第30回ボードレール研究会

  • 場所:大阪日仏センター=アリアンス・フランセーズ 9階会議室(http://www.calosa.com/acces_jp.htm)
  • 日にち:2012年3月15日(木)
  • 時間:14:00〜
  • 発表者:廣田大地
    • 発表内容:Espace et Poésie chez Baudelaire: typographie, thématique et énonciation(2011年12月パリ第3大学提出の博士論文報告)

司会者報告(中畑寛之)

発表者報告(廣田大地)

  • Espace et Poésie chez Baudelaire : typographie, thématique et énonciation
  • ボードレールにおける空間と詩学
    • フランス・パリ第3新ソルボンヌ大学提出博士論文、2011年9月提出、同年12月博士号取得。

 発表者は2007年から2011年までの4年間パリⅢ大学に留学していたが、それ以前の2004年から2007年の間、本ボードレール研究会にて幾度となく発表の機会をいただき、先輩諸氏の指導により論を深めていくことが出来た。この度はこれまでお世話になってきた研究会の方々に、無事に博士論文を書き上げ博士号を得ることができたことを感謝の思いとともに報告するべく、論文の内容を約3時間かけて詳細にわたり解説させていただいた。
 2011年9月にフランス・パリⅢ大学での博士論文として提出した本論文は、ボードレールがその晩年に「有限の中の無限」として定式化した弁証法詩学観を、詩人の代表作である韻文詩集『悪の花』と散文詩集『パリの憂鬱』の諸詩篇の分析を通して実証的に浮かび上がらせることを目的にしている。その際、枠組みの存在が逆説的にも豊穣な想像力を喚起する過程をボードレール詩学の根本原理として位置付け、その関係性を、詩編のレイアウト、描写空間、発話空間という3つの異なる空間においてつぶさに調査する。
 印刷された詩句が持つ視覚性を論じた第1部では、とりわけ空白の効果について論じる。『悪の花』第2版の幾つかの新詩篇には、それまでには見られなかった章分割の形式が導入されており、その分割が章と章との間に生み出す空白は、永遠や無限の喚起をうながす詩句内容とあいまって独自の象徴効果を作り上げている。さらにはそのような詩篇の内部構造に属する空白と、余白という紙片の形態に属する空白とが印刷レイアウトの中で混ざり合うことで生じる問題と、それに対する詩人の視覚的美学観とを明らかにする。
 第2部においては、詩句によって描かれた作品内部の空間性について論じる。散文詩篇には第1部で考察したようなレイアウト上の空間性の利用はそれほど確認されないが、描写空間におけるテーマとしては韻文詩以上に枠組みの形象が現れている。額縁、窓、時計、目などのモチーフごとに、その描写の特性と、それを見ている主体の想像力が枠組みの内部に無限の感覚を見出す過程とを分析する。
 最後に第3部では、叙情詩において詩句という言葉を発している詩的主体である「私」に着目し、詩という発話行為を行っている瞬間に「私」の肉体が属している空間を分析対象とする。伝統的な叙情詩においては、詩人と読者が「私」という記号のもとで融けあい普遍的感情を共有するべく、「私」の個別性は隠され、その肉体が属している空間についても言及されることは少ないが、『悪の花』第2版の新詩篇では、その発話空間が「私」の知覚を通して間接的に表現される。そのような「私」は本来の叙情詩的主体のあり方からは逸脱しているが、「いま・ここ」という限定された世界に生きる有限の視点を提示することで、人間存在の有限性と想像力の無限性との対比が色濃く表れている。
 以上の3つの観点から、主に『悪の花』第2版の新詩篇を中心としたボードレールの後期詩篇を分析し、「有限の中の無限」という詩学が異なる種類の空間性を通じて具体化されていることを示し、さらにはそれがその後の現代詩のあり方にも色濃く影響を与えていることにも言及して結論としている。