7月) に精力的に取り組んでいたその頃、中村真一郎から映画『モスラ』(1961年7月公開) の原作の話が持ち込まれる。結局、中村、福永、堀田善衞の三人による共同執筆という形の原作「発光妖精とモスラ」が1961年1月、『週間朝日』に発表される。原作のプランにおいて主導的な役割を果たしたのは中村真一郎であろうと推察されるが、モスラの故郷である「インファント島」の設定については、福永武彦が大きく関与していると推測される。

インファント島は、天国と地獄、生と死という両義性を付与されている。「このインファント島は最近、ロシリカ国が水爆実験場に使用し、島の四分の三を爆風と熱とで吹き飛ばしたばかり」とあるように、小説の冒頭でこの島は、隠された楽園の相貌を露わにする前に、まず不毛の地として姿を現す。さて、福永は「ボードレールの世界」において、「死に至る旅」の例として『悪の華』から「旅」と「シテールへの旅」の二篇を挙げている。後者は、美しき楽園・黄金郷のシテール島への旅立ちという通俗的なテーマをひっくり返したもので、これはまさしく「インファント島への旅」の陰画といえる。また、福永が描くように、ゴーギャンが目にする現実のタヒチは、フランスの植民地支配によって西欧化が進み、理想の古代世界はもはや死に瀕している。さらにゴーギャンはその晩年、病気と貧困に苦しみつつ、死を眼前に見据えながら壮絶な創作活動を行った画家である。もちろん、このインファント島がまず第一に、1954年3月、第五福竜丸死の灰で被う水爆実験が行われたマーシャル諸島ビキニ環礁であることは言うをまたない。

さて、若い頃に結核を患い常に死に直面し続けてきた福永にとって、「死」は「愛」とともに最大のテーマであった。そして「死への旅」「不毛の島への旅」もまた重要なモチーフを構成していたことは、最大の長編『死の島』(1971) が如実に示している。このタイトルの直接の源泉は作品中でも明らかにされているように、スイスの画家ベックリンが描いた同題の絵画である。さて、主人公が広島駅で「ひろしま」という構内アナウンスを「死の島」と聞き取ってしまうくだりは有名であるが、1963年の「「死の島」予告 (二)」には、「現代に於ける愛の可能性、或いは不可能性という主題を、原爆の被害者である一人の女性をめぐる数人の人物との関係に於て捉え、そこに死の島である日本の精神状況を内面的に描き出したいという私の野心・・・」とある。福永にとっては、戦後の日本こそが「死の島」だったのである。すなわち、福永にとってのインファント島とは、まずボードレールのシテールであるとともに、ゴーギャンタヒチベックリンの「死の島」、水爆実験のビキニ、さらには原爆が投下されたヒロシマでもあり、さらには死の島の秘密すわなち不毛・荒廃・死を裡に隠しつつ繁栄を謳歌する、まさに戦後日本の状況そのものであった。

福永武彦・詩の循環 ― ロートレアモンボードレール - 山田 兼士 (大阪芸術大学)

和文学を代表する作家のひとりである福永武彦は、小説家・詩人であると同時にすぐれたフランス文学者であり、とりわけ人文書院版『ボードレール全集』の編訳に代表されるボードレール研究において大きな業績を残している。福永の最初の著書は『ボオドレエルの世界』(1947年) であり、それ以前、東大仏文科卒業論文ロートレアモン論だった。本研究は、フランス文学者としての福永武彦ロートレアモンボードレールから何を得て自らの創作活動に昇華していったのかを探る試みである。

発表の手順としては、まず、私自身がこれまでに書いてきた以下の福永武彦論を要約して説明した。

  1. 詩と音楽 ― ボードレールから福永武彦へ (1), 「詩論」5号, 詩論社, 1984, 3, 31.
  2. 憂愁の詩学ボードレールから福永武彦へ (2), 「詩論」6 号, 詩論社, 1984, 10, 20.
  3. 廃市論 ― ローデンバック、福永武彦村上春樹, 「河南文學」第 5号, 大阪藝術大学文藝学科研究室, 1995 年 5月.
  4. 冥府の中の福永武彦ボードレール体験からのエスキス, 「昭和文学研究」第 31 集, 1995, 7, 昭和文学会.
  5. Takehiko Fukunaga et Lautréamont : ― de Gouffre à L'Ile de la mort, Cahiers Lautréamont, LII et LIII, AAPPFID, Paris, 2000.
  6. フランス文学者福永武彦の冒険 ― マチネ・ポエティクから「死の島」へ, 「日本文学」第 51 巻 4 号, 2002, 4, 10, 日本文学協会.

ボードレールからの受容が多いと思われがちな福永文学だが(実際そのことは間違いではないのだが)、ロートレアモンからの受容が意外と重要ではないか、というのが近年の私の考えである。この点を証明するために、(5) (6) の研究要旨を特に重点的に発表した。福永の中編「深淵」と長篇「死の島」に見られる「悪」のテーマがロートレアモン体験と深く関わっているのではないか、という考察である。この点をさらに綿密に実証するために、今回、新たに次の2点を研究課題として挙げた。一つは、福永武彦最後の著作である「内的独白 ― 堀辰雄の父、その他」の中心主題である「幼年」をロートレアモン「マルドロールの歌」に通底するものと捉える視点。もう一つは、東大仏文科卒業論文であるロートレアモン論 (フランス語論文) の中心主題の一つがやはり「幼年」であったことに注目し、福永文学の出発点をロートレアモンにおける「幼年」のモチーフに重ねて考察すること。福永文学のいわば最初と最後にロートレアモン体験を措定し、その間にボードレール体験を位置づけることで、福永武彦におけるロートレアモンボードレールという詩の循環をより厳密に考察すること。これを今後の課題として、ひとまず本発表を終えた。