第29回ボードレール研究会(関西)

  • 日時 2011年9月10日(土)午後3時
  • 場所 大阪日仏センター/アリアンス・フランセーズ

司会者報告 山田兼士(大阪芸術大学教授)

 約2年ぶりとなるボードレール研究会は2011年9月10日、午後3時より、「大阪日仏センター/アリアンス・フランセーズ」で行われました。急遽決まった日程で、告知も電子メールにかぎったせいもあり、集まったのは7名と、少々寂しい会でしたが、その分、発表者を囲んで忌憚のない意見交換が行われ、有意義な研究会になったと思われます。
 今回の発表者は、ボードレール研究論文で文学修士の学位を獲得したばかりの若き大学院生。瑞々しい感性と実直な調査内容に基づく好発表でした。佐々木氏は、まず、研究者の間ではもはや解釈され切った感のある「Spleen 憂愁」の概念について、その初出時(1851年)の時代状況、とりわけドーミエの版画に表される一般庶民の生活状況に立ち返ることで、新しい解釈の可能性を切り開いています。作品「Spleen」(『悪の華』第二版の通し番号75の作品)の初出時と詩集刊行時のヴェルションを比較することで、初出時におけるボードレールの時代認識を透視しました。(ただし、「chien」から「chat」、「ombre」から「âme」への書き換えが示す詩人の自己意識の変化(深化)については、すでに山田兼士『ボードレール《パリの憂愁》論』(砂子屋書房、1991年)に言及があり、本書を未見のままだったことは惜しまれます。)「Spleen」理解のさらなる深化に向けて、より総合的な研究を期待したいところです。
 次に、佐々木氏が解析したのは、「水」のイメージが繰り広げる「死」の主題の展開であり、こちらも大変魅力的なテーマですが、当日は時間切れで、「水の詩学」という観念の提出に留まり、更なる解析までは至りませんでした。今後の展開が楽しみな内容であることは十分に推察できるもので、今後の更なる研鑽を祈りたいと思います。

[発表要旨]現代的憂愁Spleen moderneの出来(しゅったい)―― 「犬」の表象、「死」の表象

佐々木稔(名古屋大学大学院博士後期過程)

 本発表の目標は、ボードレールの「憂愁」Spleenの語が現れた現場に立ち戻り、この概念にどこまで当時の社会状況を読みこむことができるか、その射程を見定めることにある。
 ボードレールの作品に憂愁spleenの語が初めて現れたのは、1851年4月9日付「議会通信」紙に、『冥府』という総題の下に11篇の詩が掲載された時である。この11篇の詩の中に、‹Le Spleen›と題した3篇の詩が含まれていたのである。検討対象となるのは、この「冥府」の冒頭に据えられた‹Le Spleen›(第二版における‹Spleen LXXV›)である。
「腹を立てたる雨月」で始まるこの詩のヴェルシオンを比較すると、『悪の華』では、l’âme、Mon chatと書かれている部分が、1851年の「冥府」ではそれぞれl’ombre(影)、Mon chien(私の犬)となっていたことがわかる。この「影」と「犬」という語には、1851年時点におけるボードレールの問題意識が投影されている。これらの語が示唆するのは、都市民衆の現実である。詩の外部、すなわち社会事象に詩の発想源を求めるならば、そこには病と革命という強烈な体験があったと見ることができる。それは具体的には、1832年および1849年のコレラ流行であり、ボードレールドーミエの版画「コレラ伝染病の記憶」を媒介して、その場景を詩の領域に移入した。さらに、革命については1830年の革命の記憶と1848年の2月革命、同年の6月暴動における詩人自身の体験の跡を見て取ることができる。こうした「死」にまつわる生々しい記憶と体験を詩の領域に移すとき、鍵となったものこそ、「水」の詩学であった。ボードレールは、ほかならぬ「議会通信」に掲載した「葡萄酒とアシッシュについて」(1851年3月)の記事の中で、水のイメージがもたらす詩学的な強烈さについて一文を割いている。この「水」の詩学がどこまでボードレール特有のものであったかどうかはともかく、当時ボードレールが水のイメージに対して強い関心を抱き、かつそれを詩に応用したことは間違いない。同じ「議会通信」紙に掲載された二つの記事、「葡萄酒とアシッシュについて」と「冥府」には、いわゆる間テクスト的な関係を読みとることができるのである。
 本発表では‹Le Spleen›という一篇の詩を分析対象としたが、詩集「冥府」の辿った軌跡をジャーナリズムの文脈で辿り直すことは、ボードレールの詩を同時代の社会に定位し直す際、きわめて有用であるように思われる。

第26回ボードレール研究会

  • 2007年12月22日(土)午後2時から
  • 大阪日仏センター=アリアンス・フランセーズ 8Fにて

第25回ボードレール研究会

  • 日時: 2007年7月28日午後4時−6時
  • 場所: 大阪日仏センター/アリアンス・フランセーズ

第25回ボードレール研究会司会者報告 - 山田 兼士 (大阪芸術大学)

 第25回ボードレール研究会は、前回から1年4ヶ月ぶりとなる2007年7月28日、午後4時より「大阪日仏センター/アリアンス・フランセーズ」で行なわれました。長期にわたって中断していた主な理由は、2006年秋より発足した全国規模でのボードレール研究会の準備と運営にありました。その第2回にあたる2007年5月19日 (於 明治大学) には、先般逝去された阿部良雄先生を追悼するシンポジウムを行い、その際のパネリストたちの発言と、本研究会会員である岩切正一郎、海老根龍介、北村卓、山田兼士の追悼論考が、月刊「水声通信」2007年6月号に掲載されています。今後は、春秋のフランス文学会の折に研究会を開催しつつ、関東、関西それぞれの研究会を定期的に行う予定です。

 さて、久しぶりの関西での研究会は、新進気鋭の二人の発表で大変活気に溢れるものとなりました。参加者は16名。西岡亜紀さんの発表「ボードレールを受容する福永武彦 ―『幼年』の記憶描写と「万物照応」」は、ボードレールの「コレスポンダンス理論」の要にあると福永が仮説した「原音楽」を軸に、小説『幼年』の「純粋記憶」を読み解こうとする試みです。福永作品の中にあって初期から後期への転換点に位置する『幼年』は、その実験的方法と相俟って様々な問題系を含む長篇ですが、その方法の根源にボードレール詩学からの反照を読み取る研究は意外と少なく、この方面での今後の可能性が大いに期待されます。福永のテキストを丹念に読み取ってボードレール詩学に結び付けるプロセスは大変手堅いものですし、両者の「記憶」を重ね読みする方法も正統的と呼んで差し支えないものですが、「万物照応」といい「純粋記憶」といい、解釈の方法がいささか静的なレベルに止まっている点が気になりました。初期作品から中期、後期を経て晩年に到る福永文学の変化を捨象することなく、さらにダイナミックな論考を期待したいところです。

 廣田大地さんの発表「幻影と額縁 ― 後期ボードレールの詩作観について」は、『悪の華』第2版38番目の連作詩「亡霊」(全3篇) 中の「額縁」にまず注目し、これにほぼ同時期に書かれた美術批評「現代生活の画家」を重ねることで、後期韻文詩における「枠」への志向を解析しました。めまぐるしく変化する現代生活を作品に固定するために「小さな枠による連作」を必要とした、という観点は散文詩の創作方法にまで及ぶ、という発想は大変新鮮なものですが、それならばあらゆる作品が「枠」ということになりかねないのではないか、との質問が会場から出ました。使用概念の「枠」組みの設定に課題を残しつつ、今後の展開を期待させるに十分なダイナミズムを感じさせる発表でした。

ボードレールを受容する福永武彦―『幼年』の記憶描写と「万物照応」― 西岡 亜紀(お茶の水女子大学 大学院研究員)

 福永武彦 (1918-1979) の『幼年』(1964) は、「純粋記憶」という福永独自のモティーフ、自分のうちに純粋に残っている幼年の記憶を定着させた小説であり、記憶をテーマに書き続けたこの小説家の生成において鍵となる作品である。本発表では、このモティーフの定着にボードレール (1821-1867) の「万物照応」がどのように関与しているかを明らかにする。「万物照応」の解釈において福永は、「原音楽」という言葉を用いつつ、漠としているが確かに実在していて「万物照応」における感覚や事物などの物質の照応を根源において支え促す精神的次元を、その本質に据えていた。この精神的次元は、例えばブランが「精神的な要素」、プーレが「振動」とか「反響」、阿部良雄が「精神的な負荷」という言葉で説明してきたような、いわば「万物照応」を根底において支える次元に一致する。『幼年』の「純粋記憶」の描写では、第一段階において具体的なイメージにならない精神的アマルガムとしての記憶が示唆され、第二段階ではそれに入り混じるように「万物照応」の「共感覚」を思わせる感覚のアマルガムのような記憶が現れる。そして更に第三段階として、それらに接合して想像力によって見出される具体的な記憶のイメージが次々と展開する。この最初の二段階は、福永が「原音楽」という言葉によって捉える精神的次元に重なっており、この重ね合わせにより、「純粋記憶」は本質において確かに“在る”ものとして保障されたと考えられる。第三段階は「万物照応」とは別の展開だが、ここに見出される、記憶を想像力によって具体化するという態度も実は、ボードレールの記憶観に依拠している。結局、福永は「万物照応」における美学に支えられて、残存している幼年の記憶の実在性を確かめ、そこにボードレール的な想像力としての記憶を接続するという形で、「純粋記憶」を描くための真実性を保障された「虚構」の方法を確立したと言うことができる。

幻影と額縁 ― 後期ボードレールの詩作観について - 廣田 大地 (大阪大学博士課程)

 主に1860年前後に執筆され、1863年の11月から12月にかけて「フィガロ」紙に掲載された『現代生活の画家』は、画家コンスタンタン・ギースについての批評という側面を越えて、現代性をめぐるボードレールの芸術観が多分に盛り込まれている。中でも作品の各所に見られる「夕暮れ」soirや「幻影」fantômeのような形の定まらない曖昧なものと、それを取り囲む「額縁」cadreの比喩に注目したい。このイメージの組み合わせは、同時期に書かれた連作韻文詩篇「幻影」Un Fantômeの第3詩篇「額縁」Le Cadreとも対応を示し、当時のボードレールの芸術観を示す重要な観念であるように思われる。

 そのことは、『悪の花』初版以降のボードレールが、複数の章による作品構成に執拗なこだわりを見せていることと決して無関係ではないだろう。『哲学的芸術』での連作絵画に対する注目、画家メリオンとの間での絵画とテクストとのコラボレーションの計画、ヴィクトル・ユゴーの『諸世紀の伝説』に対する批評などは、いずれも1860年前後のものである。そして『現代生活の画家』という批評作品もまた、ボードレールが同作品の中で述べているように「無数の枝分かれによって中断されながらも続いていく展示会」のような性格を持っている。さらには散文詩という詩のあり方もまた、韻文という「枠組み」からは抜け出しつつも「断片に切り刻まれても別々に生きのびる」ことができる、一つの詩篇としての「枠」を具えている。韻文詩と散文詩とは、ボードレールにおいて対立するものとして考えられることが多いが、実際には、ポエジーという形のないものを、形式の「枠」にとどめて形作るという意味で、詩人は二つの形態を同じように捉えていたのではないか。詩篇「額縁」のような韻文詩は、強固な形式によって支えられているが、その形式という枠を出来る限り簡素なものにしたものが、一作品としてのまとまりという最低限度の枠のみを残した散文詩なのである。

 それならば、何故ボードレールはそのような簡素な「枠」を必要としたのか。画家ギースがそうであったように、同時代を描き出すには、現代的な主題を選ぶだけでなく、その作品をいち早く読者のまえに提示する必要がある。それゆえにボードレールは新聞のようなメディアを積極的に活用しようと考え、小さな枠によって区切られた連作による作品構成を、新聞の掲載にも適した形式として追求したのではないか。そしてそのような詩人の芸術観が、すでに『現代生活の画家』の作品構成や発表形態にも現れているのである。

第24回ボードレール研究会

第24回ボードレール研究会司会者報告 - 丸瀬 康裕(関西大学非常勤講師)


2006年3月28日大阪日仏センターにおいて、第24回ボードレール研究会が開かれました。本報告はその折の発表についてのものでありますが、すでに1年以上の時間が経過しており、記憶は曖昧でここにその論旨をお伝えすることができません。発表者の方をはじめとして皆様にお詫び申し上げます。したがいまして、研究発表の内容についてはそれぞれ発表者による要旨をご覧いただきますようお願いいたします。

ところで、研究会の途絶えたこの一年あまりのあいだに、ボードレール学者の阿部良雄、山村嘉巳の両氏が2007年のはじめに相次いで亡くなられました。私の場合ですが、山村氏からはとりわけその謦咳に接することをとおして、また阿部氏からはその重厚な著作をとおして、学び得たことの大きさは計り知れません。辰野隆氏による『ボオドレエル研究序説』をもって日本のフランス文学研究が始まったとすれば、阿部良雄氏全訳ボードレール全集はその後の我が国のフランス文学研究発展の最高度の到達点を示すものと言ってよいでしょう。

しかしながら、昨今の大学事情として、スタンダールカフカ、チエホフの名も知らぬ学生たちの「文学離れ」はとどまるところを知らず、外国語クラスは巷の語学スクールのカリキュラムに追随してその存在意義を見失い、かつては文学部の、ある意味で花形的存在であった仏文学科も全国で次々と消滅しているのはご承知のとおりです。

読むにせよ書くにせよ言葉との辛抱強くゆるやかな時間をかけた、しかしこのうえない愉悦に満ちた濃密な交感の体験を、今や私たち日本人は一顧だにすることもなくなったかのようです。言葉の配列があれば効用と情報を読み取ることのみが大切なのであって思想やいわんや「ポエジー」を読み出すなど笑止の沙汰なのでしょう。

フランス文学の偉大なる先達とともに「文学」が熱い意味をもっていた時代は逝ってしまったのでしょうか。あるいは「文学」はなにか別のものに姿を変えようとしているのかもしれません。いつか怪物的な才能があらわれてそれが何であるかを示してくれる日がくるやもしれませんが、すくなくとも私たちに残された古今東西の膨大な作品群が汲めども尽きぬ豊饒な文学宇宙であることだけは間違いありません。

かつて「これほど重要な詩人はいない」とヴァレリーが指摘したボードレールの重要性は今も、いや今だからこそますます有効であるという気がしてなりません。「有用な人間ほど醜いものはない」などと口走るボードレールの毒矢の射程はまっすぐに21世紀の私たちのところに届いています。しかしボードレールという存在が真正のファルマコンとして「文学」や「ポエジー」などなくても一向に困りなどしないという顔をした私たちの貧しく病んだ今を射抜いてくれるためには、彼の言葉のひとつひとつに注意深く耳を傾け続ける他ありません。ささやかなりともボードレールをめぐるこうした集いの意義は大きいと言うべきでしょう。研究会の再開をよろこびたいと思います。

廣田大地氏の今回の緻密な考察の根っこには『悪の花』の定型韻文詩における詩節間の空白の、音なき音、言葉なき言葉に耳を澄まそうという繊細な問題意識があります。『悪の花』を核心に据えた氏のボードレール研究の正統性に期待したいと思います。また、山田兼士氏と北村卓氏の研究報告はいずれもボードレール福永武彦との関係についてでありました。山田氏はロートレアモンを視野に入れることで福永の外国文学受容の世界が完結するという前提に立って、創見に満ちた研究の展望をいつもながらに熱く語られました。北村氏は、福永原案の「モスラ」の故郷「インファント島」着想の中に、ボードレールの < 旅 > と < 楽園 > の主題があること、および映画という大衆消費世界の論理がいかに原案を変質させていくかを、資料への適切な目配せとともに明快に考察されました。

それぞれの発表について活発な議論を交わしたあと、参加者は場所を移して寛いだ談笑の時間を過ごしました。


第24回研究発表要旨

分断された詩篇 ―『悪の花』第2版の新詩篇における形式的特徴について - 廣田 大地 (大阪大学博士課程) [#kbcf4e70]


『悪の花』第2版で増補された32の詩篇の内、7篇が複数章による形式を持つ。執筆された時期に沿って確認すると、まず1859年の2月に手紙の中で発表された「旅」が8章、同年9月15日に発表された「小さな老婆たち」が4章、つづく「秋の歌」「働く骸骨」「白鳥」「パリの夢」はいずれも2章に分割されている。そして1860年の10月、『悪の花』第2版の出版4ヶ月前に発表された「幽霊」では、一つのソネが1章を形成し、全4章の形式を取っている。さらには初版からの詩篇である「猫」、「取り返しの付かないもの」、「アベルとカイン」の3詩篇は、第2版で新たに章分割を含むことになる。

この特徴が第2版以降のものであるのに対して『悪の花』初版からの詩篇には、、557のリズムの繰り返しとルフランによって構成された「旅へのいざない」のように、一定のリズム、特定の詩句の「規則的な繰り返し」が頻繁に見られる。ただし、このような初版から第2版へかけての特徴の変化を、統一性から分断への変化と捉えてしまうことには注意が必要である。というのも、このような形式の変化の一方で、ソネという連続性の断絶を内に抱いた形式をボードレールが常に用いていたからである。ソネによる詩篇が『悪の花』において2ページにまたがって印刷されることで、この分断の要素はより一層強調されることになる。この特徴を、新詩篇の中では、章分割というより幅広い形に応用してみたのだと、解釈するのが妥当なのではないだろうか。

それではボードレールは、第2版の新詩篇においていったい何を目指していたのか?例えば「秋の歌」において、詩篇の中央にぽっかりと空いてしまった章分割の空白は、死におびえつつも過ぎてゆく、虚しい今という瞬間の象徴とも、はたまた「我々を貪欲に待ち受ける墓」のように、我々の心の中心に居座っている虚無の象徴とも受け取ることが出来る。また、「白鳥」では、章分割の空白の後、「パリは変わり行く」という詩句から第2章が始められる。変わり行く歴史の流れの中の、今というごく一点に目を向けた詩人の心が、詩句という連続性の中に作られた章分割という一瞬の断絶よって表されているだろう。そして4つのソネによる詩篇「幽霊」の第3章「額縁」において、この章分割は最大の効果を示す。Commeによって始められた額縁の直喩が展開される第1節と、Ainsiによって直喩を受けた上で、その直喩によって修飾される本文が展開される第2節による、伝統的なアナロジーの構造は、額縁の中にぴったりとはまり込んだ絵画のように、詩節の句切れの中にぴったりとはまり込み、額縁という主題を形式的にも見事に表現する。一方、第4章の「肖像」では、脚韻の踏み方は正しくなくとも、『時間』という敵を前にしての芸術家としての信念が迫り来るように表わされる。この二つのソネは、過去と現在、形式の遵守と逸脱、美しさと醜さ、静と動といった対照的な性質を持つことで、その中間にある章分割の役割を明確なものにしている。

このような、章分割による象徴的効果や構造化こそが、ボードレールが第2版の新詩篇の中で生み出した、一つの成果だと考えられるだろう。初版までの韻文詩で追求していた詩句の連続性、統一性に加えて、韻文詩が持つもう一つの重要な特徴である、断絶性という要素を強調することで、韻文が持つあらたな可能性を、ボードレールは提示したのである。

福永とボードレール ― トポスとしての島 - 北村 卓(大阪大学

周知の通り、福永武彦は小説家・詩人であると同時にボードレール研究者でもあった。とりわけボードレールの韻文詩「旅への誘い」は福永が最も愛した作品である。そしてこの「旅への誘い」をめぐる主題は、ゴーギャンを介して福永の文学的端緒ともいえる『風土』(1941年に書き始められ、1951年に完成)にすでに認められるのである。その経緯は、まさに「旅への誘い」と題された短編 (1949) の中で明らかにされている。すなわち、戦争の末期、迫りくる死の脅威を感じながら、小説 (「風土」) を書きつつ愛聴していた「旅への誘い」(作曲:デュパルク、歌:パンゼラ) のレコード (戦火で消失した) を、戦後結核療養所で死と隣り合わせにある状況なかで再び主人公は思い出す。このとき彼は、自分にとっての「旅への誘い」の意味を悟る。それは「絶望的な条件の中に僅かばかりの可能性を求めて生きること」に他ならない。このように、福永の文学的営為の発端から、ボードレールおよび「旅への誘い」はきわめて特権的な位置を占めていたのである。

また福永は、「ボードレールの世界」において、「旅」の主題をめぐり、それを幼年期への回帰という観点からまず論じている。空間的に隔たった楽園の地への旅と、時間を遡行する甘美な幼年期の追憶とをパラレルに捉えているのである。そして福永は、南洋の楽園の島タヒチに旅立ったゴーギャンを語る際も、つねにボードレールを引き合いに出す。「アレアレア」を解説するくだりでは、まさにボードレールの「旅への誘い」が引用されているのである。そして福永が『ゴーギャンの世界』(1961年7月) に精力的に取り組んでいたその頃、中村真一郎から映画『モスラ』(1961年7月公開) の原作の話が持ち込まれる。結局、中村、福永、堀田善衞の三人による共同執筆という形の原作「発光妖精とモスラ」が1961年1月、『週間朝日』に発表される。原作のプランにおいて主導的な役割を果たしたのは中村真一郎であろうと推察されるが、モスラの故郷である「インファント島」の設定については、福永武彦が大きく関与していると推測される。

インファント島は、天国と地獄、生と死という両義性を付与されている。「このインファント島は最近、ロシリカ国が水爆実験場に使用し、島の四分の三を爆風と熱とで吹き飛ばしたばかり」とあるように、小説の冒頭でこの島は、隠された楽園の相貌を露わにする前に、まず不毛の地として姿を現す。さて、福永は「ボードレールの世界」において、「死に至る旅」の例として『悪の華』から「旅」と「シテールへの旅」の二篇を挙げている。後者は、美しき楽園・黄金郷のシテール島への旅立ちという通俗的なテーマをひっくり返したもので、これはまさしく「インファント島への旅」の陰画といえる。また、福永が描くように、ゴーギャンが目にする現実のタヒチは、フランスの植民地支配によって西欧化が進み、理想の古代世界はもはや死に瀕している。さらにゴーギャンはその晩年、病気と貧困に苦しみつつ、死を眼前に見据えながら壮絶な創作活動を行った画家である。もちろん、このインファント島がまず第一に、1954年3月、第五福竜丸死の灰で被う水爆実験が行われたマーシャル諸島ビキニ環礁であることは言うをまたない。

さて、若い頃に結核を患い常に死に直面し続けてきた福永にとって、「死」は「愛」とともに最大のテーマであった。そして「死への旅」「不毛の島への旅」もまた重要なモチーフを構成していたことは、最大の長編『死の島』(1971) が如実に示している。このタイトルの直接の源泉は作品中でも明らかにされているように、スイスの画家ベックリンが描いた同題の絵画である。さて、主人公が広島駅で「ひろしま」という構内アナウンスを「死の島」と聞き取ってしまうくだりは有名であるが、1963年の「「死の島」予告 (二)」には、「現代に於ける愛の可能性、或いは不可能性という主題を、原爆の被害者である一人の女性をめぐる数人の人物との関係に於て捉え、そこに死の島である日本の精神状況を内面的に描き出したいという私の野心・・・」とある。福永にとっては、戦後の日本こそが「死の島」だったのである。すなわち、福永にとってのインファント島とは、まずボードレールのシテールであるとともに、ゴーギャンタヒチベックリンの「死の島」、水爆実験のビキニ、さらには原爆が投下されたヒロシマでもあり、さらには死の島の秘密すわなち不毛・荒廃・死を裡に隠しつつ繁栄を謳歌する、まさに戦後日本の状況そのものであった。

福永武彦・詩の循環 ― ロートレアモンボードレール - 山田 兼士 (大阪芸術大学)

和文学を代表する作家のひとりである福永武彦は、小説家・詩人であると同時にすぐれたフランス文学者であり、とりわけ人文書院版『ボードレール全集』の編訳に代表されるボードレール研究において大きな業績を残している。福永の最初の著書は『ボオドレエルの世界』(1947年) であり、それ以前、東大仏文科卒業論文ロートレアモン論だった。本研究は、フランス文学者としての福永武彦ロートレアモンボードレールから何を得て自らの創作活動に昇華していったのかを探る試みである。

発表の手順としては、まず、私自身がこれまでに書いてきた以下の福永武彦論を要約して説明した。

  1. 詩と音楽 ― ボードレールから福永武彦へ (1), 「詩論」5号, 詩論社, 1984, 3, 31.
  2. 憂愁の詩学ボードレールから福永武彦へ (2), 「詩論」6 号, 詩論社, 1984, 10, 20.
  3. 廃市論 ― ローデンバック、福永武彦村上春樹, 「河南文學」第 5号, 大阪藝術大学文藝学科研究室, 1995 年 5月.
  4. 冥府の中の福永武彦ボードレール体験からのエスキス, 「昭和文学研究」第 31 集, 1995, 7, 昭和文学会.
  5. Takehiko Fukunaga et Lautréamont : ― de Gouffre à L'Ile de la mort, Cahiers Lautréamont, LII et LIII, AAPPFID, Paris, 2000.
  6. フランス文学者福永武彦の冒険 ― マチネ・ポエティクから「死の島」へ, 「日本文学」第 51 巻 4 号, 2002, 4, 10, 日本文学協会.

ボードレールからの受容が多いと思われがちな福永文学だが(実際そのことは間違いではないのだが)、ロートレアモンからの受容が意外と重要ではないか、というのが近年の私の考えである。この点を証明するために、(5) (6) の研究要旨を特に重点的に発表した。福永の中編「深淵」と長篇「死の島」に見られる「悪」のテーマがロートレアモン体験と深く関わっているのではないか、という考察である。この点をさらに綿密に実証するために、今回、新たに次の2点を研究課題として挙げた。一つは、福永武彦最後の著作である「内的独白 ― 堀辰雄の父、その他」の中心主題である「幼年」をロートレアモン「マルドロールの歌」に通底するものと捉える視点。もう一つは、東大仏文科卒業論文であるロートレアモン論 (フランス語論文) の中心主題の一つがやはり「幼年」であったことに注目し、福永文学の出発点をロートレアモンにおける「幼年」のモチーフに重ねて考察すること。福永文学のいわば最初と最後にロートレアモン体験を措定し、その間にボードレール体験を位置づけることで、福永武彦におけるロートレアモンボードレールという詩の循環をより厳密に考察すること。これを今後の課題として、ひとまず本発表を終えた。

第23回ボードレール研究会

司会者報告 - 北村 卓 (大阪大学)

 第23回ボードレール研究会は、2005年12月3日 (土) 2時より、大阪大学言語文化研究科にて開催された。参加者は12名。今回は東京から国際基督教大学の岩切正一郎氏に発表をお願いした。関西以外の地域からの参加は、ボードレール研究会としては初めてである。お忙しい中にもかかわらず、快く承諾していただいた岩切氏に深く感謝したい。
 さて最初の発表は、岩切正一郎氏による「『悪の華』における所有の問題」。岩切氏は、ボードレール詩学における他者 (女性) を理解するための言語使用という観点から、ロマン派の詩および19世紀から20世紀前半にかけてのレアリスム小説を視野に収めつつ、「私」という登場人物が他者のことばを捉えるにあたってどのような変化が生じているのかを、「病気のミューズ」「死の舞踏」「告白」「イツモコノママ」「仮面」といった『悪の華』の詩篇群の分析から、さらに散文詩「窓」と「ビストゥリ嬢」へと射程を拡げ、綿密な検討を加えられた。いわば詩のナラトロジーともいうべき岩切氏の斬新な手法は、ボードレールにおける「他者」の問題について新たな側面を照射するきわめて刺激的なものといえるだろう。
 続いて、山田兼士氏が、2005年の4月に砂子屋書房から出版された著書『ボードレール詩学』について、その内容と本書の出版の経緯などについて発表された。本書は、1991年に刊行された『ボードレール « パリの憂愁 » 論』以後の論考に加筆訂正を加え、それを一つにまとめた集成であるが、第一章「ボードレール (から) の越境 ― 詩人論的考察、第二章「絵も歌も小説も ― 比較芸術的考察」、第三章「ボードレールからコクトーへ ― 鏡像/彫像/映像の詩学」の三部からなっており、構成にも十分な配慮がなされている。『悪の華』から『パリの憂愁』へを一つの軸として、その周囲に展開するさまざまな魅力ある主題が鏤められており、読み応えのある一冊となっている。その論考のほとんどは、この研究会で発表されたものであり、その意味で本書はボードレール研究会の一つの成果といえるかもしれない。本書の誕生を心から祝福したい。
 それぞれの発表の後には、活発な議論が交わされた。またその議論は、一足早い忘年会の夕べへと引き継がれた。

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発表要旨

悪の華』におけることばの所有 - 岩切 正一郎 (国際基督教大学)

 詩における他者理解 (発表ではおもに愛する女を対象とする) のための言語使用はどのようになされているか、と いう観点からボードレール詩学の特徴を考察するのが、 発表の目的であった。~
 19世紀から20世紀前半にかけて、レアリスム小説においては、バルザック的全知からプルーストセリーヌの主観的ヴィジョンまで、さまざまな他者理解の開発がある。多く「私」を語り手とする詩は、それとの対比では、プルースト的とも言えるものだ。「私」が「君」に充当する解釈の仕方が、ボードレール詩学のなかで変化してゆく過程を検証し、ボードレールの詩世界を構成するディアレクティクを明るみに出そうと試みた。~
 『悪の華』のなかで、「私」の愛する「君」が、みずからの考えを語ることはないと言っていい。「病気のミューズ」 では、「どうしたの」と問われる「君」からの返答の発話はなく、彼女は「私」の詩的ヴィジョン=解釈をもりこむ器でしかない。「死の舞踏」の骸骨である「君」は、発話しているように見えるが、その発話内容は「私」が言わせているものだ。「告白」では、「君」の発する非言語的音のなかに、「私」が、言語化される内面の思考を聞き取っていて、かならずしも「君」がしゃべっているわけではない。「イツモコノママ」では、相手は質問をするだけで、「私」は、黙っていてくれと命令する。このように、ことばの所有は「私」によってなされている。~
 「イツモコノママ」を、文学史的コンテクストに置き直してみよう。ロマン派の詩では、女性の声は、音楽的な優しさであることが求められていた。それはフロベールにまで継承されている。ところが、ボードレールの詩世界では、音楽的な声が積極的な魅力となることはない。むしろ、亀裂のはいった音が詩的価値を持つ。ボードレールがフランス詩のなかに新しく持ち込んだのは、亀裂のはいった声の魅力、自然美と同化することで発話を逆にうばわれてしまう女性に、破壊された人生を語り得る声を回復させることだと言えよう。しかし、その発話は、「私」が簒奪してしまう。~
 女性に持たされていた音楽性は猫に託される。~
 では、語らない「君」をどのように理解するのだろうか。「病気のミューズ」の対抗ヴァージョンとして、「仮面」がある。涙の大河が相手 (彫像) から流れ込んでくるのだ。苦悩の直感的理解である。バルザック的な、見抜くことの出来る人にだけ許された理解である。語り手は、ボードレールの詩に頻出する「私だけは知っている」という位置にいる。~
 ここで、レアリスム小説で浮上してくる問題とおなじ性質の問題化が起こる。散文詩「窓」がそれを端的に示している。「伝説」は「私」の語りで保証されるが、「物語・歴史」は相手の語る/相手に帰せられる真実を必要とするのだ。このとき、伝説の真実性を確証させるのは、テクスト空間 (ボードレール的世界) 全体によって作り出され、読者に認証され共有されている、苦悩の性質そのものである。~
 この逆の場合が、散文詩「ビストゥリ嬢」で、彼女は、自分のファンタスムを、「私」という男に充当し続ける。彼女は、男が医者かどうかを見抜くにあたって « Oh ! je ne m’y trompe guère » という。このときの語り手の当惑が、ボードレールの詩世界の女に所有されたとき、彼女は「どちらが本当か」のベネディクタとなるだろう。

ボードレール詩学』について - 山田 兼士(大阪芸術大学

 2005年9月に刊行した拙著『ボードレール詩学』(砂子屋書房) の紹介。本書は、『ボードレール « パリの憂愁 » 論』(砂子屋書房、1991年)、『歌う!ボードレール』(同朋舎、1996年) に続く、自身三冊目のボードレール論。章節 (太字部分) ごとに初出時の題と掲載誌をあげておく。~
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序章『悪の華』を有罪にしたパリ~

* 詩集『悪の華』を有罪にしたパリ,「鳩よ!」(ボードレール特集号)マガジンハウス社,1991年1月1日

第1章 ボードレール (から) の越境 ― 詩人論的考察
第1節『悪の華』からの越境 夜のパリから昼のパリへ
* 『悪の華』からの越境 ―「夜のパリ」から「昼のパリ」へ,「河南論集」5号,大阪芸術大学文芸学科研究室,1999年12月25日

第2節『パリの憂愁』の女性像 ― ドロテ、ビストゥリ、そして母たち
* 『パリの憂愁』の女性像 ― ドロテ、ビストゥリ、そして母たち,「河南論集」6号,大阪芸術大学文芸学科研究室,2001年3月26日

第3節「世界の外」のボードレールブリュッセルからリヨンへ
* 「世界の外」のボードレールブリュッセル、リヨン,「都市文芸の東西比較」大阪市立大学大学院文学研究科プロジェクト研究,2005年3月20日

第2章 絵も歌も小説も ― 比較芸術的考察
第1節 ボードレールと丸亀美術館のコロー « 憂愁 » の絵画について
ボードレールと丸亀美術館のコロー ―「憂愁」理念のさらなる理解のために,「藝術」22号,大阪芸術大学,2000年11月21日

第2節 二つのデュポン論 ― 詩と歌謡
* 二つのデュポン論 ―『悪の華』以前/以後のボードレール,「年報フランス研究」30号,関西学院大学仏文研究室,1996年12月25日

第3節 散文詩ポリフォニー ― 現代小説の方へ
散文詩ポリフォニーボードレール分身の術,「藝術」14号,大阪芸術大学,1991年12月1日

第3章 ボードレールからコクトーへ ― 鏡像/彫像/映像の詩学
ボードレールからコクトーへ ― 鏡像/彫像/映像の詩学をめぐる一考察,「河南論集」2号,大阪芸術大学文芸学科研究室,1995年12月31日

 前著『ボードレール « パリの憂愁 » 論』以後14年ほどの間に書いてきた論考に必要な加筆訂正を施した上で、全体の組立てを考えて三章構成とした。その多くは「ボードレール研究会」にて口頭発表したものが元になっている。前著が私にとって詩学原論とでも呼ぶべき書であったのに対して、本書はその応用編、あるいは実践編といった趣。そのため、前著との関連を分かりやすくするために必要な「注」を多めに付し、更に必要に応じて前著の論旨を要約しつつ論述を進めている。~
 近年の私の興味は、相変わらず「ボードレールの現代性」に固執しつつも、より身近な「私たちの現代詩」の方へと重心を移動しつつある。具体的に言えば、フランスの二十世紀詩と日本の現代詩ということ。ボードレールからロートレアモンヴェルレーヌコクトーを経てシュルレアリスムまで、という「フランス詩サイクル」については月刊「詩学」誌上で「フランス詩を読む ― ボードレールからシュルレアリスムまで」と題して連載した (全36回)。萩原朔太郎から宮沢賢治中原中也小野十三郎を経て谷川俊太郎まで、という「日本詩サイクル」についても少しずつ論考を重ねつつある(『小野十三郎論』は2004年、砂子屋書房刊、『朔太郎・賢治・中也』は思潮社より近刊予定、『谷川俊太郎詩学』は「別冊・詩の発見」に連載中)。いずれの場合にも、決定的出発点としての『パリの憂愁』の重要性は揺るぎそうにない。文学のみならず美術、音楽、映画といった諸芸術の「現在」を考える上で「ボードレール詩学」にこだわり続けることは、どうやら私のライフワークということになりそうだ。