第29回ボードレール研究会(関西)

  • 日時 2011年9月10日(土)午後3時
  • 場所 大阪日仏センター/アリアンス・フランセーズ

司会者報告 山田兼士(大阪芸術大学教授)

 約2年ぶりとなるボードレール研究会は2011年9月10日、午後3時より、「大阪日仏センター/アリアンス・フランセーズ」で行われました。急遽決まった日程で、告知も電子メールにかぎったせいもあり、集まったのは7名と、少々寂しい会でしたが、その分、発表者を囲んで忌憚のない意見交換が行われ、有意義な研究会になったと思われます。
 今回の発表者は、ボードレール研究論文で文学修士の学位を獲得したばかりの若き大学院生。瑞々しい感性と実直な調査内容に基づく好発表でした。佐々木氏は、まず、研究者の間ではもはや解釈され切った感のある「Spleen 憂愁」の概念について、その初出時(1851年)の時代状況、とりわけドーミエの版画に表される一般庶民の生活状況に立ち返ることで、新しい解釈の可能性を切り開いています。作品「Spleen」(『悪の華』第二版の通し番号75の作品)の初出時と詩集刊行時のヴェルションを比較することで、初出時におけるボードレールの時代認識を透視しました。(ただし、「chien」から「chat」、「ombre」から「âme」への書き換えが示す詩人の自己意識の変化(深化)については、すでに山田兼士『ボードレール《パリの憂愁》論』(砂子屋書房、1991年)に言及があり、本書を未見のままだったことは惜しまれます。)「Spleen」理解のさらなる深化に向けて、より総合的な研究を期待したいところです。
 次に、佐々木氏が解析したのは、「水」のイメージが繰り広げる「死」の主題の展開であり、こちらも大変魅力的なテーマですが、当日は時間切れで、「水の詩学」という観念の提出に留まり、更なる解析までは至りませんでした。今後の展開が楽しみな内容であることは十分に推察できるもので、今後の更なる研鑽を祈りたいと思います。

[発表要旨]現代的憂愁Spleen moderneの出来(しゅったい)―― 「犬」の表象、「死」の表象

佐々木稔(名古屋大学大学院博士後期過程)

 本発表の目標は、ボードレールの「憂愁」Spleenの語が現れた現場に立ち戻り、この概念にどこまで当時の社会状況を読みこむことができるか、その射程を見定めることにある。
 ボードレールの作品に憂愁spleenの語が初めて現れたのは、1851年4月9日付「議会通信」紙に、『冥府』という総題の下に11篇の詩が掲載された時である。この11篇の詩の中に、‹Le Spleen›と題した3篇の詩が含まれていたのである。検討対象となるのは、この「冥府」の冒頭に据えられた‹Le Spleen›(第二版における‹Spleen LXXV›)である。
「腹を立てたる雨月」で始まるこの詩のヴェルシオンを比較すると、『悪の華』では、l’âme、Mon chatと書かれている部分が、1851年の「冥府」ではそれぞれl’ombre(影)、Mon chien(私の犬)となっていたことがわかる。この「影」と「犬」という語には、1851年時点におけるボードレールの問題意識が投影されている。これらの語が示唆するのは、都市民衆の現実である。詩の外部、すなわち社会事象に詩の発想源を求めるならば、そこには病と革命という強烈な体験があったと見ることができる。それは具体的には、1832年および1849年のコレラ流行であり、ボードレールドーミエの版画「コレラ伝染病の記憶」を媒介して、その場景を詩の領域に移入した。さらに、革命については1830年の革命の記憶と1848年の2月革命、同年の6月暴動における詩人自身の体験の跡を見て取ることができる。こうした「死」にまつわる生々しい記憶と体験を詩の領域に移すとき、鍵となったものこそ、「水」の詩学であった。ボードレールは、ほかならぬ「議会通信」に掲載した「葡萄酒とアシッシュについて」(1851年3月)の記事の中で、水のイメージがもたらす詩学的な強烈さについて一文を割いている。この「水」の詩学がどこまでボードレール特有のものであったかどうかはともかく、当時ボードレールが水のイメージに対して強い関心を抱き、かつそれを詩に応用したことは間違いない。同じ「議会通信」紙に掲載された二つの記事、「葡萄酒とアシッシュについて」と「冥府」には、いわゆる間テクスト的な関係を読みとることができるのである。
 本発表では‹Le Spleen›という一篇の詩を分析対象としたが、詩集「冥府」の辿った軌跡をジャーナリズムの文脈で辿り直すことは、ボードレールの詩を同時代の社会に定位し直す際、きわめて有用であるように思われる。